ⅩⅢ.一休み
「おっどろいたわよ~! あんたどこに消えたのかと思いきや、まさかあそこから現れるんだもの」
貴族令嬢らしからぬ口調で、レイラは果実酒を飲み干す。口調はアレなのに、酒を呷る所作は麗しい。遠目から見ている分には、彼女の猫は剥がれていないだろう。
喉が渇いていたスカーレットも、シャンパングラスに入った果実酒に口をつけた。半分ほど一気に飲んだ所で、ようやく一息つける。広間の隅っこの、人の邪魔にはならない場所でなら、本音を言えそうだ。ただし小声で。
「大変だった、本当に大変だったんだよ。もう何でこんな事に……」
「詳しく聞かせてもらいたい所だけど、長そうだからそれはまた後日。で、本当なの? あんたが陛下の番だっていうのは」
小声で話してはいるが、これをこの場で否定する事は出来ないだろう。どこに人の耳があるかわからない。
視線を彷徨わせつつ、スカーレットは小首を傾げた。
「さ、さぁ……? 国王様がそう言ったのならそうなのかも」
こっちは断固拒否したいがな! というのも心の中に抑えておく。本当は言ってしまいたいが、やはりこの場では――以下略。
人目を忍ぶように広間から繋がる庭園に出た。といっても人気がないわけではない。いたるところに警備の目があるので、安全面も大丈夫だろう。
近くの東屋に入り、ベンチに腰掛けた。賑わう喧騒が僅かに聞こえる。静かな声で、スカーレットはエメルダに説明したのと同じ内容を伝えた。やはり全部言いたくてもどこまで大丈夫かがわからず、説明するのは骨が折れたが。何せレイラもエメルダもとても鋭い。
「何となくわかったけど、しかしあんたがねぇ~……。大丈夫なの、番だなんて。今いろいろと周りが騒がしくなってきているって時に、どさくさに紛れてぐさっなんて」
「え? 何?」
独り言のように呟かれた為聞き取れなかったが、レイラは頭を振ってそれよりもと続ける。
「歴代の王妃様の中には身分が低い方も確かにいたけど、あのお嬢様たちみたいに親切心を出すフリしてあんたを蹴落とそうとする人間もいないわけじゃないのよ」
「あ、やっぱり邪魔に思われてたんだ私……」
警戒心をほどくことはしなかったが、はっきり味方の振りした敵といわれると少々悲しい。あんな可憐なお嬢様方も、一筋縄ではいかないのだ。
「わっかんない……。王妃の座なんて私にはいらないんだけど」
「王妃になりたいのはもちろんだけど、陛下の寵愛を受けるあんたに対するやっかみよ」
「……」
それは激しくいらない。そして誤解だ。自分と国王の間には色っぽい事情など欠片もない。完全な嫌がらせだろう。何て性質の悪い事をするのだあの男は。
「あ、でも今日って国王様の誕生日だっけ? そうか、酔ってたのね」
朝から酒臭いこともるので、その可能性があった。酒好きな彼が飲まないはずがない。竜はお酒に強いという勝手なイメージがあるが、多分ほろ酔い気分だったのだろう。
呆れたため息を吐いて、レイラはスカーレットを見つめる。
「王家の人間はザルだって噂よ~。多分あんたより強いはず。あんなことまでするくらいだから、少しは気があるって思ったらどうなの」
「どういう意味?」
番、すなわち婚約者と発表したことではなく、あの首をがぶりと噛まれたことだとすると、何の意味があるのか。さっぱり自分にはわからない。もしかして先ほどのご令嬢達もその意味に気付いて、それで自分に絡んできた?
