Ⅹ.帰省
帰ろう、帰ってやる。そう思っていたら、あっさり帰って来れてしまった。誰に咎められる事なく――というか、ばったり遭遇した宰相からまさかの許可が下りて。
「暫くゆっくりされるのもいいでしょう。ご実家まで送らせて頂きますね」
絶対反対されると思っていた。まさかの拍子抜けである。治安がいい王都でしかも昼間なのにも関わらず、ご丁寧に護衛係の騎士まで派遣されての帰宅。目立つから一人だけでいいと言い、送り届けた彼にお礼を告げた。
「また迎えに上がります」との言葉には、結構だとはっきり断る。もう戻るつもりはないのだ、あの城へは。
お世話になったサーシャや侍女、侯爵夫人などに挨拶もできなかったのは少々心苦しいが、落ち着いたら手紙を書けばいいだろう。感謝の気持ちをこめて。
すう、と息を吸い込み見慣れた我が家への扉を開ける。たった三週間なのに、一年以上不在にしていた気分だ。客でにぎわう声を聴きながら、スカーレットはただいまと声を上げる。
注文を取っていたエメルダの目が見開かれた。続いて馴染みのある常連の客が振り返る。
「スカーレット!? あんた何でここに。どうしたの」
「うん、帰って来た。ごめん、今手伝うね。すぐ着替えてくるから」
思えば今の自分の服は、シンプルながらも上質なドレスを纏っている。派手さはないが、普段着とは言い難い。これでも質素な物を選んだのだが、あの場所での慣れとは恐ろしいと居たたまれない気持ちになった。
二階の居住区に駆けあがり、自室へ向かった。埃っぽさは感じられない。きっと不在中も換気をしてくれていたのだろう。
城に滞在していた部屋とはくらべものにならないほど、狭く小さな部屋。だがこれが彼女の城なのだ。好きな物を詰め込んで、彼女なりに可愛くアレンジした内装。窓際の花瓶は空だったが、ここもすぐにまた花壇から摘んだ花で満たそう。
簡素なワンピース姿に着替え、前掛けのエプロンをつける。髪を一括りにまとめていると、背後から小さな少女の声が聞こえた。
「レッティ? レッティー!!」
手に持っていたぬいぐるみを放って駆け寄って来る可愛い姪を抱きしめる。少し見ぬ間に大きくなった気がする。そろそろ抱き上げるのはきついなと思いつつも、スカーレットはぐりぐり自分を抱きしめてくる少女を抱きしめ返した。
「どこ行ってたの! さみしかったよー!」
「ごめんね、エミリー。寂しい想いさせちゃって。でももう帰って来たから、また一緒に遊ぼうね」
「うん、おかえりなさい」
エメルダは娘に自分がどこに行ったか告げなかったんだろう。それが賢明だ。下手にお城に行っているなど幼い子供にばらせば、無邪気な子どもの口から他の人間にも伝わる。
後で姉にどう説明していたのかは訊いておくとして、スカーレットはそっと彼女を抱きしめる腕を解いた。落ちていたぬいぐるみを拾い、ぽんぽんと埃をはたく。
というか、このぬいぐるみ。よく見ればあのぶさいくな赤い竜じゃないか。ぺろりと口から舌を出していて、愛嬌はあるが可愛いとは言い難い。こんなの持ってたっけ? と首をひねりつつもエミリーに渡せば、彼女はぎゅむっとそれを抱きしめた。
赤い竜を抱きしめる可愛い姪。本物の赤い竜に抱きしめられた可哀そうな自分。何て雲泥の差だろう。本物の変態竜に抱きしめられてた感触は、幼い姪を抱きしめる事で上書きした。
お店に戻ると、馴染みの客からも声がかけられる。あと一時間ほどでお昼の営業も終わりだ。エミリーには自室で絵本でも読んでてもらい、スカーレットは出来たての料理を運んだ。
「スカーレットってば、花嫁修業に行ってたなんて本当なの?」
臨時で店を手伝いに来てくれていたアデルを盛大に振り返った。水をグラスに注ぐ彼女を凝視する。
何だ花嫁修業とは。姉はそんな風に自分の不在を説明していたのか。
