歯科医の視界
今回は歯科医院のお話です。
というか、毎回、TOKIシリーズの登場神物から一神、出してきましたがこの神を主体にお話を書くのはとても難しかったです笑。
よろしければTOKIの話シリーズ本編もどうぞ。
昔からある古い学校の裏に稲荷神が祭られていた。ここは山の奥深くにある村で、生活している人々は車を持っていないとどこに行くにも不便だ。
まわりは山と舗装されていない道路が続いていてその周辺にまばらに昔ながらの一軒家が建っていた。そんな村の中にある唯一の小学校。高梅山分校。この学校はいつ廃校になるかわからないギリギリを彷徨っている学校だ。
この学校の裏に住んでいる呑気な神様、稲荷神のイナは幼女の姿をした稲荷神だった。巾着袋を頭に被ったのかととらえられる謎の帽子と赤い着物がトレードマークである。
いつも元気はつらつとしているイナは赤い鳥居をくぐってきた女に元気よく挨拶をした。
「トリニティおあトーナメント!」
「はあ?」
イナが発した謎の呪文に麦わら帽子をかぶった少し地味な女は首を傾げていた。
今は十一月中ごろである。紅葉が美しく、辺りの山々を赤や黄色に染めているがきれいと思う前に寒いという言葉が出てきてしまうそんな時期である。
「だから、トリニティおあトーナメントだってば!」
イナは両手を女の前に出すと少しムッとした顔で何かを催促した。
麦わら帽子をかぶった女は戸惑いの表情を向けていた。
この女は家守龍神という神である。民家を守る神で主にヤモリと呼ばれている。人間に見えない神が多い中、彼女は人間の瞳に映る数少ない神であった。
「だから……何?全然返し方がわかんないんだけど。そもそも意味がわからない。」
ヤモリは困惑しながらイナを見据えた。
「高梅山分校でさ、トリニティおあトーナメント!って言うとお菓子くれるってお祭りがあってね!私、人間に見えないから祭りに参加できなくてさ……。ヤモリだったらなんかくれるかもって思ったんだけど。」
イナは肩を落としため息をついた。ヤモリはイナが何を言っているのかだんだんとわかってきた。
「ああ、ハロウィンね!トリックオアトリートじゃないかな?それ。だいたいもう十一月の半ばだし……ハロウィンは遅いよ。十月の三十一日過ぎたら日本はクリスマスになるの。だからもうクリスマスだって。向こうの神とか天使あたりが忙しくなる時期だね。」
「そっかあ……。」
ヤモリの言葉を聞き、イナは残念そうな顔をしていた。
「あ、ちなみに二十四日過ぎたらクリスマスの事は忘れられて皆お正月になるんだよね。日本人ってお祭り好きなんだね。」
「そっかあ……。クリスマス、クリスマスって言うからケーキ食べたくなってきたよ……。」
イナは社の階段付近にちょこんと腰掛けてぼそりとつぶやいた。
「じゃあ、山登って喫茶店行く?」
「行く!」
ヤモリの問いかけにイナは元気よく答えた。
「あ、でも、イナ。そろそろ歯科医院の定期検診じゃなかったっけ?神の定期検診もやっているパールナイトデンタルクリニックに行かないとさ。甘いものも控えないと。」
「うう……。行きたくない……。歯医者なんて神には不要だよっ!」
イナは小さい体をさらに小さくしてヤモリに叫んだ。
「行っといた方がいいと思うけど。」
ヤモリが呆れた声を上げた時、暖かそうなニットのセーターを着た若い女が神社の鳥居を潜ってきた。神ではなく人間のようだった。
「ん?」
イナは素早く立ち上がると女のそばまで寄り、観察した。イナは人間に見えない神だ。もちろん、女の目にイナは映らない。
イナが怪しい行動をとっても何の問題もないがヤモリは人に見える神なので大人しくしていた。
