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ⅩⅤ.議論

 心の底まで見透かす目に、スカーレットの鼓動は大きく跳ねた。何故ここにという疑問は、お互い様だろう。

 ゼルガの隣には、好々爺とした雰囲気の老人が一人。穏やかに目を細め状況を窺っている。見たところどこにでもいそうな老人だが、きっとかなり位の高い人物だ。恐らくここ、見られてはいけない部屋に招ける人。国の中枢にも関わっているはず。

 怯えや動揺を見せたら、飲まれてしまいそう。唾液で喉を湿らし、スカーレットは毅然とゼルガを見つめ返した。


 「見ての通りよ。ここにある本を読んでた以外に何があるの」

 「ならばどうやってここに入った」

 「普通にそこの入り口から。書庫を探索していたら、いつの間にか背後の書棚がずれていたわ。不審に思って中を覗いた。それだけよ」


 無表情で今にも低くうなりそうな様子の雰囲気に耐えながら観察する。やはりここは隠されていた空間なのだ。限られた人間にしか閲覧を許されない場所に、誤って紛れ込んだ自分。その原因が何なのか探る目で見つめられ、居心地の悪い気分になる。名残惜しいがとりあえず今は撤退するべきか。


 「ほほほ、何とも愉快じゃ。さすがは番に選ばれただけはあるよのぉ、王よ」


 微妙な空気を壊したのは、黙っていた老人だった。快活に笑う声に、ゼルガは思いっきり顔を歪める。苦虫を潰した表情で、隣にたたずむ男を見下ろす。邪気の無い、言い換えれば何を考えているのかわからない笑顔で傍観を決め込んでいた老人は、スカーレットに声をかけた。


 「嬢ちゃんはもしかしなくとも、仕掛け本に触れたのじゃろう?」

 「仕掛け本?」

 「そうじゃ、鍵じゃよ。この部屋に通じる為のな」


 思い当たるふしがある。真紅の古びた本と言われ、頷いた。確かにあれに触った直後、気づけば背後にぽっかりアナが空いていたのだ。

 だが続いた問いには首を傾げる。


 「この扉を開けたのも嬢ちゃんじゃろう?」

 「ええまあ、そうですけど……。でも初めから鍵なんてかかっていませんでしたよ?」


 触ったら開いた。率直に答えれば、老人はなおも愉快と言いたげにカラカラ笑う。


 「ほれ見たことか。そろそろお主は認めたらどうなんじゃ」


 肘鉄でもしそうな勢いで、老人はゼルガに問いかけた。眉間の皺が深まる彼は、黙り込んだままだ。


 「素質のある者、条件に見合う者、様々な要因があるが、王に認められし者にしかこの部屋へは入れんのじゃよ」


 王? だがゼルガが認めたようには見えない。訝しがるスカーレットに、老人は一言「初代国王じゃ」とまたわけのわからないことを言う。何の事だかさっぱりだ。

 あまり深く考えても仕方が無いと頭を切り替え、無難にそうですかと流しておいた。

 だが、訊きたいことは山ほどある。この物知りそうな老人なら、答えてくれるのではないか。この部屋に収納されている情報が、どういったものなのか。

 口には出さずとも彼女が言いたい事を正確に察したかつての宰相は、顎髭を指で一撫でする。


 「いろいろ疑問があるみたいじゃのぉ。答えられる範囲でなら答えるぞ?」

 「え?」


 何でも言ってよいと頷かれ、スカーレットは若干戸惑いを見せる。隣で佇むゼルガは仏頂面のまま、だんまりを決め込んでいた。

 情報量が多すぎて、そしていろいろと予想外すぎて、一体何から尋ねればいいのかわからない。だが、一番初めに目についた世界地図を指差して、確認を取る事にした。


 「これ、この世界地図は本物ですか?」

 「そうじゃ」

 「リーゼンヴァルトがアルメリア大陸の一部で、他にもたくさん国が存在するのも?」

 「ああそうじゃよ。一応最新版を手に入れてはあるがの。この大陸以外は、まだ未開の地も多いと聞く。世界地図というても、アルメリア大陸以外は信用度も低かろう」


 それでもこの大陸に刻まれた国名は、両手を使っても数え切れない。恐らく三十は存在するだろう。大陸の全土がどれだけ広いかも、自国の隅々まで把握しているわけではないスカーレットには想像もつかなかった。