行き先が王城だなんて誰も思わないだろう。親戚の家にとでも言うのが無難かと思いそう告げると、嫁に行く予定があるのかと突っ込まれた。
(うっ、困った。行く予定はさっぱりないけど、下手な事は言えない……)
「がさつなこの子もちょっとは女らしい教養を身につければ、嫁の貰い手も見つかるかもしれないでしょ」
そう助け船を出したのは、エメルダだ。がさつとか聞き捨てならない事を言っているが、アデルはあっさり納得したらしい。助かったが待て、友人。
「それは大変ねー。で、今は休暇中か何か?」
「ま、まあそんな所かな……」
姉の追及する眼差しが痛い。背中に穴が開いてしまう。本当にそうかと疑っているのだろう。
流石長年共に過ごしてきた姉だと感心しつつも、どこまで彼女には曝露するべきか決めかねていた。国家機密である竜云々は言わないとして、国王が変態とか露出狂とかスケベな朝帰りのおじさんとかは言っていいのだろうか。いや、多分いいと思う。身内だけの話だし。
洗いざらい話してもらうわよ、という無言の圧力を感じつつも無事、お昼の営業は終わりを迎えた。
ことり、と目の前に置かれるのは、大好きな姉お手製の手作り美容茶である。ほのかに甘いのに美容効果が高く、お通じもすっきり、お肌艶々だと評判だ。このお茶だけを買いに来る客もいるほど、お茶の売り上げは右肩上がりである。
妹の自分もはっきりとした作り方はわからないお茶を飲みほし、一息ついた。朝からバタバタしすぎていて、正直混乱しているのはお互い様だと思う。
まずはあの日お祭りに出かけた後の事からだが、国王が竜だったなんて話は省いて、広場にいたら騎士に拘束されたと告げた。エメルダが素っ頓狂な声をあげる。
「はあ? じゃあなに、あんな大勢の中で陛下はあんたを見つけてビビって来たってわけ?」
「ビビッかどうかはわからないけど……多分? いや、番と決まったわけじゃなくて、その可能性が高いから暫く傍にいてくれと側近の方々に頼まれたというか」
まずい、ここで自分は陛下の番に選ばれたと断定すれば、もう逃げ道はない。嫌だそんなのは、断固拒否する。
限りなく真実に近く、隠す所は隠し、なおかつ自分の意見もしっかり伝えるのはなかなか難しく疲れた。一応家には通達が行っていたので大方の状況は把握していたのは助かったが。つじつまが合わない事を言うわけにはいかないので、詳しい事を言う前に先に尋ねた。
げんなりした様子の妹に、エメルダは労わりの言葉をかける。
「まあ、あんたも大変だったわね。正直いいんだか悪いんだかわからない大事に巻き込まれて。貴族でも何でもない平民の私達が、いきなり王族の仲間入りになるかもしれないなんて、恐れ多くて無理だわ」
味方もいないに等しい環境。心細いだけではない。邪魔に思う輩だっているだろう。
(既に邪魔に思われてたりして……。まだ公にもなっていないけど)
公になった時が自分の命日か……。ぶるりと背筋が震える。
不安に思うスカーレットに、エメルダはアドバイスを与えた。
「とりあえず、一人でも多く味方を作りなさい。そうすれば居心地も少しは良くなるでしょう?」
「味方……」
城勤めをしている者は皆国王の言いなりなのではないだろうか。だが確かにサーシャや他の侍女たちは、自分に良くしてくれていた。いろいろとフォローに回ってくれる事も多かった。まああれは、主があまりにも目に余る行動をしているから、同情されていたのかもしれないが……
「番ってまだ決まったわけじゃないならいいじゃない。聞くところによると、二人共別にタイプってわけじゃないんでしょ? どんな条件に当てはまったからあんたを候補に入れたかわからないけど、それなら他にも現れるかもしれないじゃない」
いや、もういないらしいですよ? 竜が見えるぴったりの女性は……
