得てして余りにも近くに居過ぎるって、遠くに居るのと案外変わらねぇーよな? 2
「知泰? あんた、飛鳥の言ってたようにウチに遠慮とかして、これまでテストで点数取らなかったわけ?」
いや全然違いますが。
「バ、バババ、バカにしてっ! ウチのこと……バカにしてるんじゃないわよっ! ウ、ウチがそんなことされて嬉しがるとでも思ったのっ」
「いやだから違うって、回答すんのも面倒なだけだって、勉強とかかったるいんだよっ」
本当だぞ? 本当に本当なんだぞ? IQなんていくら高かったとしても覚える気がなけりゃ何の役にもたたねぇーだろっ!
「分かったもういい……あんたの言う通り距離を置いたげる。も、もうと、ととと、知泰、な、ななな、なんかに勉強なんて教えたげないんだからねっ! 宿題も写させたげないっ」
美九音? もし俺が真面目に勉強なんかにも取り組んでたとしても、お前は俺よりきっと上に行ってたさ。テストの回答なんてもんは端っから答えが決まっていて正解があるもんだ。
誰にだって同じ手順で答えを導き出せるようになってるんだよ。
だから詰まらないんだ勉強なんて。だからお前は面白れぇーんだよ、お前を見ているとお前自身の気持ちや思考なんかも意味が分かんなくて訳が分からなくて、俺なんかにゃー予想も想像もつかない奴なんだよ、お前の言動も存在も。
だから……だから俺はお前を見失いたくねぇーんだ。……それがお前にはなんで分かんねぇーんだよ。
「ウチ、明日から彼氏募集しちゃうし、積極的に出会いを求めちゃうんだかんねっ! ふんっ、知泰のバーーーーカっ」
美九音は言い終わると頬を膨らませてそっぽを向いて部屋を出て行こうとした。
「ちょっと? 狐。あんた本当にいいのね?」
「なによ猫、あんたには関係のない事でしょ?」
「あるわよっ! 大いにあるわ。あたし、知くんが好き、大大大好きっ。だから本当は凄く嫌だった、狐が知くんの隣に住んでいる事も、狐が鬼に捕まったときに知くんの慌てた姿を見せ付けられたときも、狐が知くんと式を挙げたって知ったときも挙げたこと、凄く凄~く嫌だった。それがあんたの本当の願いだったとしても、それが知くんが願う本当の想いだったとしても、私は嫌、絶対に嫌っ。狐と知くんが式を挙げちゃって一度はあきらめちゃったけど、もうあきらめないから、あたし」
「色ボケ猫? それどういうことっ! あんたウチが知泰と距離を置いた隙に、こいつをどうにかしたいわけ?」
「そうよ。狐が余所見している間に、あたしが知くんを振り向かせて彼女になるわ」
「ぬぐぅぐ……」
美九音と未美が睨み合い、犬歯を剥き出しに互いを威嚇している。
「か、勝手にすればっ」
「ええそうさせてもらうわ、狐。あたしの可愛さと大きなおっぱいで、ばいんばいん知くんを誘惑しちゃうんだから」
「ばいんばいん!? ぬぐぅぐ……ダメっ! 色仕掛けは禁止よっ! そんなの反則よっ」
「なんでよ、なんでダメなのっ! ……はっは~ん……そういうこよね? 狐ってばおっぱいで誘惑したくてもできないもんねーーーーっ。そっかそっか……ぷっ」
「わ、笑うなぁーーーーっ! ウチらまだ高校生でしょ? そ、そそそ、そんなのまだ早いと思いますぅ~。ダメだと思いますぅ~」
美九音と未美がいがみ合っている様子を、じっと見ていた紅葉が困った様子で俺の方を見てきた。どうやら「私はどうすればいい?」と目配せして来ているようだ。
普段の日常や学校での紅葉は無口で無表情で他人や他の妖たちとの距離の取り方が分からず、また妖界での、犬神一族との間に生じた過去の経験から、俺たちの他に誰とも接点を持とうとせず一見、物事や人間関係? なんかにも醒めているように見えて実は仲間想いのいい奴なんだよ。
