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エレクトロ ガールフレンド

エレクトロ ガールフレンド 〈後編〉

作者: ぽこ

「おかえりなさい」

玄関のドアを開けると風花が珍しく出迎えてくれた。

「待ってたよー。今日はカレー作ったんだ。あとアボカドサラダとサーモンのマリネ作ったの。いいオリーブオイル買っちゃったからさ」

風花が鼻歌を歌いながら僕の前で料理をテーブルに運んでいた。料理が全てテーブルに並ぶと、風花が「いただきまーす」と言って、頬いっぱいにカレーを詰め込んだ。

「どうしたの貴くん。元気ない?」


先程、恵にも言われた台詞だった。僕はかなり悔やんでいた。恵に隙を与えたことを。いくらでも僕はケータイ番号を入れる恵の行動を静止することができた。それをしなかった自分の行動、頭の片隅に生まれた意思に吐き気がしそうだった。

風花は「無理して食べなくて大丈夫だよ」と言って気遣う。風花が作ってくれた料理を一口も食べないなど失礼なことをする訳がなく、作業のように口に運んだ。

「おいしいよ。ありがとう」

乾いた声を出してしまったと思う。風花は素早く僕を風呂に入らせ、早く寝たほうがいいと僕をベッドに誘導した。僕がベッドに入ってから眠りにつくまで、風花はオーディオプレーヤーの前に座ることがなかった。挿絵を書きつつこちらを見ていたのが、瞼を完全に閉じる前の風花の姿だった。


次の日、喜ばしいニュースが僕の耳に入った。それは会社の昼休みに同僚から知らされた。

「斉藤の彼女すごいな」

「なにが?」

「やはり知らなかったか、そうだと思ったんだよ。お前の彼女わざわざ報告するとは思わなかったから持ってきてやったよ。俺の姉の買ってる雑誌」

突きつけられた、OL向けの女性ファッション紙に4コママンガが載っていた。作家名、ひつじふーか。パステルカラーで塗ってあるその絵は、間違いなく風花のものだった。

「連載だって。出世の第一歩、良かったじゃん」

痛みを確実にくらう程強く肩を叩かれた。同僚の林が言う通り、良かった。風花が有名なイラストレーターになるのに近づいた、喜ばしいはずのそのニュースに、何故か笑みが出なかった。むしろ頬が硬直して、胸に隙間風が入るのを感じた。これから営業があるというのに手も足も重かった。


家に帰るといつも通り、笑顔で風花が夕食を作って待っていた。まだ元気のない僕を気にしてか音楽を聴くこともなく、テレビを観ていた。しばらくすると食器を片付け、皿洗いをしにキッチンに行った。玄関を開けてから会話を交わしたのは2回だった。「ただいま」「おかえり」と、「食欲ある?」「うん、ありがとう」。


風花が「DVDを借りに出かけに行こう」と誘う。しかし「今日も早く寝る」と言って断った。言葉通り早くベッドについた。自分がこんなにも子供だと思わなかった。プライドが彼女の前だと立たないことは薄々気づいていたが、ここにきて証明されてしまう。自分の性別が男なのか疑問符がつくくらい、僕は女々しかった。こんな気分を、こんな気持ちをどうにかしたい。手元に置いてあるiPhoneが僕を呼んでいた。藁にもすがるような気持ちで掴む。


仕事終わり、会社から二つ離れた駅のスターバックスの前で待ち合わせることになっていた。青いトレンチコートに白いマフラーを巻いて彼女は立っていた。

「こうなってくれるって思ってた」

待ち合った第一声の台詞はやけに明るく無邪気だった。

「さて、行こっか。美味しいお店があるの」

恵が腕を絡めてきた。僕達は人混みに混じる。すれ違う人々は僕等をどんな風に見ているのか…言うまでもなく恋人同士に見えるだろう。同じ年くらいの男女2人が腕を組んで歩いているのだから当然だ。風花と歩いているよりそれっぽく見えるだろう。風花は6つ下で背が低く化粧っ気もあまりないため、僕の妹だと思う人もいるかもしれない。カップルの華やぐ会話が聞こえてくると胸が擦りむいたように痛くなった。


