Ⅴ.癒しの侍女
「思い出したら余計腹が立ってきた」
体力温存の為にベッドに寝転んだスカーレットは、今朝から今までの出来事を思い返していた。
記憶をたどっても、自分自身に欠点があったとは思えない。つい殴ってしまったのは悪かったが、あれは向こうが痴漢行為を働いたからだ。立派な正当防衛だろう。
唯一まずかった点は、あの広場で目立つ反応をした事。だが普通気づかれるなんて思わない。大勢の人の中でただ一人驚いていたからって、誰がこんな面倒な事に巻き込まれると思うのだ。隣にいたレイラにさえ聞こえない独り言を感知したのなら、どんだけ耳がいいんだよと言ってやりたい。
はあ、と何度目になるかわからない重いため息が零れる。軟禁されてから早数時間。日はとっくに沈み、月が煌々と輝いていた。静かな月を見てると、何だか余計感傷的な気分になりそうだ。
くうう、と子犬のように侘しく鳴く己の腹に手を当てて、ゆっくりさすった。
「お腹減った……。水だけで生きろとか、何なのあの鬼畜野郎……」
これからどうしよう。姉は今夜は帰ってこなくていいと言っていたので、恐らく心配はしていない。一晩のアバンチュールがもし万が一起こったとしたら、むしろ「よくやった!」と褒めるに違いない。でもそれってどうなのお姉ちゃん。
「アバンチュールどころか、拉致られて閉じ込められてますよ~。しかも最高権力者ですよ~」
逆らったら死刑……とまではならないと思いたい。姉夫婦が経営する食堂に影響が出たら嫌だと、今更ながらに気づく。
今の自分に出来る事は一体何だ。威勢が良すぎるから暫く大人しくさせる目的で、食事抜きにしているのならば。言われた通り今は大人しくしておいて、相手が油断した所で最後の気力を振り絞り、逃げてやる。
「そうよ、従順になどなれるか。飢えた獣は危険だって事をわからせて差し上げるわ」
自分の事を獣呼ばわりはいいのかなんて事には気づいていない。
考えれば考えるほど意味不明のこの状況。スカーレットは空腹をごまかす為に広い寝台の上でギュッと目を瞑り、眠りについた。
そして翌朝。はっと目が覚めたスカーレットは、がばりと起き上がった。外は日が昇ったばかり。まだ薄暗い。
ふかふかのお布団にさらりと肌になじむシーツ、快眠枕の誘惑とは恐ろしい。敵のアジトと変わらぬ場所で熟睡とは、なかなか神経が図太いのかもしれない。
一日動き回った格好で寝ていた為、折角オシャレした洋服に皺がついた。髪も服もぐちゃぐちゃ。浴室に行けば、問題なく湯あみが出来そうではある。
ひとまず簡単に衣服の乱れを整え、顔を洗いすっきりした。水差しに残っている水を飲み、一息ついたころタイミング良く扉がノックされる。
誰だ、変態王か!
武器、武器はどこだ。
まだ寝ぼけているのか、彼女の頭からは相手が国の最高権力者という事をさっぱり忘れている。昨晩の苛立ちが再発した為、恐れ多いや怖いなどという感情はキレイに抜け落ちていた。
カチャリと鍵が回された。十分距離を取ったまま身構えていると、入って来たのは国王でも年齢不詳の宰相でも、ましてや腹黒副団長でもなく。小柄な容姿が可愛らしい、メイド姿の少女だった。
「おはようございます。スカーレット様」
真紅のリボンを襟元でキュッと結び、膝丈までのメイド服に身を包んだ少女は、恭しく自分に頭を下げる。良く見れば手にはカートを引いていた。何やら香ばしい匂いが漂い、スカーレットの嗅覚を刺激する。
「スカーレット様の専属侍女を務める事になりました、サーシャと申します。至らない点もあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
外見年齢十代後半の、栗色の髪が愛らしい美少女だ。ふわふわな髪は肩にかからない程度の長さ。ハシバミ色の瞳は柔らかく自分を見つめ歓迎している。思わずスカーレットは毒気を抜かれた。
「えっと、はじめまして、よろしくお願いします……。って、あなた私専属の侍女って言った? ちょっと待って、何それ」
「はい、本日からスカーレット様のお世話をするようにと仰せつかりました」
お腹は空いてないかとの問いに、スカーレットのお腹がくう、と返事を返した。そうだ、昨夜は散々腹が減ったと喚いていたのだった。
「食事? 嬉しいけど、本当に? 何か毒でも入ってないわよね……?」
国王から断食させろ命令を受けていた身なのでつい疑ってしまう。あと二、三日はこのままかと思っていたのに、予想外に早く助けが来た。極限まで空腹にし、絶対服従を誓わせる魂胆ではなかったのか。
失礼な発言に気分を害した様子もなく、サーシャはふわりと陽だまりのような笑みを見せる。