女はヤモリに軽く会釈をすると稲荷神社の社前で立ち止まり、手を合わせた。
女は何も口に出していないが神々は感情のエネルギーを社を通して読むことができる。つまり、イナもヤモリもこの女性の心の声を聞けるのだった。
女はこう言っていた。
……昔、私が小学生の頃、高梅山分校まで学校検診に来てくれたあの優しい歯科医に会わせてほしいです。名前もどこで開業しているのかもわからなくて……その……毎年来てくれていたのに何もわからなくて……知りたいんです。
私は途中で引っ越しをしてしまって実は一回しか会っていなくて……。
「ふーん……。イナ、わかる?」
ヤモリが女の声を聞き、イナに小声で確認をとった。
「昔から高梅山分校に来ている歯医者?そりゃあ一神しかいないよ。あの厄除けの神のパールナイトデンタルの院長。毎年必ず私の神社にも来て、ついでに私の検診もしていくから怖くてさあ。最近隠れてたんだよね……。」
イナは苦笑いをヤモリに向けた。
「あー、あの神ね……。名前は知ってる。なんだ、ちゃんと検診にドクターが来てくれてたんじゃないの。」
「う、うん……。そ、そーなんだけどね……。あっ!ヤモリ、今の話伝えてあげて!場所はパールナイトデンタルクリニックだって!」
興奮気味のイナにヤモリはため息をついた。
「だからさ……何度も言うけどいきなりその話ふったら気持ち悪がられるってば。」
「大丈夫だからほら!早く!」
「またこういうパターン……。」
女が手を合わせるのを止め、ため息を漏らしながら神社の階段を下り始めたのでヤモリはとりあえず声をかけた。
「あ、あの……。」
「……?」
ヤモリの声かけで女は驚いた顔で振り向いた。
「高梅山分校に毎年来ていた歯医者さんを探しているんですか?」
「……っ。」
女は訝しげにヤモリを見据えた。
「あっ、あの、願いが声に出ていたので……。」
ヤモリは冷や汗をかきながら嘘をついた。
「あ……こ、声に出ていましたか?ごめんなさい。……そうなんです。あの時の歯科医を探していて……。」
女はヤモリの嘘に軽く騙され、少し表情を柔らかくした。
ヤモリは女の表情を窺い、冷汗を拭いながら頷いて続ける。
「私、その歯医者さんがいる歯科医院知っていますよ。少し遠いんですけど。」
「ほんとですか!」
女は嬉々とした表情に変わり、ヤモリの方へ寄ってきた。
「え、ええ。」
「案内していただけませんか!」
動揺しているヤモリに女は深く頭を下げた。
「い、いいですよ。」
ヤモリも無理やりほほ笑むとイナを一瞥した。ヤモリの目は「あんたも来い」と言っていた。
「えー……。歯医者さんは行きたくないよぉ……。でもしょうがないからついてくよ。」
イナの言葉にヤモリは大きく頷いた。
ヤモリとイナと女は神社の階段を下り、高梅山分校を過ぎて歯科医院へと向かった。
歯科医院は山を下りた平地にある。イナ達は山の中腹にある学校から下りの道を歩き始めた。
「あの……ここからかなりかかるんですけど大丈夫ですか?」
ヤモリは女の顔色をうかがいながら尋ねた。
「大丈夫です。私……今就活中なので……時間はあります。」
女は決意を込めた目でヤモリを見据えた。
「そ、そうですか。」
ヤモリはとりあえず返答すると女がただ、歯科医に会いに行くというだけではない事に気が付いた。
「イナ、この人、あの歯科医院に就職するつもりだよ……たぶん。」
ヤモリは鬱々と前を歩いているイナにささやくような小声で話しかけた。
「えーっ!歯科医院で働くの?えー……。」
イナは女をちらちらと見ながら驚いて叫んだ。しかし、イナの声は女には聞こえない。
「わかんないけど、たぶんそうだって。」
