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ⅩⅥ.氷華

 人は、世界はとても広いという。空の青はどこまでも続き、この大陸どころか最果ての地までを覆う。

 空よりも深い青の海は、全ての陸を繋げるという。人が造り出した船に乗り、まだ見ぬ世界を探しに航海する。

 知識も文化も言語も、場所や地域によって全て異なる。同盟を結び外交のある国同士は、他国の情勢にも無関心ではいられない。情報を交換し、相手の国を把握する事は己の中の世界を広げるのと同じ事だろう。

 世界はとてつもなく大きく、書物を読んだだけでは到底全てを把握できない。人が綴った物だけで把握した気になるのも、おこがましいのかもしれない。一つでも多くの知識を吸収し、理解し、自分で考える道を模索する事は悪ではなく、成長の一歩だ。探求心がなくなれば、研究者もいなくなり進化は止まる。いつしか文明は衰退し、人は細々と命を繋ぎながら生活するのかもしれない。

 だけど、いくら広いと言われようと、世界は同時にとても小さいとスカーレットは思う。自分が知覚でき、視認できる範囲でしか人の世界とは存在しないのではないか。

 世界中の人々が小さな幸せを得られる道と、身近な人がうんと幸せになれる道を提示されたら、彼女は迷わず後者を選ぶ。顔も知らない人間の幸せを願えるほど自分は善良ではないし、それよりも彼女が確認できる範囲の人の笑顔が見たい。

 人の幸せなんて皆それぞれだ。誰かのものさしで決められる事ではない。また誰かに幸せにしてもらうのではなく、自分の幸せは自分で掴むものである。自分が不幸なのを何でも国の所為にするのは間違いだとも思う。ただし、それは最低限の暮らしが保障された場合の話だ。

 国民が夢を見られる平和な国造りは、紛れもなく執政者(トップ)の仕事。国が国民の最低限の自由と安全を得られる環境を提供しない限り、いくら幸せを見つけるのは自分次第と言っても限りがある。

 このリーゼンヴァルトはそういう意味ではとても平和で、戦もなく、安定した国だ。日々の食べる物に困る国民は恐らく限りなく少数。貴族と平民の貧富の差はあれど、間近で貧困にあえぐ人をスカーレットは見たことがなく、また聞いた事もなかった。それは何て平和な証だろうか。国を治める王と彼らを支えてきた周りの人間がどれほど尽力を注いできたか、改めて窺い知れる。

 だけど、それでも、何千年続いてきた今がこれから数百年も続くと確信できない。今まで守れてきた事が、恐らく奇跡に近いのだ。

 世界はとても広いけど、自分の世界はとても小さくて、けれど一度でもその広さに触れてしまえば知りたい、見たいと思うのが人の(さが)。現状のままでいいと無理やり納得させ動かないのは、人類の進化に反する。人とは常に学習し、経験と知識を吸収する生き物。死ぬまでずっと学び続けるとは、誰が言った言葉だったか。

 はあ、と呼吸の乱れを整えながら白く染まる息を吐く。ざくりざくりと雪を踏みしめる足取りは、初めの頃に比べて重い。凍てつく風は容赦なくスカーレットの頬をざらりと撫でた。風の音以外に聞こえるのは、己が雪を踏む足音のみ。

 背に背負う大きな荷を背負い直して、磁石で方角を確認した。


 「そろそろ、祠が見えるはず……」


 なだらかな丘を登ると、次第に茶色だった地面が雪で覆われていった。気温が下がり、今では辺り一面雪景色だ。山の中腹ともまだ言えない、恐らく四合目辺りのその場所には、木々の合間にぽっかりと開けた空間が存在する。

 雪山の中で一人、スカーレットは地図を取り出した。風の勢いは弱まりつつある。はらはらと降る雪を視界に写しながら、磁石と地図が示す方向へ再びざくりと雪を踏みしめた。


 ◇◆◇


 隣国の境にある山へは、王都から最短で一週間かかる。山の麓の町までは、列車で五日の旅だ。

 ゼルガと喧嘩別れのようにあの書庫を飛び出したスカーレットはすぐに王城を出た。誰に見とがめられる事なく、あっさり城を抜け出せたのは奇跡に近い。衝動的に飛び出したが、彼女はほぼ本能のまま突っ走っていた。

 城を抜け出す前に先日の夜会用に用意された宝石をいくつか持ちだしたのも、路銀になると恐らく本能で悟っていたのだろう。彼女にどれだけ希少な物を与えたのかは知らない。だがそれでもそこそこいい値段はするはずだ。勝手に盗み出し旅費にした事にはほんの少し罪悪感がわかないでもないが、今までの迷惑料だと思うと打倒な金額だと思う。きっと罰は当たらないだろう。……多分。

 着の身着のまま飛び出し、実家へ戻る事はしなかった。自分がいなくなった事が知られれば、すぐに実家に連絡が行く。姉夫婦を心配させる事も、迷惑がかかる事もしたくはない。いや、きっと城から使いが飛んできたらどの道心配も迷惑もかけるだろうが。