「大丈夫ですわ。陛下からスカーレット様にお持ちするようにと伺っております。まずは果物から召し上がりますか?」
新鮮な果実がずらりと並べられている。艶々した大きな紫色のググプは、昨日飲んだ果実酒の元になった果物だ。その隣にはピルチムの実。丸くて甘酸っぱく、爽やかな酸味が癖になる。
「それとも湯浴みになさいますか?」
何から食べるか迷っていると、お風呂に入る選択肢も与えられた。そうだ、先にさっぱりしたかったのだ。
多少冷めても美味しく食べられる料理ばかりだと判断したスカーレットは、湯浴みがしたいと頷く。準備万端で着替えの用意をしてくれていたサーシャにお礼を告げて、タオルを受け取った。が、何故か彼女まで浴室について来た。
「スカーレット様、お手伝いさせて頂きます」
「いや、ちょっと待って。あの、一人で入れるからね? それと私相手に様はいらないから」
「何を仰いますか。スカーレット様は未来のご正妃様ですよ? 呼び捨てなど恐れ多い」
「それ認めてないし! お互いその気は一切ないからぁ!」
今のところはなかったはずだ。彼女は早く帰って日常生活に戻りたいし、国王はグラマーなお姉ちゃんが好きだときっぱり告げていたではないか。自分がグラマーになれる日は……残念ながら今のところ、その気配は訪れていない。
脱がしにかかるサーシャに再度待ったを告げて、何とか了承してもらえた。そのやり取りだけでどっと疲労感を感じる。まったく、一人でお風呂にも入れない身分になんてなりたくない。何その羞恥プレイ。軽く死ねそう。
一人で入るには丁度いい大きさの湯船に浸かり、賓客が使っているのであろう石鹸を遠慮なく拝借した。髪も肌もピカピカに磨き、ふわふわのタオルで水分を拭う。基礎化粧品の類も全て揃っているとか、準備万端でありがたい。しかも何この肌の潤いは。高級ローション侮れない。
事前に渡されていた着替えに袖を通した。質のいいワンピースは、生地がしっかりしていて皺もつきにくい。昨日着ていたあのワンピースもそこそこいい値段がしたのだが、これはいくらなのか考えるのも怖い。一枚でストンと着れる服は締め付けが少なく、動きやすかった。サイズがピッタリなのが怖いが、もうそこには触れまい。
着替えて食事をとり、和やかにお茶まで頂いてはっと気づく。
(ちょっと何馴染んじゃってるの、私。サーシャの癒しについ流されそうなってた!)
恐ろしい子、サーシャ。この癒しオーラにどっぷり浸かっていたら、気づけば奴らのいいようにされていそうだ。
危ない、警戒心はどこ行ったの。置き去りになっていた警戒心を再び拾い、スカーレットは彼女の隙を窺う。
給仕をしてくれているサーシャはそんなスカーレットの思惑には気づいていない。ふんわりとした可憐な笑みを見せながら、どのお菓子が料理長の力作か教えてくれていた。
彼女を欺いてもし自分が脱走したら、サーシャは罰を与えられてしまうだろうか……。それは少々、いやかなり心苦しい。
ではやんわりとこの部屋から出て行かせるか、ここから出たいと直球で告げるか、それとも王様に会わせろと言ってみるか……。それともか弱い少女だ、力技でちょっと気絶してもらうのはどうだろう?
(……手荒だけど、それが一番確実かも? 隙を見て彼女の首裏に手刀でも落として意識を奪うとか)
そんな物騒な事を真顔で考えていたら。何かに気付いたサーシャが壁に向かってフォークをスッと投げた。
スカーレットの頬のギリギリ真横を弓の早さで通過したフォークは、背後の壁にグサッと刺さる。ほんの一瞬の出来事。目にも留まらぬ速さだった。
音だけで何が起こったのかを察したスカーレットは、恐る恐る振り返り青ざめる。
垂直に壁に刺さったフォークを、サーシャは困った顔でサッと抜き取った。
「申し訳ありません、スカーレット様。壁に虫がいたものですからつい」
「虫……」
ここにメイドは近くはないこの距離から、直径三センチにも満たない虫を一撃で仕留められる訓練でもされているのかも? いやそんな話、聞いた事もないが。羽がついている虫を、フォークで瞬殺。スカーレットの表情は固まる。
「穴が開いてしまいましたわね……申し訳ありません。後で修繕に参りますわ」
「いや、私なら気にしなくて大丈夫……」
自分は全く気にならないアピールをしておきながら、カタカタと震える手でハーブティーの入ったカップを持ち上げた。
……人は見かけによらないとはこの事か。可愛い顔して、彼女も危険人物とは。
(うん、やめよう。彼女と戦っても絶対敵わない)
むしろやられるのは自分の方だ。
冷めたハーブティーを飲み干したが、先ほどまでとは違い味がさっぱりわからず、いくら飲んでも喉が潤う事はなかった。