 他には? と目が問うている。一つ質問を訊ねれば次々と疑問が湧く。思いつくままに、スカーレットは口を開いた。


 「この部屋にある物は全て、近隣諸国に関する情報ですよね。これらも本物ですか?」

 「そうじゃよ」


 ならどうやって手に入れたのだ。この国は完全に閉じられているのに、一体誰が? 

 それが唯一可能な人物を老人は指差し、二カッと笑った。


 「こやつ以外におるまい」

 「え!?」


 この量を? 全部一人で集めた? いや、物によってはかなり古い物もある。という事はつまり……


 「歴代の国王陛下自ら国を出て集めた物……?」


 そんなバカなと思った事もあっさり肯定される。スカーレットは驚きに目を見開いた。

 竜に変化できるのは国王のみ。近隣諸国……特に隣国の動きを把握するのは国の存続にかかわる。いくら閉鎖され、守られた空間と言っても、何も手元に情報がないのは困る。いつかの、何かの為に、必要だから集めていた情報は、国民に知られる事なく王城の奥深くに眠っていたのだ。


 「月のない朔の晩にな、時折王がこっそり他国に下りては視察しに行くんじゃよ。人目がつかない時間に飛び、一晩他国で過ごし翌日の夜にまたひとっ飛び。王に即位する条件に竜化できるかがあるのは知っておるな? それの理由の一つじゃ」

 「情報収集が自ら出来る者を選ぶという事ですか」


 それだけではなく、勿論強い者に従う自分たちリーゼンヴァルトの国民の性質も深く関わってくるのだが。人格者の兄と情熱家の弟が選ばれなかったのは資質に問題があったわけじゃない。無理だったのだ、単純に。だから補佐に回ることにしたのだとか。言われてみれば、この男は体力が余っているように見える。

 今までの王が集めた情報は膨大な数だ。だがそれでもほんの一部。国交があり、開けた土地なら容易に手に入れられる物。いわば他所の国にとっては一般常識の範疇だろう。普通を知らない自分達にとっては貴重でも、彼等にとっては大した情報ではない。

 技術の進化、文明の発展。発展途上国と先進国でいうのなら、この国はどこの位置にランクされるのか。

 別に不自由は感じていない。自分達で全て補えており、食糧にもエネルギーの援助が必要なわけでもないのだ。これでいいと満足してしまえばお終いだが、本当にこのまま何も知らなくていいとは思えなかった。

 ごくりと唾を飲み込む。じっと己を観察する二人に、思い切って尋ねてみた。


 「ここにある情報の一部……他国の存在を、私達に知らせる事はしないのですか」

 「しない」


 きっぱり断言したのは、ゼルガだ。傲岸不遜に腕を組んだままスカーレットを見下ろす。金色に輝く彼の瞳はとても冷たく、冷徹な王の目だった。

 怯みそうになるのを堪え、彼女は何故と更に尋ねる。苛立たしげに深くため息を吐かれ、スカーレットの肩が僅かに揺れた。

 

 「必要のない情報だと判断したからだ。この国はこれからも変わらず外部からの侵入を拒絶する。あの山を越えようと無謀な真似をする輩はこの国にはまずいない。死ににいくような物だからな。越える術を持たない者達に外の知識を教えて何になる? (ここ)は十分平和だ。知らなくても問題はない」

 

 確かにリーゼンヴァルトはとても平和な国だ。些細な犯罪は起こっても、国を転覆させるような規模の問題は起きていない。数千年ずっと王家が変わる事なく脈々と血が継承され続けているのも、恐らく他国では考えられないだろう。

 ゼルガは畳みかけるように言う。この国の常識はこの国でしか通用せず、また竜の血を引く人間は外では一人もいないと。リーゼンヴァルトが特殊な国なのだ。王は国民を守らなければいけない義務がある。危機に晒すかもしれない可能性を歓迎する愚王は今までいなかったと。