ダイニングバーで食事をした。柔らかいオレンジ色の証明に照らされた店内は小洒落ていて、カジュアルな雰囲気もあった。テーブルの真ん中に置かれた蝋の火がゆらゆらと揺れる。ほのかな火の灯りが、目の前の恵の顔をぼやけさせた。

何の会話をしたかはあまり覚えていない。多分、他愛ない話ばかりだったように思う。風花の話はしたくなかったし、自分の感情を恵に吐露するのは絶対に避けたかった。風花の顔が浮かびそうになるたび仕事の話でかき消した。冷えに冷えているはずのビールを口にした時、ぬるさを残しながら喉を通っていった。

テーブルの上の皿が全て片付けられてしばらくした頃、恵が挑発するような目つきで僕を見てきた。酔ってきたのか頬に手を触れられた時、僕は本能のままに恵の顔に近づき、ピンクのグロスのついた唇に唇を重ねた。


「私の家ここからすぐなの。くるでしょ?」

これ以上罪を重ねたくないという気持ちがあった。しかし、こんな展開に導きさせたのは紛れもない自分で、情けなさと悲しさと途方もない嫌悪感で頭がおかしくなりそうだった。もうそれを性欲に代えて吐き出して、まるで無にするかのようにしたかった。


「またね」と言った恵の声を後ろに部屋を出て終電で帰ってきた。彼女以外の身体に性欲を吐き出した結果、有難いことに気持ちが無になってくれた。深夜1時過ぎ、風花はもう寝てるだろう。終電で帰ってきたのは先月の飲み会以来だ。

玄関のドアを開け静かに締める。風花は悪い夢でも見ているのか眉をしかめて寝ていた。僕はコップ一杯の水を一気飲みして、軽くシャワーを浴び、ベッドに入った。


風花より先に目が覚めた。寝起きの頭が冴えたと同時、風花の寝顔が視界に入る。朝になって再び罪悪感が襲ってきた。二日酔いなのか吐き気もあった。昨日はこんなにも情けない気持ちになるくらいなら、いっそ風花と離れようかというところまで意志が動いていた。しかしそれは酔いまかせの気持ちであったことを実感させる。風花の寝顔を見たら、胸底から一気に湧き上がる「愛しい」という感情。

風花を愛しているのに僕は浮気をした。頭の中か心の中か、「浮気をした」という台詞が自分の声で幾度もうねるように巡った。


「貴くん、今日もまた。いいのに」

白い箱の中にはケーキが2つ。風花は受け取り、箱をしげしげと見、それから僕を見た。昨日はシュークリームで一昨日は有名な店のマカロン。菓子を買ってくるだけで自分のした行為が許されるとは全く思っていなかったが、何かせずにはいられなかった。今の僕に風花を抱きしめてキスをする資格はなく、あれから風花の身体に触れていない。


このままではまずいと思っていた。しかも風花はあれから何故だか音楽を聴かなくなった。ますますそれが苦しく僕を追い詰める。風花の好きなバンドの新譜を買ってきても、僕がいる間は聴かない。風花のあれだけ好きだった時間を奪ったようだ。会社から帰ってくるたび、薄情して土下座して謝ろうと思うが、告げた後のシュミレーションで尻込んでしまう毎日。僕の様子はあからさまにおかしいと自分でも思うくらいで、最大の裏切りをしてから、自分は隠し事ができないタイプだと知る。全てが情けなくて泣きそうだった。

罪を素直に述べたら風花は離れていくだろう。もちろん、離れていくだろう。でも黙ったままこうして過ごしていくのも、男として人間として死んだほうがマシだ。どの道、今の僕じゃ風花とは釣り合わない。こんな男と付き合っている風花はなんて可哀相なのかと思う。


見合う男に成長してから再び風花の前に何度でも現れればいい。振り向いてもらえなくても、風花の幸せのためだけに人生を費やすのが、ほんの一粒の償いと自身への慰め。心の中で自分に語りかけているこの台詞が何とも安っぽい。浮気をした男は何を言っても安っぽいが、別れても風花のことを、魂を枯らす程好きなままなのは間違いない。僕は渇いた口を開いた。