目をぱちくりと瞬かせたレイラは、「知らなかったの?」と驚く。だがすぐに納得したように頷いた。そういえばこの話は一般的に出回っていない。古い慣習、今では貴族の間にしか知る人間もいないだろう。
「あのね、異性の首筋を噛むっていうのは、……」
彼女がスカーレットに説明をしようとしたその時。近くで物音が響く。条件反射で振り返れば、東屋の入り口に噂の本人が立っていた。腕を組んで柱に肩を預けるその様は、月明かりの下だからか、なかなか絵になる。きちんとしていれば、確かに若い女性が憧れる魅力的な男なのだ。普段が残念すぎてわからないが。
「……っ、国王陛下」
さっと立ち上がり礼をするレイラはさすが貴族としての教育を受けている。座ったまま「げ、国王様何で」と言うのはスカーレットくらいなもの。噂をすれば影とは言うが、いささか早すぎないか。
はっきり顔に邪魔と描いたスカーレットを一瞥してから、ゼルガはレイラに視線を移した。顔を上げさせ、声をかける。
「グランツの所の娘か。スカーレットと親しいというのは本当なんだな」
「はい、お初にお目にかかります。レイラ・クリスティー・ヨハンソンと申します」
その後貴族らしく祝辞を述べたレイラに、スカーレットは称賛の眼差しを向ける。あんな風にころっと切り替えが出来るなんて、ある意味才能だ。自分には数年かかってもできそうにない。
ゼルガもいつも見せる顔とは違う、完全に国王としての皮を被っていた。一人称も違う。ざっくばらんに話す口調ではなく、だが横柄さを感じさせない。こうして見ていると、美男美女に見える。普段の残念な変態っぷりをこうも隠されると、どこかかっこよく見えるから不思議だ。
(いや、詐欺だ)
そう思っているのはお互い様だが。
ぽろりと正直な感想が漏れる。
「お似合いね」
身分も自分よりはるかにつり合いが取れて、一枚の絵画になるほど麗しい。完全に猫かぶり中だが、おしとやかに微笑む親友は庇護欲を誘う儚さも感じられ、文句なしに可愛い。中身を知らなければ見惚れてしまうであろう営業用のゼルガも素敵な美丈夫。素がばれれば一瞬で壊れる脆い好感だが、今の所大丈夫そうだ。
「何だ、嫉妬か?」
ニヤリと僅かに意地悪げに笑うゼルガに、スカーレットは嫌そうに頬を引きつらせた。彼女だけは唯一二人の素を知っているので、別に取り繕う必要はない。
「心配は無用よ、スカーレット。私も番と思える男性に出会ったから」
「え、本物?」
「多分そうだと思う。直感でお互い感じたから」
うふふ、と微笑んだ親友に「誰!?」と問いただせば、何とあの日スカーレットがシュナイゼルに連れ出された時、彼女に話しかけていた騎士だという。くらりとスカーレットは眩暈に見舞わされた。
「私が拉致られた時、あんたはちゃっかり出会ってたって事……。何この差……」
「あら、あなたこそ。陛下に出会えた幸運な日になったじゃないの。お互い忘れられない日になりそうね」
(あんたとは別の意味でね!)
心の涙は見せないが、親友の幸せそうな顔が眩しすぎて直視できない。隣からちゃっかり腰を抱いてくる男の手を思いっきりつねってやりたい。いや、やってしまおうか。だって目撃者はレイラのみだもの。問題ない。
「ところでさっき、二人は何を話していたんだ?」
話を戻したゼルガにレイラは意味深に笑った。スカーレットの首元にさっと視線を投げただけで、彼は察したらしい。月光の下、青白く浮き上がるスカーレットの首だが、痕は特に残ってはいなかった。苦笑めいた笑みがゼルガの口から零れる。
「ああ、それか。いや、悪いがそれに関しては黙っていてもらえるとありがたい」
「心得てますわ」
くすりと笑い目で語り合う二人にさっぱりついていけない。スカーレットの腰を抱いたまま、ゼルガはそろそろ戻ると告げる。
「ああ、レイラ嬢。あなたの番はすぐそこの警備にあたってますよ。今なら挨拶が出来るはずだ」
「まあ陛下。ありがとうございます」
優雅に去るレイラの後ろ姿を見て、スカーレットはまた孤独を感じる。ああ、味方が去ってしまった。
にこやかに彼女を追いだしたゼルガは、相変わらず腰を抱いたままスカーレットを連れて城内への道を歩む。
「さて、帰るぞ」
「帰るってどこに」
「部屋まで送るって言ってんだよ。疲れたんだろ?」
思いっきりへとへとだ。もう今すぐ寝たいし、ドレスも脱ぎたい。頷いたスカーレットは、未だに密着している不埒な男の手をぎゅむっとつまんだ。
「許可なく触れないでいただけますか。油断も隙もない」
「婚約者をエスコートしない方が問題だろうが」
「誰が婚約者よ。勝手に決めないで。それに、何なのよあれは。いきなり何の事前説明もなく連れて来られたと思ったらあの紹介って! 訳わかんないし嫌がらせにしても酷くない?」
これから出歩くのにも護衛が必要になったらと思うと、背筋が寒くなる。出されるご飯に毒が……なんて事もありえそうだ。嫌だ、そんなのは。恐ろしすぎる。
「嫌がらせじゃないぞ」
腰からは手を離したが、肩を抱き続けるゼルガがそう答えた。歩いていた足が止まる。見下ろす金色の瞳はからかいも意地の悪い光も宿していない。だがだからこそ余計その言葉は不審に思えた。ぴくりと彼女の眉が上がる。
「じゃあ何よ」
真面目な顔で逡巡するゼルガは一言。
「気まぐれか? ぐふッ」
「やっぱり最低だ!」
抱かれていた手を振りほどき握りこぶしでみぞおちを一発。大したダメージを与えられない事が悔しいが、顔を狙わなかっただけありがたいと思え。
早足で自室に戻ったスカーレットは、むしゃくしゃしたまま一人でドレスを脱ぎ、化粧を落としてベッドに潜った。
一瞬でもかっこいいかもしれないと思ったのは、やはり錯覚だったらしい。