 路銀にした宝石は、店主が驚くほどの希少な石だったらしく、スカーレットの予想を遥かに超える旅費が手に入った。お金は多ければ多いほどいいが、少々じゃらじゃらと重い。列車で王都から少し離れた町で、着替えと一通りの旅道具を購入する。

 必要最低限の荷物を鞄に詰めて、隣国との境である山の麓まで数日間の旅。当初いつ追手が来るかもとびくびくしていたが、三日も過ぎる頃には開き直った。追いかけたければ追いかければいい。捕まえに来たのなら捕まえればいい。出来る物ならな! と、すっかり町娘に溶け込んだ装いでほくそ笑む。

 今の自分はどこから見ても、一般庶民の町娘だ。赤茶色の髪は、茶色が一般的な町ではそこまで浮く事はない。ただし、身軽とは言えない荷物がなければの話だが。

 防寒具類は最後の町で購入した。一年中過ごしやすい気候のリーゼンヴァルトには、冬でも滅多に雪が降らない。だが山にほど近い町なら常に防寒具が売られている。何故なら山の山頂に近づくほど、真冬の攻撃に見舞わされるからだ。

 幼い頃一度だけ登山した経験はある。三合目までなら誰でも登山が可能だ。五合目までになると素人には厳しい環境になる。そして頂上まで行く事は不可能。猛吹雪に遭い遭難する前に、見えない壁が登山者の行く手を阻むという。七合目まで登れたら奇跡なのだとか。それゆえ、険しい山脈を越えられた者は未だにいない。

 内側にいれば守られていると思えるのに、越えたい者にとっては何て邪魔な結界なのだろう。見えない壁など、気づかないだけである意味牢獄と似ている。まさに人は籠の鳥、そして国は竜の箱庭か。

 

 食糧、防寒服に一通りの旅道具を補充した後、最後に寒さをしのぐには欠かせない温石(おんじゃく)屋に入った。こぢんまりとした店内には、大小さまざまな石が並べられている。用途に合わせて使える石をいくつか手に取り、胸ポケットに収まる一番手頃なサイズを選ぶ。

 

 「温度とその保温時間は何日分かな?」


 旅人に慣れているのであろう気のいい店主が、スカーレットが選んだ石を専門の容器に入れながら尋ねた。


 「火傷しない程度に、身体が温まる位の適温でお願いします。時間はそうね、余分にあった方がいいから、二週間」

 「二週間? お嬢さん、氷華(ひょうか)を摘みに行くんじゃないのかね?」


 氷華というのは、その名の如く氷の華。雪が積もる場所にのみ生息する、植物だ。この花は国民にとても好まれ、またその希少性から高く売れる。花を加工し、氷菓子にして食すのが一般的な楽しみ方だ。

 氷華を目当てで登山する人間は沢山いる。だが三合目まで行けば数は少なくても氷華を数本持ち帰る事は出来るだろう。

 スカーレットは考えていた設定を口にする。こう訊かれる事は想定内だった。


 「ええ、氷華を摘んで、あと出来れば(ほこら)にお参りに行きたいの」

 「ああ、竜の祠まで行こうと思っておるのか。それならまあ、念のため長い方がいいの」


 一般的な竜の祠と呼ばれているそこは、四合目のとある洞窟内にある。昔から願掛けをすれば願いが叶うという伝承が言い伝えられていた。

 そこまでの道は、一応登山者向けに整えられてはいるが、やはり雪で覆われている為迷う可能性も存分にあった。案内は皆無ではないが危険な事には変わらない。登山者は遭難に備え、特殊な光を生む遭難信号の発信器を携帯する事が義務付けられる。だがそれは二週間分温度を持続させる温石ほどではないが、そこそこいい値段はする。しかし店主の強い勧めによってスカーレットは一つ購入させられた。

 特殊な機械で温められた温石は、ぽっと橙色に光っている。手袋をはめた手で持ち上げる。温かい湯に浸かっているのと同じか若干高い温度だ。防寒服の内ポケットに一つ、そしてもう一つ小さ目のを別のポケットに収めた。


 真冬の山でも湯たんぽを携帯しているかのように身体は暖かい。

 見晴らしのいい雪原に足跡を残し、真っ直ぐ磁石が示す方角へ向かう。木々の合間を通り過ぎ、スカーレットは山の奥へと深く侵入する。

 分厚い両手の手袋にはぁ、と息を吹きかけ頬に当てた。しまった、温石を購入した後店主が助言したとおり、顔面マスクも買うべきだったか。

 目と鼻と口の穴だけくりぬかれた防寒用のマスクだが、不審者にしか見えないそのマスクを着用するのはどうも憚れた。暖かいふかふかで防水性のある耳当てつきの帽子をかぶれば十分だと思っていたが、いささか舐めていたらしい。あまり寒さに慣れていないため、冷たい風の礫が頬に当たるたびに若干後悔する。

 山の緩やかな斜面をゆっくりと登る。もう少し行けば祠が見えるはずだ。確か祠の近くには、登山者用の休憩場所がある。雨風が凌げる程度の小ぢんまりとした小屋だが、とても重宝されているとか。そしてそこから先には、そのような休憩場所など存在しない。外で休む為には簡易テントを使う必要が出てくる。

