草花の記録
「記録?……えっ?チューリップ!?」
イナは赤いチューリップに目を向ける。他のモノはすべてセピア色になっているというのにこのチューリップだけ赤いままだった。
「チューリップだけが……赤い……。」
ヤモリは震える声を出しながら不気味なチューリップから離れた。
ふとそのチューリップの前に二人の子供が現れた。女の子と男の子だ。ここの分校の生徒のようだった。
男の子は女の子に話しかけた。
「ああ、そのチューリップ、きれいに咲いたんだ。」
「さ、咲いたよ……。敬三君と一緒に植えたチューリップ、咲いた!」
女の子は頬を少し赤らめながら男の子を見つめた。
「ふーん。良かったな。」
男の子は女の子から目を逸らし、照れくさそうに頬をかいた。
二人の子供はぎくしゃくしながら楽しそうに会話をしていた。
「……これは……?」
ヤモリは戸惑いながらイソタケル神とイナを見た。
「おそらく、少女の方は先程走り去った女性だろう。つまりあの女性の過去をチューリップを通してみているのだ。」
イソタケル神は戸惑っているヤモリを落ち着かせるため、冷静に返答をした。ちなみにイナは二人の子供に交じって会話をしようとしている。イナを置いておいてヤモリは驚きの顔でイソタケル神に叫んだ。
「そんな事が起こるのですか!あの走って行ったおばあさんは……?」
「わからない。だが、これはチューリップが記した記録だ。あの女性がこのセピア色の空間に閉じ込められているわけではない。彼女は記憶を思い出しただけだ。だから危険ではない。」
「は、はあ……。」
ヤモリとイソタケル神が会話をしていると隣で大人しくしていたイナが騒ぎ始めた。
「わあ!」
「何!?いきなり大声あげないでよ!びっくりするでしょ!」
ヤモリはイナの声にびくっと肩を震わせた。
「なんか、さっきの敬三君と紗雪ちゃんが大きくなっちゃった!」
イナがどれだけ二人の子供の会話に入り込んだが知らないが敬三君と話していた女の子は紗雪という名前の様だ。
「大きくなったって?え?」
ヤモリはイナに困惑した顔を向け、それから少年少女の方を向いた。先程の少年少女は花壇の前にいなかった。
「……?」
「ああ、前!前にいるってば!」
イナがヤモリの顔を両手ではさみ、強引に前に動かす。ヤモリはつぶされた顔で花壇の反対側にいる少年少女を視界に入れた。
「え!」
少年少女はまだあどけない顔つきは残っているが身体は成長していた。イナとヤモリは言葉がでないくらい驚いた。
「ひっ!人が突然、成長した!」
「いや、だからこれはチューリップの記録だ。チューリップが次に記録したのは七年ぐらい月日が経ってからのようだな。これは記録であり、人の記憶だ。驚くほどではない。」
イソタケル神はイナとヤモリの頭をそっと撫でると少年少女の会話を聞くように促した。
少年少女は制服を身に纏っている。おそらく中学生になったのだろう。
少年の方、敬三が少女の方である紗雪に何かを話している。
「……紗雪をここに連れてきたのにはわけがある。紗雪は今更小学校の花壇に何の用なのかと思うかもしれないけど……聞いてほしい事があって……。」
敬三は言い出しにくそうに言葉を発していた。
「どうしたの?付き合って長いのに私に隠し事?」
紗雪は美しい顔立ちでクスクスと笑った。
「紗雪……ごめん。俺、もうこの土地にはいられないんだ。」
「……え?」
敬三の言葉に紗雪は眉をひそめた。
「俺、親父の転勤でさ……ここから離れないといけなくて……。」
「そ、それくらい別にいいよ。電話もできるし、お手紙も書けるしね。」
紗雪は敬三の暗い顔つきが信じられなかった。もし、離れても電話や手紙で交流ができる。会う予定も立てられる。それなのに何故、そんなに暗い顔つきをしているのかわからなかった。