 でも……、それって本当にそうなの? スカーレットは完全には納得できずにいる。

 守られている事はありがたい。争いのない国で特に不自由を感じる事なく笑って過ごせる。それは些細な事に見えて、国が安定していないと得られない幸せだ。

 だが、だとしても何も知らなくていいと勝手に判断されて隠されるのは、自分なら嫌だと反発心が湧きあがった。


 「国王様が言う意味はわかる。でも、私は隠す事は守る事の同義語じゃないと思う」

 「何だと?」


 すっと目が細められた。気迫に押され、一歩後退したくなるのを腹にぐっと力をこめることで留まる。ここで言わなかったら最後、この議論はもうできないだろう。

 

 「世の中確かに知らない方が幸せな事は沢山あると思う。でも、世界を知らなければ幸せだなんて誰が決めたの? 知りたい事を知るすべがなく、疑問に思っても答えが出ない。誰も知らないからと言われれば納得せざるを得なくても、人の探求心は本来なら際限がない物。それを無理やり物理的に無理だからと現状で満足させられるのは違うと思う。私達が笑顔で暮らせるのは確かに守られてきたからだけど、でも守る為に閉じ込められるのは望んではいない」

 「小娘が知ったような口をきく」

 

 静かな怒気を孕んだ声音だった。明らかに自分は彼を苛立たせている。だがここでやめるわけにはいかない。


 「確かに何も知らないけど、」

 「ならば黙って従ってろ!」


 もう用はないと踵を返された瞬間、スカーレットは咄嗟に駆け出しゼルガの腕を取った。ここでいなくなられては困る。

 黙って成り行きを見守っている前宰相を視界の端に捉えながら、彼女は眉尻を吊り上げて詰め寄った。


 「それでもおかしいと思う事はおかしい!」


 歩みを止め、ゼルガは至近距離からスカーレットを見下ろす。鋭い視線に射抜かれながらも、彼女は懸命に言葉を紡ぐ。


 「人が、空を見上げるのは何故? 山の頂をを見つめるのは何の為? 私達が暇さえあれば遠くを見上げるのは、まだ見ぬ世界があるのではないかと夢を馳せてるから。空がどこに繋がっているか私達は知らない。かつて竜だったのなら、尚更自由を求めてるからじゃないの? 

 私達はあなたに、あの山に守られている。でもあの山がある限り、私達は完全で不完全な檻に囚われ続ける」


 好々爺としていた老人の顔色が初めて変わった。「王」と声をかけるより早く、ゼルガがスカーレットの首を正面から片手で掴み、無理やり顎を上げさせる。僅かな苦しさに顔を歪めたが、締められているわけではない。間近で金色の双眸に睨まれる。ぞくりと背筋に冷や汗が伝った。


 「何が望みだ何が言いたい」

 「選択肢を奪わないで」

 「何だと」

 「一般的に広まっている世界地図に大陸の名前。自国の位置さえ私達には知る由もない。他所では当たり前に知っている事を隠す必要がどこにあるの? 国家存続にかかわるような重大な事まで包み隠さず話せなんて言わないけど、知られても問題のない事なら知る権利があるはずよ。全てを知った上で自分の道を選びたい。その為の選択肢を奪わないで」

 

 トン、と首から手を離したゼルガはスカーレットの肩を押した。二、三歩後ろにたたらを踏む。忌々しく舌打ちした彼は、声に感情を乗せた。


 「ならばお前は、この国を開けろと言うのか。隣国とも繋がりを持ち、誰でも入国可能にしろと? その際にかかるリスクをお前はどれほど考えている。伝染病や風土病を他所から持ち込まれる危機、他国で生息する生き物が入り込み、生態系に悪影響を及ぼす可能性だってある。簡単に国を開けろと言うがな、その場合の問題の方がデカいんだよ」

 「それでもこの国はもっと発展するわ! 知識を共有し技術を磨き、疫病も難病も治す薬だって開発されているかもしれない。私達だって病気をしないわけじゃないでしょ。もしかしたら他の人より身体は丈夫かもしれないけど」

