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歯科医の視界

 十四年前の秋の事。

 「はーい。じゃあ歯科検診はじめますよ。」


 学校の先生がたった七人しかいない生徒を縦に並ばせる。教室の隅に衝立が置いてあり、生徒が一人ずつ衝立内に吸い込まれ、裏から出ていく。あずみは当時八歳だった。


 家が厳しかった事もあり、食事の管理や歯磨きもかなり徹底されていた。

 それ故のプレッシャーもあり、もしこの検診で虫歯が見つかったら親に凄く怒られるだろうと幼い彼女はひどく怯えていた。


 あずみは最後に並んでいた。自分よりも前の子供達が一喜一憂しながら衝立から出で行く。ついにあずみの番になり、あずみは震える足で衝立の裏側へと歩いて行った。


 「こ、こんにちは!」


 あずみは元気よく返事をすると置いてあった丸椅子にゆっくりと腰掛けた。


 「こんにちは。瀬谷あずみちゃん。……あずみちゃん、ひょっとして怖い?」

 もう一つの丸椅子に座っていた院長が今と変わらない笑顔であずみを見ていた。


 「こ、怖くありません!」

 この時のあずみは虫歯があるかもわからないのに絶望した顔をしていた。


 「大丈夫だよ。見るだけだからね。」

 院長は笑顔のままあずみの歯を素早く診断した。


 「あ、あの……。」

 「一か所だけ、虫歯になりかけている歯があるね。」


 院長が発した『虫歯』という単語であずみはひどく悲しげな顔で泣き始めた。しくしくと女の子らしい控えめな泣き方で小さい体をさらに小さくして顔を手で覆っていた。


 「あずみちゃん。大丈夫だよ。あずみちゃんの歯はね……歯の頭がちょっと磨きにくくなっててね、けっこう難しいんだけどよく磨けているよ。なりかけているだけだから歯の溝を埋めるだけで大丈夫。削らないからね。お母さんかお父さんに僕から言っておくね。」


 「ママとパパには言わないで!怒られちゃう……。」

 あずみは泣きながら院長を見上げた。院長はあずみの頭をそっと撫でながら涙をティシュで拭ってくれた。


 「大丈夫。あずみちゃんが怒られないように言うから安心して。」

 「……うん。」

 あずみは院長の笑顔を見て院長を信じる事にした。


 歯科検診が終わり、あずみは母親と手を繋いでビルの中のクリニックフロア内にあるパールナイトデンタルクリニックの待合室にいた。この時のあずみは気が動転しており、ビルの名前も歯科医院の名前もどうやってきたのかも全然覚えていなかった。


 ちなみに母親も父親も全く怒っていなかった。むしろあずみを心配していた。


 しばらくして名前を呼ばれ、母親と共に診察台に座った。

 出てきたのはあの院長だった。


 「こんにちは。あずみちゃん。」

 「こ、こんにちは!」


 あずみは怯えながらも元気に院長に返事をした。怯えているあずみを困った顔で見つめながら母親が院長に声をかけた。


 「先生。よろしくお願いします。」


 「はい。仕上げ磨きもしっかりされているようであずみちゃんのお口の中はとてもきれいでした。ですが噛む面のオウトツが大きいのでどうしてもブラシが難しいんですね。それで歯の溝を埋めるシーラントという方法を虫歯になりやすい臼歯すべてにおこなって……。」


 院長が何やら母親に説明を始めた。あずみにはよくわからずにただ自分の膝を見つめていた。


 そこから先の記憶はないが院長の優しげな雰囲気と爽やかなお兄さんの雰囲気だけあずみの心に残ったのだった。




 「と、いう事だったんですが……思い出しました。確か、ビルの中にある病院だったような気がします……。」


 あずみが昔とまったく変わらない院長を不思議そうに眺めながらつぶやいた。


 「ああ、そうそう。こっちに新しく作ったんだよ。俺の医院。移転って言うのかな。こんな田舎に引っ越したってのに患者さんが沢山来てくれるんだよ。お客さんじゃなくて患者さんだからなんだか喜べないんだけどね。」


 院長はヤモリとイナが急にどこかへ行かないように監視をしながらあずみに答えた。


 「あの、院長先生。もう覚えていないかもしれませんがあの時、母親と父親に何を伝えたんですか?怒られるどころか心配されて……。」

 あずみは昔からずっと引っかかっている事を聞いてみた。


 「別に何も言ってないよ。君の親御さんはとても君の事を愛していたんだと思うよ。俺は……あの時、学校検診で虫歯かもしれないって言っただけでママとパパに怒られると大泣きされましたって学校の先生の方に言っただけだよ。」


 「え?」


 「それで学校の先生が君の親御さんの方に電話して俺が言った事を伝えたらしいね。そうしたら熱心になりすぎていたのでしょうか、厳しくしすぎていたのでしょうかとご両親とても落ち込んでいたみたいでね。」