「そういう問題じゃないんだ。俺さ、親父の転勤で日本を出ないといけないんだ。……オランダに……行くんだ。たぶん、もう帰って来ない。」
「……っ!」
紗雪は一瞬息が止まった。まさか日本からいなくなってしまうとは思っていなかった。
「じょ……冗談よね?オランダって……。」
「……。」
紗雪の言葉に敬三は何も答えなかった。
「そんな……。」
敬三の表情を見てそれが本当の事なのだと実感した。自然と涙が溢れてきた。
……私も一緒にオランダに行きたい……でも……。
敬三の家はかなりのお金持ちだったが紗雪の家は家族で食べていくのに精一杯だった。オランダにいける費用もなく、毎日を必死で生きている紗雪にとっては中学校に行く事だけでもかなり大変な事だった。
「突然で俺もびっくりしているんだけど、これからもう電車に乗らないといけない。」
「これから!なんでもっと早く言ってくれなかったの!」
紗雪は敬三に掴みかかるように叫んだ。
「わ、悪い。言いだせなかったんだ。紗雪がいつも楽しそうに笑っているからさ。」
敬三は泣いている紗雪をそっと抱き寄せると顔を赤くし、目を泳がせた。
「……。」
紗雪は何も言わずに敬三の胸に顔をうずめている。
「な、なあ、紗雪が待てるっていうんなら……いつかここに帰ってくる俺を待っていてくれないか?ただ待っているだけでいい。紗雪が他に好きな人ができてもかまわないから俺を待っててほしい。俺、大人になったら全力でここに戻って来る。」
「馬鹿。私、敬三さん以外の男に興味ないの。それに私、そんな気長に待てない。」
紗雪は子供のようにダダをこねた。ここで敬三を困らせても何の意味も無い事はわかっていたがもう会えないかもしれないという恐怖を誤魔化したかった。
「……ずっと俺に興味を持ってくれるならこの赤いチューリップの事を忘れないでくれ。赤いチューリップの花言葉……けっこう素敵なんだぜ。」
敬三は紗雪を離すと無理に微笑んだ。そしてそのまま紗雪の手を握ると歩き出した。
二人が寂しそうに去って行くのと同時に世界が元の色に戻ってきた。聞こえなかったはずの鳥の声が急に聞こえ、風の音が響き、葉っぱはきれいな緑に戻る。
「……?戻った?」
イナとヤモリが我に返ると校庭の真ん中でおばあさんが倒れていた。おばあさんは先程セピア調に世界が変わった瞬間と同じ場所にいた。
「え!おばあさんがたおれている!」
イナは慌てておばあさんの側に近寄った。
「あのおばあさん、さっき、凄い勢いで走り去って行ったんじゃ……。」
ヤモリも焦りながらイナを追った。
「あの方は足を悪くしている。そんなにいきなり走れるわけがない。最初のはおそらくチューリップが見た部分の記録の巻き戻しだったんだろう。現に途中からあの方は少女に戻っている。」
イソタケル神もゆっくりとおばあさんに近づいていき、杖をヤモリに渡した。
「そ、そういう事ですか……。あ、あの、おばあさん……大丈夫ですか?」
ヤモリは杖を受け取るとうつぶせで倒れているおばあさんに声をかけた。おばあさんは腰をさすりながらゆっくり起き上った。
「いたたた……いきなり動いたから転んでしまったわ……。」
おばあさんに怪我はないようだった。
「良かった……。怪我でもしたかと思った……。」
ヤモリの横でイナがほっとした顔を向けた。
「あ、杖どうぞ。」
「あら、ありがとう。ごめんなさいね。」
おばあさんはヤモリから杖を受け取るとゆっくり立ち上がり、悲しそうに微笑んだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ……。突然思い出したものだからそのまま駅に向かおうとしてしまったけど……もうあれから何十年経っていることやら。」
