Ⅲ.妻の役目
寝言は寝て言え。
最高権力者の言葉は、たとえ冗談でも冗談には聞こえない。
「無理っていうか嫌だし! 私は今のままで十分だから!」
部屋の移動なんて面倒という以前の問題だ。何故異性と同室にならなければいけない。いくら未来の夫(仮)と言えど、物事には順序という物がある。
もっともらしい理屈をつけて訴えるが、ゼルガはあっさり却下を下した。真っ赤になったり真っ青になったり、彼女の表情の変化はいつもより激しい。
そんなスカーレットを哀れに思ったのか、横から助け船が入る。悠然と微笑みながら黙って成り行きを見守っていた侯爵夫人が、ゼルガに説明を求めた。
「正式な婚約式もまだですのに、いささか性急な気がしますわね。スカーレットも様も混乱されているようですわ。理由をお聞きしても? 陛下」
そうだ、理由をよこせ。でも適当に作った言い分を言われたとしても、こっちは絶対頷かないがな! とスカーレットは侯爵夫人に同調しながら内心叫ぶ。決して口には出さないが。
身体をよじり離せともがく彼女を更にがっちり拘束し、ゼルガは不遜気味に口角を上げて笑った。
「いいか、これから夫婦になるのなら、早いうちにお互いの絆を深めて損はない。手っ取り早く共に過ごす時間を増やせばその分距離も縮むじゃねーか。だがそうは言っても、俺の方は政務が溜まってどうも時間が作れねえ。そんなんじゃいつまで経ってもお互い他人行儀のままだし、お前はずっと色気のねえガキのままだ」
「ちょっと最後は余計じゃない!? というかそれって完璧に嫌がらせ目的でしょうが!」
既に他人行儀の域を超えていると思われる気安さだが、賢明にも周りは口を挟まない。黙って成り行きを見守っている。一応この国の王相手に敬語もなしで話せる肝の据わった怖い物知らずは、城内では彼女くらいのものだろう。
しかしスカーレットは最後にしか反応していない。これは嫌がることが前提での命令だ。強制的に同じ空間で過ごさせて、最終的には「慣れろ」と言われた。一体何を考えているのだ、このオッサンは。
「ったく、耳元でぎゃんぎゃん相変わらずうるせぇな。俺はお前を自分好みの女に育て上げるって決めたんだよ。それなら一日でも早い方がいいだろうが」
その発言に、スカーレットは絶句した。たびたび聞かされていたじゃじゃ馬だの、調教だのの発言は、ただの比喩だと思っていたのだが。それは冗談なんかんではなく、まさか本気で自分好みの大人な女にする気か……
(ひいいっ!)
思わず声にならない悲鳴をあげ、スカーレットは無我夢中でゼルガの腕の拘束から抜け出す。数歩距離を開け、身構えた。恐ろしい未来予想図が一気に駆け巡り、背筋に悪寒が走る。
無理、無理無理無理。
こんな歩く変態エロオヤジに調教もとい淑女教育なんてされたら、とてもじゃないが、口には出せない状況に陥りそうだ。
断固阻止。それはまだ早い。あと十年は早い!
気持ちが育つ前に過剰なスキンシップはいらない。先ほど話題になった、国王の娼館通いがなくなった件を思い出しては、はっと気づく。
「そうか、癒しね。美女の癒しが必要なのね! わかったわ、国王様は仕事のしすぎでイライラが溜まってるのよ。普段適当にサボってるけど忙しすぎて花街にも通えないくらいにね。だけど未熟者の私じゃ全く癒しになるどころか逆に一緒にいるとイライラが溜まると思うから、時間が出来たらまた美女とあははうふふな世界に旅立ってきたらどう?」
混乱しすぎて正直何を言っているのか、彼女自身にもわかっていない。ただ妓女の代わりを自分に求められているのなら、きっぱり無理だと言いたい。まだ早い、まだまだ早い。教養も合格点には遠く、芸事や立ち居振る舞いに関しても未だ勉強中。悲しいかな、色気もなければ肉体的な魅力にだって欠ける。
自分で言ってて少々悲しくなってきたが、それが現実だ。目を逸らしたって現状は変わらない。
ぴくりと眉をあげたゼルガは不機嫌顔で腕を組む。
「おい、どこの世界に自分の将来の夫に向かって、娼館に行けと薦める女がいるんだ」
「何よ、めちゃくちゃ夫想いのいい妻じゃないの。私は別に妻でも何でもないけれど! きっとほら、多分国王様は溜まってるのよ、いろいろと。疲れとかその他もろもろ……」
微妙に言葉を濁し、彼女は小さく咳払いをする。そして笑顔ではっきりと、「発散してきたら?」と言った。
「ほう……?」
にっこりと、深く笑みを刻んだゼルガの顔からは、表面的なにこやかな物とは裏腹に怒気と苛立ちが混じる。腕を組み数回首肯した彼は、演説時に民衆に見せる人当たりのいい微笑を浮かべてこう告げる。
「なるほど、そうか。ならばお望みどおり癒しを得るとしよう」
「!」
わかってくれた!