そんな紅葉が俺に助けを求めている。
恐らくは美九音や未美がいがみ合っていることが耐えられないのだろう。
こいつにしてみれば、自分の持っている力と釣り合う本気を出しても応えてくれ、お互いに張り合っても持っている力を妬むことも無く、虐げられることも無く本気の言葉や言動で応じても離れていく事の無い、奴らとやっと出会えた本当の仲間なんだから。
俺はそんな紅葉に目配せで答えてやったのさ、お前の気持ちをぶつけても大丈夫だ、紅葉のやりたいようにしろ、ってな。
紅葉は俺の意図を汲み取ってくれたのか、こくりと小さく頷いて座っていたソファーから腰を上げた。
俺が美九音との距離を置きたい、と言った本当の気持ちを、そんな紅葉だからこそ、俺の気持ちや理由を汲み取ってくれて、俺と美九音の事で生じてしまった仲間同士の隙間を必死で繕おうとしているんだ。
俺には紅葉の気持ちを無視して黙って見ていてくれ、俺と美九音のことは放って置いてくれ、なんて言えねぇーよ。
「御姉様も猫もいい加減にして」
紅葉が腰を上げて大きく深呼吸をしたあと、美九音と未美に視線を据えた。
「な、なによ狼? あんたまでウチに文句でも言うつもり?」
「狼は黙ってて、これはあたしと狐の問題なの」
紅葉は、美九音と未美を交互に見てから俺の方に向き直った。
「私は御姉様が好きよ、ついでに言うなら猫も波音も姫子も犬飼姉妹も好きよ。だって一人ぼっちだった私がやっと見つけた、私を虐げたり妬む事も無い仲間だもの。……だけど、それはご主人様のお蔭、だから私はいつだってどんな時だって御主人様の味方」
「……そ、そ? 一応ありがとって言っておいて上げるわ……よ」
美九音は普段無口で無表情な紅葉がやたらと饒舌に言葉を紡いだことに面食らった様子ではあったけれども、紅葉から視線を外してはいたけれども、照れた様子で、満更でもない様子で紅葉の言葉に答えた。
「あたしも一応ありがとうって言って置くわ……」
未美も美九音と同様に照れた様子で紅葉の言葉に答えた。
俺の方を向いていて美九音と未美の言葉を背中で受けた紅葉が一瞬だけいつもの無表情な表情を少しだけ笑みを零して崩していた。
紅葉はそのまま近付いて来て可愛らしい顔で俺の眼を見ながら更に顔を近付けて来た。
「だから私は御主人様が大好き、御姉様にも猫にも、他の仲間達にも絶対に取られたくはないわ」
「紅葉? お前なにっ――――」
俺はそのあとの言葉を発することが出来なかった。
「なっ……狼っ!? あ、あああ、あんた……」
「狼、あんた、な、ななな……」
「大神さん! ずるいですぅ」
「あらあらまぁまぁ」
「まさかの不意打ちだね、弟くん」
何故なら言葉を発しようとした唇は紅葉の小さな唇で塞がれているからだ。
「んんっ……ちょぱ♡」
「御主人様、だいしゅき……紅葉を貰ってください」
紅葉……お前。
いつもは何処か遠いところを見ているような感情を殆ど表わさず、それでいて真っ直ぐで綺麗な灰色をした紅葉のツリ目気味の眼が、とろ~ん、とした熱っぽい表情をし瑞々しい眼をして俺を見ていた。
「狼っ!」
「なに? 猫」
「知くんの唇をあんただけ奪うなんて卑怯よっ!」
そう言い終わると同時に未美が俺に突撃してきたと思ったら、唇を重ねて来た。
「なっ……猫っ!? あ、あああ、あんたまで……」
「猫? 私の儀主人様に……今のはなんのつもり?」
「黒井さんまでずるいですぅ」
「あらあらまぁまぁ」
「まさかの不意打ちツゥーだね、弟くん」
俺は再び言葉を封じられた。なぜなら唇は未美の艶やかな唇に塞がれたからだ。
「んんっ……ちょぱ♡」
「知くん、だいしゅき……未美を貰ってください」
未美……お前まで。
