ⅩⅨ.同行許可
暖かい温もりが心地いい。軽くて保温性の高い上掛けは、とろりと沈んだ瞼を優しく夢の世界へ誘った。ふわふわした浮遊感を感じた事も、夢の中で出来事と納得する。王城の寝台に馴染んだ身体だが、この簡易ベッドも狭いながらも寝心地がいい。
ううん、と一言声を漏らし身体をよじった。と、直後、ぐらりと床が傾く。
若干の揺れとその時生じた浮遊感に、スカーレットはがばりと上半身を起こした。何だか変だ。
安定しない床に不安が募る。ちょっと待って、まさか動いていないかこれ?
ゆっくりと床に足をつけて扉付近まで歩いた。そもそも自分が何故寝ていたのかさえ覚えていない。
「あれ、確か風邪と勘違いされて、温まるからって薬湯を飲ませられて……」
薬という名がつくのに苦味がほとんどなかった薬湯は、普通のお茶に感じた。下町や一般的にリーゼンヴァルトで出回っている風邪薬用の薬湯は、ものすっごく苦い。だがその分効き目は抜群で、一晩寝たら汗をかいて翌日にはすっきり完治しているのだ。
風邪薬ではなかったのだろうか。多分身体が温まる成分が入ったお茶を出されたのかもしれない。
よく効くから飲んでと言われ、拒めなかったのは彼があまりにも近くで自分の顔を覗き込んできたからだ。短期とは言え王城に住んでいたので一応美形にも慣れたが、白皙の美貌の青年がたどたどしい言葉で会話する姿はどこか可愛らしく母性本能をくすぐられ、ふいにドキリとさせられる。また至近距離という近さはあまり免疫がなかった。完全に焦り、心臓がドキドキと跳ねてしまったのも仕方がないだろう。スカーレットは乙女で純情なのだ。
「離れて欲しくて咄嗟にカップを受け取っちゃったんだけど、あれって副作用で眠くなるんだ」
風邪薬を飲めば眠くなる。それはそこまで珍しい事じゃない。だが一体何時間寝ていたのだろう? と窓のない部屋を出て他の人間を探した。この状況も説明してもらわなければならない。
「っていうか、ものすっごい考えたくないけど、飛んでる……?」
小さな窓から外を覗く。うわ、嘘でしょう……! と思わず叫んだ。
「浮かんでる……ってか本当に飛んでる!」
「飛ぶのははじめて?」
ふいに背後からかけられた声に反応し、バッと振り返った。先ほどよりも軽装姿のアルが、柔らかく微笑みながら近づいて来る。
窓の外に指を差し、スカーレットは疑問と問題を矢継ぎ早に尋ねた。
「今何時? 私どうして寝てたの? っていうかこれ飛んでるってどういう事? あ、修復できたのよね、それは良かった。でも何で私まで? 散歩なら私が起きた頃にしてくれたらよかったのに……じゃなくて、一体どこに向かっているの」
聞きたい事がありすぎて順序もおかしければ支離滅裂だ。落ち着いてと彼はスカーレットの肩に手を置く。
「動くとあぶないから、ちゃんとすわってなきゃ」
座席に案内され、ベルトを閉められた。安全性は高まっただろうが、焦燥感は募るばかり。むしろベルトを固定された事で余計不安が高まる。このままどこに連れて行かれるのだろうと。
「ねえ、これはどういう事?」
再び問いかけたスカーレットの瞳に、先ほどまでの好奇心はない。自分の知らない間に、知り合ったばかりの人間にどこかへ連れ去られようとしている事は、真面目に考えなくても怖い。
自分から外に出る分には良かったのだ。自分で選んだ道なのだから。だが誰かに強制的に選ばされる道は、拒絶する。
「スカーレット、僕の国にいこう。ショウタイしてあげる」
「え?」
何言ってるの、いきなり。困惑する彼女に、アルは安心させるように笑みを深めた。
「君のしらないモノが、いっぱいあるよ。みたことのないタテモノ、たべたことのない料理、聞いたことのないコトバ。ぜんぶはじめて、しらないモノがいっぱい。それの一つ一つをみせてあげる。僕にヒョウカをみせてくれたように」
「そ、それは嬉しいけど……、でも何で? そもそも私に聞くのが先でしょう? いきなり連れ出されたら、家族が心配するし」
勝手に出て来た身で家族を持ち出すのは少々苦い気分だが、無難な答えだろう。普通なら帰りを待っていてくれる人がいる。一言も言わずに出ていくのは心配されると抗議するのは、当然だった。
「修理がおわって、ためしに飛んでみたら動いたカラ、すぐにかえることになったんだ。山のてんき、今ならいい。また動かなくなってしまったほうが、タイヘン。大丈夫、ウィステリアはそうとおくないんだ。すぐに帰れるよ」