「えー……。私、病院にいるのも嫌なのに就職したら毎日毎日……。ていうか、人間さんを雇うかな……あの院長。」
イナが顔色を悪くしながらヤモリを見上げた。
「あそこの病院って、神しか働いていないよね。そういえば。皆人間に見える神で、歯科衛生士が三神組の武神で、受付がバイトの時神でそんで院長が厄除けの神……だったかな……。で、神専用に裏口があってさ、別の個室で神々は検診されるんだよね。」
ヤモリがパールナイトデンタルクリニックの説明をさらりとイナに話した。
「へえ……無駄に詳しいね。」
イナは別に興味がないのか返事がてきとうだった。
二神がこそこそ話している間、女はただ大人しく後ろをついてきているだけだった。
山を下り、田んぼが広がる田舎道の十字路まで歩き、右に曲がった。右の道は今の細い田舎道よりもさらに細く、人ひとりが通れるくらいの幅しかなく、舗装されていない土の道だった。
女は最初、靴に泥がつかないように歩いていたがつかないように歩くことが不可能であることに気が付き、堂々と歩き始めていた。
「け、けっこう遠いですね……。」
女は息を上げながらヤモリの背に声をかけた。
「はい。かなり遠いんですよ。もうそろそろつきますんで。」
ヤモリも疲れた顔で女に答えた。もうかれこれ二時間は歩いている。
「もー、疲れたー。」
イナは先程からぶつぶつ文句を言っていた。稲刈りはもう終わってしまい、今はただ寂しい田んぼが並んでいるだけなので見どころもない。しばらく歩いて田んぼ道を抜け、軽トラが一台通れるかくらいの道に出た。
「はい、あそこです。」
少し大きな道に出てからヤモリが目の前を指差した。道路を挟んだ向かい側に『パールナイトデンタルクリニック』と書いてある看板が見えた。病院自体は大きくない。開業医が細々とゆったり診察をしている。見た目はそんな感じだ。
「ありがとうございます。」
女はヤモリに丁寧にお辞儀をすると病院内に入ろうとした。刹那、病院から出てきた若い男とぶつかった。
「おおっと。ごめんなさい。」
「す、すみません!」
男と女が同時に声を上げた。そのまますれ違う。
ふと優しそうな顔つきの男が思い出したように女に再び声をかけた。
「ああ、今は診察時間外なんです。三時あたりにもう一度来てください。」
現在は午後二時過ぎ。病院はお昼休みのようだった。
「院長先生……。何も変わっていませんね……。あの時と。」
女は男を懐かしそうに眺めたが男の方は首を傾げていた。
「ごめんね。君、どちら様かな?」
院長と思われる男は女を覚えていないようだった。
「覚えていませんよね。十年くらい前に院長先生、高梅山分校の歯科検診にわざわざ来てくださって……。」
「ああ!あずみちゃんか!大きくなったねぇ。」
「え……!」
院長の発言に女、あずみは声が出ないほど驚いた。自分の事など覚えていないと思っていたからだ。
「元気に挨拶返してくれてたけど七人の分校の生徒の中で一番、怯えてたよね。」
「お、覚えていてくれたんですか!」
「うん。」
あずみは感動し、目を潤ませていた。院長はまたほほ笑むと今度はヤモリとイナに目を向けた。
「ああ、君達は歯科検診かな?俺も休憩したいからさ、悪いけど三時になってから……。」
「違います!」
ヤモリとイナは同時に怯えた声ではっきりと言った。ヤモリも実は歯科医院が苦手だった。あずみと院長の会話を聞きながらこっそりイナと逃げるつもりだったが院長の視界に入ってしまった。
「そうそう、君もあんな顔をしてたよ。」
院長がイナとヤモリを見ながらあずみに笑みを向けた。
あずみはヤモリに目を向けるとくすくすと笑った。
「あの時は怖かったんですよ。」
あずみは昔を思い出すように語り始めた。