未美の大きくて煌々と輝くクルクルと良く動く晴天の空を移したような青く澄んだ海色の眼を蕩けさせて俺を見ていた。
「と、ととと、知泰のバカーーーーっ! な、ななな、なんで? なんで狼や猫となんかキスしちゃうのよっ!」
美九音の怒鳴り声で我に返った俺の眼には、いつもはこういうとき俺を鋭い眼つきで睨み付ける紅い眼をアメーバーみたいにし潤ませ、固く閉じた唇を波のように歪ませていた。
「馬鹿っ、今のは不意打ちを食らって――」
「避ければいいじゃん! 避けれたでしょ? それなのに避けなかったんでしょ? もういい、もういいよ……」
美九音はそう言い残して部屋を飛び出して行った。
暫くして玄関の扉が強く締められる音が、防音設備も充実した七霧邸の俺たちがいる部屋まで届いて来た。
美九音が部屋を飛び出して行ったその後、波音ちゃんに唇を奪われ、姉さんにまで唇を奪われてしまった。
「……あの? この場の空気的に、私も君の唇を奪った方がいいのかな? 知ろん?」
御当地ヒーローだか、それに出てくる怪人みたいな呼び方をした真冬さんまで俺は唇を奪われた。
次の日、俺は目覚まし時計の不愉快な音で目を覚ました。
いつもは朝になると起こしにやって来る美九音が今朝は来なかった。久遠寺家から結構離れたマンションに仮住まいを始めた初日にもあいつはいつものように、朝も早くから俺を起こしに来たのに、今朝はまだ来ていない。
か、かかか、勘違いすんなよ? 別に寂しいわけじゃねぇーんだぞ! 昨日のあんなことがあったから、ちょっとだけ心配なだけなんだからなっ!
今朝は美九音の寝起き襲撃が無かったため、いや違った。いつものように学校が近い七霧邸の敷地にある俺の住んでいた家にいるときにセットする目覚ましに時間を合わせてしまっていたために、時間は切迫していて着替えを急ぎ軽めの朝食を摂って、こっちに来て大学も休み、仕事も休暇を取って来ていて久しぶりだろう惰眠を貪る姉さんに一応声を掛けてマンションの部屋を出た。
部屋を出てエレベーターの前まで来て下に向かう意思を伝えるためのボタンを押してしばし待つこと数十秒、短い時間なのに急いでいる時は短くても待っている時間ってやたらと長く感じるよな?
チ~ン!
エレベーターよ、お前は電子レンジかよ! とか詰まらない突っ込みを到着を知らせる音を出して教えてくれたエレベーターに入れて、開いたエレベーターの中へと飛び込んだ。
一階に向かう指示を伝えるために数字が並んだパネルの【1】を押す。暫くなんともいえないあの浮遊感に襲われながら急降下してフロアーまで降りた途端、駅に向かって走り出した。
「ヤベっ! もうこんな時間になっているのかよ」
駅に向かう大通りに出て歩道を直走り、交差点を右折してまだ静かな駅前商店街を駆け抜け、四つ角に差し掛かったところで角に死角を作っているブロック塀の向こう側から「たいへん、たいへん。急がないと遅刻しちゃう」という女の子の口になにかを咥えて喋っているようなくぐもった声が聞こえて来た。
俺の視界にはその声の主は見えていない。
おやおや、君も寝坊したのかい? お互い大変な状況だよな、と胸中で呟いて四つ辻に入ったところで、体がなにかにぶつかった衝撃を感じた。
「きゃんっ」
可愛らしい悲鳴と柔らかいなにかにぶつかったのか別に体のどこも痛くは無かったのだが……。
「痛ててててっ……」
俺以外の誰かの痛みを訴える声が俺に耳に届いて来た。
「すみません。急いでいたもので。あの大丈夫でしたか?」
声を掛けながら声のした方向、つまりは俺とぶつかって転んだと思われる女の子の方へと視線を移した。
To Be Continued
ご拝読アリガタウ。
次回もお楽しみにっ! ><b