「2、3日の観光旅行って事?」
ニッコリと頷かれて、スカーレットは押し黙る。山を越えた向こう側がウィステリア王国なら、確かにそう遠くないのだろう。飛行船で恐らく半日もかからない距離なのではないか。どの位の速度でこの船が進むのかはわらないが。まだ上昇を続けている事から、山頂を越えてはいない。
「本当に送ってくれるのよね?」
「うん、しんぱいしないで」
柔らかく藤色の瞳が細められる。穏やかな彼の声と空気から、嘘をついていないと判断した。僅かにほっとしたスカーレットは、肩の力を抜く。考えようによっては、こんな機会最初で最後。他国に行って戻って来れるなど、絶好のチャンスではないだろうか。
見たい、知りたいと思っていた事を知れるのならば、何を躊躇う必要がある。確かに一言伝えておきたかったが、王城から飛び出して既に一週間以上経っている。今更二、三日延びたとしても、同じだ。
(旅費は無料って事だしね……。招待してくれるという事は、いきなり金品を寄越せと言ってくるわけじゃないだろうし)
彼等の身分は恐らく高い。金に困っているようには見えない。
寝ている間に勝手に決められた事には苛立ったが、山の天候が変わりやすいのはわかっている。よくわからないが、飛べると判断した時に飛んだ方が、何度も挑戦するよりも壊れる可能性は低そうだ。いきなり上空で落ちたら嫌だが、先ほど聞いた話によると一度飛び上れれば、あまり心配する事もないのだとか。突風や鳥などには注意する必要があるが。
考える事数秒。スカーレットは頷いた。それならお言葉に甘えよう。
ふわりと優しく笑ったアルは彼女の片手を握り、その掌の窪みにそっと口を寄せた。チュッ、とリップ音が奏でられ、自分の掌に目の前の美青年が口づけた事を知る。
「え、えっ?」
ぶわッ……と瞬時に顔が赤くなった。片手で触れれば頬が熱い。しかも口づけただけならず、彼は唇を離した瞬間ペロリと、舌先で彼女の柔らかい皮膚を舐めた。ひぃっ……! 声にならない悲鳴が出る。
「な、なな、な!?」
くすりと微笑むアルは、上目遣いでスカーレットを見つめた。壮絶な色香だ。全体的に色素が薄く、藤色の瞳が印象的な白皙の美貌の美青年。ゼルガやシュナイゼルとも違った色気を持っている。
突然の行為に石化して動けないスカーレットを見つめたまま、彼はあっさり掴んでいた彼女の手を離した。パッと自由になった手を胸に寄せる。湿った感触が生々しい。どうしよう、服で拭ったりするのは失礼だろうか。
驚いたのは実はスカーレットだけではない。近くで様子を窺っていたエドワルドも、傍目には気づかないほど僅かに驚愕していた。額に手を当て呻く姿は、誰の目にも写っていない。
今のは何、どういう意味? たんなる挨拶!? 困惑を露わにした彼女に、アルは意味深に笑うだけ。したかったからそうしたのだけど、驚かせてごめんねと謝られた。
……深い意味がなかったのなら、流すべきなのか。他国の文化で、隠された意味がありでもすれば問題だが、違うのならいい。この程度であまり騒ぐのも、成人している大人として恥ずかしいと思い直した。
(この人、とんだ遊び人かも……)
その魅惑の微笑で一体何人の女性を誑かしてきたのやら。よく考えれば自分の周りにはそんな人種が多いなと思い至ると、何ともいえない気分になる。容姿に優れている男性は、皆女性の扱いに慣れているのだとすれば、要注意なのでは。自分みたいに経験が浅い女は翻弄されて、いいように利用されて終わりな未来が待っていそうだ。それは嫌だ。断固拒否する。
飛行船が山の頂を越えたその時。操縦室から何やら驚きの声が上がった。アルとスカーレット、エドワルドがいる部屋に恐らく副操縦士か護衛役と思われる男が雪崩れ込んで来る。
『――、――!』
興奮気味に青ざめた顔で報告する男と、目を瞠るアルにエドワルド。何を言っているのかさっぱりわからないが、スカーレットにも何か予測していなかった事が起こった事はわかった。
そしてそれはアルが小さく興奮気味に呟いた言葉で、理解する。
「竜……。スカーレット、君のところには、竜がいるのか?」
「え、竜?」
一瞬で顔が引きつった彼女を見て、アルは確信した。伝説上の竜が生息する国。まさかそんな国が存在するなど俄かには信じがたい。
「アル、何があったの? 竜がどうしたの?」
「あらわれたんだ。イマ、おおきなアカい竜が」
何だって!?
ピキリ。スカーレットの身体は、再び硬直した。