 「そうだったんですか。……お父さん、お母さん……。」

 あずみはどこか嬉しそうに小さくつぶやいていた。


 「ごめんね。俺がかっこよくお宅訪問とかして君の心を救ってあげられていたら良かったんだけど歯科医師がズカズカと人の家に行くのもなんだかおかしいでしょ?」


 「そ、そうですね。あ、院長先生。……ひとつ頼みがあるのですが……。」

 あずみは笑顔の院長にすっきりとした顔を向ける。


 「なんだい?」

 「この病院で働かせてください!」


 「ええっ!」

 突然、あずみが切り出した話に院長はとても驚いていた。植木にこそこそと隠れていたイナとヤモリは「やっぱりな。」と目を細めていた。


 「実は歯科衛生士なんです!私。」

 あずみは素早くカバンから歯科衛生士免許証を取り出し院長に見せた。


 「い、いきなり!あー、俺の病院はちょっとというかだいぶん変わっているんだけどそれでも良かったら面接して出られる日程を決めようか。人手はいつでもほしいから個性的なスタッフに溶け込めるならいつでも歓迎だよ。」


 「本当ですか!じゃあ、雰囲気も見学させていただきますね。」

 あずみは嬉しそうに声を上げると院長に満面の笑みを向けた。


 院長も大きく頷きながら答えると今度はイナとヤモリに目を向けた。


 「じゃあ、まずこういう事もしているんだって事も見学してってね。」

 院長はそう言うときょとんとしているあずみから離れ、植木に隠れていたヤモリとイナを引っ張り出した。


 「わ、私は虫歯ないから!神に虫歯なんてないから!」

 「そ、そうだよ!私もない!絶対にない!」

 ヤモリとイナは首をぶんぶんと横に振った。


 「ダメダメ。ここまで来たんだからちゃんと検診していきなさいって。まあ、神は実態があるわけじゃないから虫歯なんてあるわけないんだけどあったら困るからな。」


 「いや、いいって!ないから!」


 院長の言葉にイナもヤモリも猛反対していた。あずみはそれを眺めながら不思議に思っていた。ヤモリは目の前にいるからわかるが院長は何もない場所でまるでそこに誰かがいるかのように話している。


 「あ、あの……。」

 あずみが不安げな声を上げた時、院長が素早く説明をした。


 「君が疑問に思っていることはわかる。君がここで働きたいのならば不思議な現象に慣れる事。狂っていると思ってもいいけどこの職場のスタッフさんで人間の子はいない。ちなみに俺は厄除けの神なんだよ。」


 「えっ?ど、どういうことでしょうか?じょ、冗談ですよね……?」

 「冗談かどうかは君が決めていいよ。」

 若干顔色が悪くなっているあずみに院長は爽やかな笑みを向けた。


 「あの……ちなみに聞きますけど……その麦わら帽子の方の横にいらっしゃる方は……。」

 あずみは何にもない空間を恐る恐る指差した。顔は半笑いだ。


 「ああ、彼女は高梅山分校の裏に住んでいる稲荷神のイナちゃんだよ。」

 「稲荷神!」


 あずみは知らぬ間に稲荷神を連れて来てしまったと思い、さらに顔を青くした。

 院長を見上げながらイナがここまで来た経緯を話し始めた。


 「この女の人が院長に会いたいって言うからヤモリと場所を教えてあげたんだよ。」


 「そうそう。こんな遠くまでね。」

 イナの言葉にヤモリがため息をつきつつ、同意する。


 「なるほど。どうやらあずみちゃんが稲荷神社で俺に会いたいって願ったから縁結びの力で一緒についてきたみたいだね。高梅山の稲荷は縁結びが強いみたいだからさ。」


 「は、はあ……い、稲荷神様……どこにいるかわかりませんが……あ、ありがとうございました……。」


 院長の笑顔を一瞥し、あずみは倒れそうになりながらかろうじてイナにお礼を言った。


 「うむ!まあよい!」

 「はあ……。」

 どこか偉そうに胸を張ったイナを横目で見ながらヤモリは深くため息をついた。



 その後、あずみがパールナイトデンタルクリニックで働いたのかは不明だが一度、稲荷神社に顔を出したらしい。


院長から稲荷神は可愛らしい幼い女の子だと聞き、自分の過去と重ね合わせ、かわいらしい狐のぬいぐるみを供えに来た。


 その数日後、あずみは再び、神社を訪れた。そこで狐のぬいぐるみがなくなっている事に気が付き、慌てた。


その狐のぬいぐるみはイナのお気に入りとなり、社内のイナが生活している霊的空間に取り込まれていたのだが、あずみはなくなった狐のぬいぐるみに動揺し、顔面蒼白になりながら去っていったという。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 第十話「歯科医の視界」読みました! 私も去年、歯を悪くして通院していたんですが、ぶっちゃけ何度行ってもあの空間は苦手です。治療は思っていたよりも痛くはないけど、部分麻酔をかけられてるとき…
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