おばあさんはため息をつきながら笑った。ヤモリがおばあさんの背中をさすっているとイナが隣でヤモリの服を引っ張り始め、ヤモリに向かい声を上げた。
「ねえ、敬三さんって人に会わせてあげよーよ!」
「君ね……、そんな簡単にいくわけないでしょ!どこにいるかもわからない人を探すって言うの?」
ヤモリは小さい声でイナにささやいた。
「とりあえず、駅のホームで待っててみるとか!」
イナの言葉にヤモリは大きなため息をついた。
「あのねぇ……。」
「私、ちょっとこれから駅に行ってみようかしら……。何もないと思うけどベンチにゆっくり座りたい。そして色々思い出したいの。」
おばあさんの発言でヤモリは頭を抱えた。隣でイナがとても楽しそうにしていたからだ。
……これはおばあさんと一緒に駅まで行けって言っている顔だね……。
ヤモリはイナの表情を見てそう判断した。イナは一度言ったら聞かない所がある。ヤモリは駅にいくだけならいいかとも思い、おばあさんに声をかけた。
「あ、私も行きますよ。一緒に行きましょう?」
「そんなそんな……悪いわ……。大丈夫。一人で平気よ。」
「いえ、私も駅に用事があるんで……。」
しばらくヤモリはおばあさんを説得していた。おばあさんは始め渋っていたがやがて好意に甘える事にしたらしい。
「じゃあ、駅までよろしくお願いします。」
と頭を下げてきた。ヤモリは優しく微笑むとおばあさんの腰に手を添えて支えてあげた。イナも一緒におばあさんを支え始めた。その後ろからゆっくりとイソタケル神が続いた。
「あれ?イソタケル神もついてくるの?」
「ああ、ついていく事でなんだかチューリップの事が解決するのではないかと思ってな。」
イナの質問にイソタケル神は伸びをしながら答えた。
神々とおばあさんはゆっくりと駅に向かい歩き出した。この学校から駅はかなり遠い。おばあさんは歩きながらヤモリに話しかけ始めた。
「あなたが何故、敬三さんの名前を知っていたのかはわからないけど、そのおかげで大切な事を思い出せたわ。ありがとう。」
「え?ああ、はい。」
ヤモリは返答に困ったが微笑んで誤魔化した。
「なんでこんな大切な事を忘れてしまっていたのかしら……。私ね、敬三さんがいなくなってからお見合い結婚で結婚してね……その男の人も好きだったから後悔はしていないけど、敬三さんの事、忘れていた事に今、後悔しているわ。子供もできて今は孫もいる。毎日を生きる事に必死過ぎたのかもしれないわ。……あの人ももう、約束を忘れてしまったかもしれない。」
おばあさんは切ない表情でヤモリを見た。
「……忘れているかもしれませんがきっと幸せに生活していると思います。結局はまだあなたの前に現れていませんからね。生活が楽しすぎて忘れてしまっているとか。」
ヤモリは返答に困り、あたりさわりのない言葉を発した。
「ふふ……。そうだといいのだけれど。私もその約束を忘れてこの町から離れてしまっていたの。歳を取ってもう一度ここに住みたくなって戻って来たのよ。だから……あの人……何度も私を探しに戻って来ていたかもしれない。」
「……。」
おばあさんの言葉にヤモリは返答できなかった。イナが隣で「絶対会えるよ!」と叫んでいたが絶対会えるなんてヤモリには言えなかった。おばあさんも「駅に行っても何もないと思う」と言っていたので満足するまで駅にいてもらった方が心が軽くなるのではないかとヤモリは思った。
会話をしながらゆっくり歩いていると古びた駅にたどり着いた。あたりは静かで道も舗装されていない。草が伸び放題の無人駅。この駅の利用者も今はほとんどいない。券売機には蜘蛛の巣が張っており、清掃もまったくされていないようだ。
時刻表を見ると電車は一時間に一本しか来ない事になっている。
おばあさんは鳥の鳴き声しか聞こえない静かな駅のベンチに腰をさすりながらゆっくり座った。ヤモリもなんとなくおばあさんの横に座った。