哀んだ眼差しで周囲から見られていることに気づかず、スカーレットは安堵した。よかった、これでいい。予告もなしに近づかれたり、二人っきりで過ごす時間が増えたらドキドキして心臓が大変な事に……
(ん? ドキドキ?)
待った。今のは少しおかしかった。
イライラして血圧が上がりっぱなしで疲れるから、距離をあけていた方がいい。そうだ、そうに違いない。
一人で自己完結させたスカーレットは、周囲からじっと観察されていたが気付かない。当の本人はゼルガから再び声をかけられたことでようやく外に意識を向けた。
彼女の表情から手に取るように思考がわかる。駄々漏れすぎるだろう。そして思惑通りに動くのは、まったくもって面白くない。ゼルガは自分に妓女を買えと言ってきた将来の花嫁が安堵する姿を見て、不敵に笑った。
「疲れを癒し安らぎを与えるのは妻の役目だ。そうだな? 侯爵夫人」
呼びかけられた夫人は優雅に微笑み、肯定する。
「ええ、その通りでございますわ、陛下。夫を愛し夫を支え、時に献身的に尽くし、時に掌で躍らせるのが妻の役目ですわ」
「……最後に余計なのが混じっていないか」
ゼルガはちらりとシュナイゼルに視線を投げたが、息子である副団長は変わらぬ笑顔を浮かべたまま。本当に食えない親子だ。この場に侯爵がいなくて良かったと思えてくる。
そして話の矛先がスカーレットに戻った。にやりと笑ったゼルガを見て、彼女の背筋がぞくっと震える。とてつもなく嫌な予感が!
「というわけだ、スカーレット。お前は今夜から俺を癒し安らぎを与える枕になれ」
「……は?」
枕? 安眠を得るには必需品のあの枕?
裸で寝るゼルガに押し潰されて呻く姿が想像できた。抱き枕の未来は、決して明るいとは言えない。
「じょ、冗談じゃないわよ! 絶対嫌! 私がゆっくり眠れないじゃないの」
「そこが問題ではありませんわ、スカーレット様」
侯爵夫人が静かに突っ込みを入れる。流石にそろそろ黙ったままも辛い。
「さっき夫人も言ってただろうが。夫を愛し、支えるのが妻の役目だ。遠慮なく存分にその身体で俺を癒せ」
「言い方がやらしいのよエロオヤジ! それに省かないでよね。最後に言ってたでしょ。夫を掌で転がすのが出来る妻の役目だって」
そういえば似た様なことを姉のエメルダも言っていた気がする。あの人がいい義兄を振り回し掌で転がす姿は、さすがと言うかなんと言うか。姪っ子にまで遺伝したらそれはそれで末恐ろしい。
「ほお? なら転がしてみせろよ」
できるものならな、と最後に幻聴が聞こえ、スカーレットのこめかみに青筋が浮かぶ。
「永眠を与えてさしあげますわ、国王様!」
言い逃げのようにそう吐き捨てては扉まで猛然と走ったが、ドアノブに触れる前にパッと扉が開かれた。
「おや、走ったら危ないですよ」
「っ! 宰相様っ……!」
げえ、まためんどくさいのが来た!
現れた人物が持ってきた案件は、確かに面倒だった。