しかし余計な事を言って彼女を心配させるのも憚れた。スカーレットは安心させるように微笑みかける。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしまして。悔いのないようにねと言いつつ、あんたが王妃なんて絶対無理だから早く帰ってきなさいね。ヨシュア君以外にも求婚者がその内現れるって」
それは慰めになっているのだろうか。現在子供にしか求婚されない自分って……と一瞬遠い目になりつつ、姉の励ましを素直に受けた。
◇◆◇
夜は大いに盛り上がった。昼間来ていた常連のおじさんが、スカーレットが戻って来た事を飲み仲間に伝えたらしい。近所のおじさんおばさんが集まり、一気に宴会場へと変わった。
店内は三十人ほど収容できる。カウンター席が六席に、四人掛けテーブルが六つの小ぢんまりした店は、ほぼ貸切状態。彼等は珍しい酒まで持ってきてはスカーレットと飲み比べを始め、実に楽しいひと時を過ごした。
「大丈夫だって! 嫁の相手がいなくなりゃあ俺んところの倅が貰ってくれるよ」
「えーおじさんところの息子って確かもう三十過ぎてない? まだ独身だったっけ?」
ぐびぐびとジョッキを呷っていると、目の前の男がぱたりとつぶれて寝息を立てた。ヤッタ、勝った! と内心満足し、ぷはーと息を吐く。彼は暫く店の端っこで寝かせるとして、隣から声をかけてくるおじさんに耳を傾けた。
「おうよ、独身独身。若い時に押し切られて結婚しちまったがな~去年女房に逃げられて今じゃ一人よ」
「ああ、若い男作って出てったって嫁でしょ? 男の純情弄んで酷い女だねぇ~」
手伝いを申し出てくれたおばさんが、酒の肴をテーブルに置く。既に顔が赤いおじさんは、うんうん頷いた。
「あいつぁちーっとばかり優しすぎるんだよなぁ~。ガキの頃から頼られると断れないというか、張り切るというか。女にも押しに弱い。スカーレットみたいにしっかりした嫁さんなら安心なんだがなぁ」
「えーじゃあ候補に入れておいてもらおうかな」
その息子は遠方に住んでる為、顔もほぼ覚えていないが。酒の席の話だ、本気にはされまい。
店の閉店時間が過ぎるまで、飲んで食べての宴が続いた。
しっかり後片付けを手伝った後、ようやく就寝出来たのは深夜二時を回っていた。疲れた身体がベッドに沈む。王城のベッドとはくらべものにならないほど狭くて硬いが、長年愛用してきたベッドだ。すぐに彼女を夢の世界へ誘った。
そして翌朝の早朝。バタバタと駆け上がる騒がしい音で、スカーレットの意識は夢の世界から浮上する。
若干二日酔いなのは、久々に飲み過ぎたからか。おっちゃん達強すぎ……と鈍く痛む頭に寝たまま手を添えていたら。ノックもなしに扉がバタンと開かれる。
「スカーレットー! た、大変よっ……!!」
化粧前でも美人な姉は、寝間着ではなかった。動きやすい簡素な服を身に着けて、青ざめた顔で部屋に入って来る。
「う……うるさい……。何、お姉ちゃん」
「あんた、暫く休暇中だったんじゃなかったの!?」
「は?」
何を言っている。自分は確かに実家へ帰ると言って、宰相がそれを認めてくれた。確かにいつまでとは言わなかったが、まあもう戻るつもりはないし。数日はゆっくりと静かに過ごせるはず……
――と思っていたのは、甘かった。
自室の開け放たれた扉から、ありえない男の声が聞こえて来る。
「この時間には起きてるんじゃなかったのか」
油が切れたおもちゃのように、エメルダと共にゆっくり首を回した。
黒のトラウザーズとシンプルな白いシャツをちゃんと(←重要)着こなした赤髪の美丈夫が、扉に背を預け呆れた視線を向けてくる。
無精ひげはそのままの、だが上半身は裸じゃない男は、紛れもなく……
「っ……!? 出たー! 変態ドスケベ男ー!」
「誰が変態だじゃじゃ馬」
スケベは否定しないんだ……、と思ったのは、第三者のエメルダだけである。