座った直後、ガタンガタンと電車の音が聞こえた。
「ちょうど電車が来たみたいですね……。」
ヤモリが二両しかない古い電車をため息交じりに眺めた。電車には人が乗っていない。
「東高梅駅―。東高梅駅―。」
車掌の声が聞こえ、ドアが閉まる。電車はそのまま一定の音を立てながら去って行った。
「あっ!」
再び静かになった駅でイナが叫んだ。イナはヤモリの横で嬉しそうに飛び跳ね始めた。
「何?いきなり叫ばないでよ。びっくりするじゃない。」
ヤモリが小声でイナに言葉を発した時、ヤモリの視界に帽子にスーツ姿のおじいさんが映った。
「え……。この駅で降りた人がいた……?」
「けい……ぞうさん……?」
ヤモリの隣でおばあさんが震える声でつぶやいた。そのままおばあさんはゆっくり立ち上がると杖をつきながら何かにとりつかれるようにおじいさんの所へと足早に歩き出した。
「ああ、ちょっと……。」
ヤモリがおばあさんに声をかけたがおばあさんは夢中になって歩いていた。
「敬三さんだ!敬三さんだよ!」
イナが嬉しそうにヤモリの脇腹を突いた。
「痛い!つ、突かないでよ。……敬三さんって人かどうかわからないよ……。あのおばあさん、夢見ちゃっているとかない?」
「違うようだな。見なさい。」
イナに代わりイソタケル神がヤモリに答えた。ヤモリは慌てておばあさんの方に目を向けた。
おばあさんはおじいさんと楽しそうに話し、体を寄せ合っていた。
「あ……。ウソでしょ……。本当に現れちゃった……。」
「さて、これで僕は邪魔になった。もう解決したから僕はお暇する事にしよう。」
イソタケル神は驚いているヤモリと喜んでいるイナの頭をそっと撫でると手を振りながら去って行った。
「あんな事あるの!?」
「ばいばーい!また会おうね!」
イナは驚いているヤモリの隣でイソタケル神に嬉々とした表情で手を振っていた。
「イナ!敬語使いなさいってば……。もう……まあいいや。奇跡が起こったって事だよね。」
ヤモリはため息をつくとイナを促し、歩き出した。
「学校戻る?」
「そうしよう……。私もちょっと疲れたから昼寝したい。……そう言えば、君さ、確か、恋愛方面の神でもあったよね……。君が奇跡を起こしたってことは……。」
「んー……?わかんない!」
イナはヤモリの手を引っ張ると楽しそうに走り出した。
「ちょっと走ったら危ないってば!」
ヤモリは再びため息をつくとイナに連れられて駅から離れていった。
駅で楽しく話していたおじいさんとおばあさんは手を繋ぎながら高梅山分校にやってきた。
「ここで赤いチューリップを見て思い出したの。」
「赤いチューリップなんてないじゃないか。」
高梅山分校の花壇前、先程まであった赤いチューリップは何故かなくなっていた。今は黄色のチューリップがその場所に咲いていた。
「でもこの場所にあの時と全く変わらずにあったのよ?植えた場所にあの頃のまま。」
「それはないだろう。花がそんなに長持ちするとは思えない。」
おじいさんは不思議そうに黄色のチューリップが咲いている地面を触った。
「ん?」
おじいさんの手に何かが当たった。よく見るとそれは腐ったチューリップの球根だった。
「球根だわ……。土を掘ってもいないのに……。こんなところに……?」
二人はまじまじとその球根を見つめていた。
「この裏に住んでいる稲荷神様がこの球根を赤いチューリップに変えたのかもしれないな。」
おじいさんはフフッと笑うと球根を元の場所に戻した。
「私は幻を見ていたとでもいうの?バカバカしい……だけれど、こうして会えたんですもの、やっぱり稲荷神様のおかげなのかしら?」
おばあさんもクスクスと笑いながら学校裏の神社に目を向けた。
二人は少し不思議な体験に若い頃の高揚感を思い出していた。