「風花、謝らなきゃならないことがあるんだ」

口を動かすのが困難で、舌を操ることもまともにできないような感覚で言葉を紡いだ。

「貴くん、いいの。その先は言わないで」

風花が声を震わして言った。僕の唇に人差し指を添えてきた。

「わたしが悪かったの。わたしが貴くんの優しさに甘えすぎてた。悪いのはわたし」

風花がぽろり、一粒の涙を流した。

「分かってたのか、僕が」

「すごく自分勝手なわたしと付き合ってくれた貴くんの優しさをいつの間にか当たり前と思うようになっちゃって、ますます自分勝手になっちゃって。それじゃあ貴くんが他の人にいっちゃうのもしょうがないの。だから謝らないで」

風花が目尻に皺をいくつも作り、唇を真一文字に曲げて、たくさんの涙を落としている。

「ごめん、風花。風花は何も悪くない。お願いだから謝らないでくれ…」

縋るように風花を強く抱き締めた。抱き締める資格などないのに抱き締めてしまった。鼻水と涙の詰まった声で僕は何度も「ごめん」を繰り返した。


「僕は風花の中に存在しているのか不安だったんだ。風花をどんどん好きになっていくたび、自信が無くなっていったんだ。余裕のなさを誤魔化すために僕はあんなことをしたんだ」

そう言うと、風花がしゃっくりをしながら赤い目で言った。

「ねぇ、貴くん。わたし恥ずかしくて、最初に一度しか口に出したことなかったよね。貴くんが大好き。貴くんがいたから毎日笑って過ごせて、バイトも頑張れて、絵も書いてこれた。わたし、これから先もきっと貴くんしかいない。わたしのそばにいてほしいの」


風花の台詞に目を見張る。一瞬聞き間違いなのかと思い「今なんて?」と聞き返す。

「わたしのそばにこれからもいて下さい」

自分の都合のいいように変色された台詞ではないと分かると、僕は再び、男のくせに涙を溢れさせた。

「こんな情けなくて弱い男の僕でいいの?」

「変人ってずっと嫌われてきたわたしを理解しようとしてくれる、不器用で優しい貴くんがいいの」

何時間も何時間も、抱き合っていたような気がする。夢だったらどうしようかという恐れを若干抱きながらも、風花の体温を感じている。


「少しだけでも風花の中に僕がいれたことが幸せだと思ってる。ねぇ、風花」

涙で掠れた声ながらもはっきりと言葉を発し、名を呼ぶと、風花は濡れた頬を見せる。

「風花のために僕は生きていきたい。独り善がりな僕だけど、死ぬまで一緒にいてくれないか?」

そう言うと、風花は子供みたいに声を上げて泣き出した。犯した罪を許された以上、僕は一生かけて風花を幸せにしようと天に地に、空に風に花に土に、誓う。


後日恵をカフェに呼び出し謝りにいく。恵は「たった一回のことでわざわざ、生真面目よね。私だってただの遊びだったわ。別に謝られるほどじゃない。じゃあね」と言って立ち去った。

かっこ悪い僕のどこを風花は好きでいてくれるんだろうか、後にも先にも最大の謎である。


次の月、発売されているであろう、風花のマンガが掲載されているファッション誌を見にいく。風花が僕に連載のことを言わなかったのは、この連載は三回きりで、読者の評判から再び連載がもらえるらしく、

「長い連載がもらえるまで言いたくなかったの。もし評判悪くて三回きりだったら恥ずかしいもん、貴くんも落ち込むだろうし。だから黙ってたの」

という理由らしい。僕に知られた以上「意地でも頑張る」と言っていた。

最後のページのほうに風花のマンガはやはり載っていた。マンガのタイトルは『冬の月』で、うさぎのキャラクターの男女が手を繋いで月を眺め、ココアを飲みながら会話をしている。噴き出しはなく絵の動きだけで表しているのだが内容がきちんと分かる。その横に小さな字で、エッセイ風の文字が連なっていた。


『ココアの温かさに目が潤んでしまいました。何気ない場所で何気なく散歩をしただけでしたけど、誰かのおもちゃ箱に放り込まれてもいいから、空間、時間このまま切り取られてしまったらいいのにって思うくらい素敵でした。』

笑みが零れる。パステルカラーの二匹のうさぎを指で撫でた。


明日も仕事。結婚式の費用だけじゃない、僕はもっと貯金をするために有意義に仕事をする。陽だまりを集めたような色彩の絵に、囲まれたカフェが開かれるのを夢見て。


〈終〉

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