 風花がふわりふわりと舞い落ちる。数度瞬きを繰り返した彼女の視界に、ふいに何かが写った。美しく透明なそれは、氷華だ。存在感のある大輪の花から色を抜き結晶化させたような、慎ましくも華やかな印象の植物。勿論、ちゃんと生きている。

 先ほどの店主に嘘を言ったばかりだが、まさか本当に実物を見れるとは思わなかった。生息地はこの山だが、どこなのかは知らない。そしてこの地以外での栽培は不可。種を持ち帰ろうにも、種すら存在しない不思議な花だ。

 水晶の結晶に見える花は、花弁の一枚一枚まで氷で出来ている。繊細で、触れば溶けてしまいそう。だがその花の茎には鋭利な氷の棘が目立った。むやみに引き抜こうとすれば、傷つけられるのは自分達の方だろう。


 「初めて見た、氷華……。凄くきれい」


 こぶし大の大きさの花はとても神秘的だ。繊細な見た目と違いこの花は鋼よりも固い。引き抜くにもコツがあるらしく、素人にはなかなか難しいらしい。

 お湯をかけても溶けない氷華に、特殊に作られた蜜をかければ氷菓になる。落としても割れない氷は、その蜜と溶け合う事で不思議な触感を生み出す。

 まるで口の中でふわりと溶ける氷菓は、特に貴族の間で人気が高い。一般市民も自分達で採りに行けば食べられる。ただし蜜は専門店からそれなりに高価な値段で購入しなければいけないが。


 ずらりと咲き誇る大輪の花は、スカーレットの膝丈まであるだろう。手袋を片方取り、恐る恐る素手で触れてみる。冷たい。そしてこんなにも花弁は薄いのに、噂の通りちょっと力をこめただけじゃ割れそうになかった。

 幻想的な世界に入り込んだものだと改めて思う。真っ白の世界に氷の花。この場には二、三本しか生えていないが、きっと山頂に近づけばその数も増えるのだろう。

 そういえば氷華は神話時代に生まれた花だったらしい。竜の涙が結晶化し、雪の中から生まれたのが氷華。どちらかといえば、涙というより涎じゃないのかと問いたい。あの国王が泣く姿も想像できないし、むしろ空腹で涎をたらす姿の方が容易に思い浮かべられる。現にスカーレットの腹の虫が小さく鳴った。蜜がこの場にないのが残念である。


 「これ一本で確かいい値段で売れるのよね……。一週間分の食費にはなるとか」


 だが今はやめておこう。自分の目的は花摘みではない。それに摘むのならただの氷華より、もっと特別な奴がいい。確か幻の氷華と言われている花が存在する。見た目や形は一緒だが、日に照らすと虹色に光るという美しい花なんだそうだ。値段は十倍で買い取られるのだとか……

 かなり魅力的で心を揺さぶられるが、それは本物を見た時にどうするか考えよう。今は先を急がなくては。


 「しかし温石のおかげで身体は温かいのが助かるわ……保温時間長いわよね」


 凍傷は防げそうなのはありがたい。あとは持ってきた食糧で何とかやり過ごさねば……。空腹で餓死は嫌だ。

 ぽっかりと、目の前に黒い穴が現れた。洞窟のように奥まで繋がっているそれは、まさしく今回の第一目的であった竜の祠。これもまた、神話時代から存在する霊験あらたかな聖地である。

 考古学者の友人を持つ両親が、かつて言っていた言葉を思い出していた。一般的に知られる竜の祠はこの洞窟の入り口で、祈りを唱える事で願い事が叶えられると信じられてきた。実際叶った人間が近くにはいないので、本当かどうかはわからないが。

 しかし実は本当の竜の祠はもっと奥深くに存在すると言われている。光を通さない暗闇に、風の呻り声を聞けば、普通は奥まで入ろうとは思わない。だが両親は言っていた。実はこの洞窟は鍾乳洞になっており、奥には蒼く染まる湖が存在するという。本物の竜の祠として祀られているのは、その湖の傍なんだとか。

 別に湖が見たいわけではない。だがここには隠された抜け道があるという。わざわざ山の頂上を越えなくても、密かに山を突っ切れる道。両親の話と先日書庫で読んだ書物を照らし合わせれば、その可能性は高い。

 荷物の中から明かりを取り出す。携帯用の角灯を取り出し、中に温石とは別の石をそっと入れた。赤いその石は、その特殊な空間に入れた途端燃えはじめる。石が燃えて消えるまで、ずっと灯しっぱなしだ。この大きさなら一つで半日は保つだろう。足許に気を付けながら、ゆっくりと中に進む。

 だが入口からそう奥に入る前に、背後から近付いた誰かに鋭利な刃物をつきつけられる。首元に冷たい感触を感じ、スカーレットは小さく悲鳴を上げた。


 『―――』


 聞きなれない言葉。感情の見えない声。男性という事だけはわかったが、一体何を言われたのかはわからない。

 ゆっくり振り返った彼女の前には、見慣れない服を着た青年が立っていた。

 

 

 

 








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