 「はっ、丈夫どころか寿命すら違うぞ。一般的な平均寿命が150歳、王族が200、そして竜の血が濃い俺はおよそ300近い。だが他国の人間はそれらの半分も生きられない。平均寿命は70、いや65だ」


 ――わかるか、その意味が。

 リーゼンヴァルトの国民は純粋なリーゼンヴァルトの者と婚姻するなら問題はない。だが他の国に移住し、その現地での人間を伴侶とした場合。生きられる長さも違ければ子孫まで自分達の血が混ざる事になる。竜の血を引く我らをそう簡単に外に出せるかという意味を、スカーレットは問いかけられた。

 

 「どんな奴らがいるかわかったものじゃない。生血を採取され研究に利用され、一生捕獲されたまま亡くなる可能性もありえるんだぞ。国民は竜の血を引いてるなんて知らない。が、どこかで他の人間との違いが現れるはずだ。他国で起こった事まで俺は手に負えん」

 

 一歩外に出たのなら、それは全て自己責任だ。そこまで自分達は王におんぶにだっこをさせるつもりはない。

 もしかして、竜の血を引いている事を教えないのも、余計な危機を回避する為だったのか? 初代国王が竜だったというのも神話の話だと信じているのは、その方が後々安全だから? 

 言っている意味はわかる。だけど、無性に腹が立った。さっきからゼルガが言っているのは、悪い方向への可能性。得られる物も確かに大きいのに、自国だって潤うのに、変化を恐れている。それがとても苛立たしい。


 「ならば外から侵略されるのを戦々恐々と待って、怯えて暮らせという事ね」


 内側から出て行くか、外から攻められるか。後者は時間の問題だと、この場の資料に目を通しているならわかっているはず。

 飛行船で空から侵入されたらおしまいだ。神話時代に張った結界が国全体を覆っているらしいが、それがどの位有効なのかなんて誰も知らない。張った本人はとっくにこの世を去っている。


 「危険だ何だと言って、国王様まで先代の王様みたいに現状維持でいいと考えているわけね。え~え、確かに築き上げて来た物が崩れる可能性を考えたら怖いものね。まったく、とんだ腑抜けた腰抜け野郎だわ。かもしれないかもしれないって悪い方ばっかり、いい加減イライラする。もう結構よ」

 

 出口へ続く扉はゼルガが塞いでいる。だが構わず彼女は「退いて」と言い、隣りをすり抜けようとした。


 「待て、どこへ行く」

 「あなたの声が届かないところよ、保守的でケツの穴の小さい変態露出狂の国王様。一人で生きる化石にでもなってればいいわ」


 もう用はないとばかりに、スカーレットは出口へ向かう。腹立たしく腹の底から怒りがふつふつ湧いて来るのに、同時に言いようのない物悲しさに見舞われていた。言葉が通じない、理解されないもどかしさを初めて知った気分だ。

 残された彼等がどんな会話をしていたかなんて、彼女にとってはもうどうでもよかった。


 ◇◆◇


 「耳に痛い内容ですな、王よ」


 手近にあった椅子を引き、前宰相のセオドールは腰を掛けた。深々とため息を吐く老人に、ゼルガは忌々しい面持ちで舌打ちする。


 「あいつは何もわかってない」

 「ええ、わかってはいらっしゃらない。我らがどんな想いでこの国を幾度脅威から守って来たか。じゃが、あれは紛れもない国民の本音ですぞ。誰も打ち明けはしないだけで、心のどこかで持ってる正直な声じゃ。確かに知らなければ幸せだと思うのは我らの勝手かもしれぬ。嬢ちゃんが選択肢が欲しいという気持ちも、わからんではないの……」


 実に耳に痛い。数千年守り続けて来た歴史も全て壊すかもしれないというのに、さらりと言ってくれる。自分の代で国を亡ぼすわけにはいかないのだ。慎重になるのも当然だろう。


 「あれは当分厳重に見張りをつけておく」


 ――だが、その案は一足遅かった。

 


 



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