~ 眠り姫 ~ その12
読者の皆様。
暑中お見舞い申し上げます。
地面に力無く膝を着いて蹲っている鎌鼬ちゃんの側に歩み寄り、見るからに細く小さな肢体の肩にそっと手を置いてそう言った。
小柄で細身に合った華奢な肩を小さく震わす鎌鼬ちゃん。
「大丈夫。俺に出来る限り、いや命に代えても鎌鼬、お前を殺させたりはしねぇーよ」
「どう……してですの? どうしてあなたはわたくしを助けるのです? わたくしはあなた達とあなたの大切なお仲間を傷付け、殺そうとしたのですわよ」
「んん? まあそうなんだけれども、なんてーかさ? これから命の遣り取りをするって言うのに対峙していたお前からは殺気というか強い意志というかを感じなかったんだよ」
何故だろうな? 鎌鼬に強い意志を感じなかったというのは本当なんだけれども、それは俺の勘に近い見解だ。
まあ強いて言えば、言ってしまえば、この異相空間を作り出したのは人間の術者であり、人間を嫌っている妖、そしてそんな妖たちを世界から除外し好き放題に荒らした人間に対し、憤りを感じ不信感を抱いていた鎌鼬にとって、人間の指導者に従うことは、それ自体がもう鎌鼬の意志に反したものなんじゃねーの? って俺は思ったんだよ。
真相は他のところにあるのかも知れねぇーけど、やはりこれまで長い間に積み重ねて来ただろう、人間への憤りや不信感を押し殺してまで、嫌っている人間に従うものだろうか? そんなに簡単じゃねぇーよ、積み重なった想いっていうのはさ。
「そんな……不確かで曖昧な理由で敵を助けるなど、あなたはとんだお人好しですわっ。……まあ、そういう人、嫌いではありませんけど……」
鎌鼬ちゃんは頬を赤らめ、プイっと顔を逸らしてし言葉を続けた。
「もしもわたくしが人間界の秩序を壊そうと画策している人間の陰陽師を利用しようと考えて協力したとは思わなかったのかしら? あなた思慮が足りなくてよ?」
「その質問で今度こそ確信したぜ。確かにお前は人間を嫌っているのかも知れない。だけどお前らの後ろに控えている黒幕に脅されたか何らかの理由で無理やり協力させられたんだろ? でなきゃもしもの話なんてしたりはしねぇーよ」
「はぁ~……まったくもって油断ならないお方ですわね。その通りですわ」
恐らく今回の事件の黒幕は、鎌鼬を始めとする人間界に溶け込もうとしない、人間を嫌っている妖の力を利用しているのだろう。
だが何故、人間嫌いの妖を纏め協力させる事が出来たのか。
それは彼女らの憎悪や不満を煽り、明確な“敵”を示すことで自身の支配下に置いたのだろな? 人間は言うまでもないが妖も少なからず集団を結成している。それは犬神一族や妖狐一族、そして俺たちを実際に狙ってきた鬼一族など集団を結成している妖が存在していることから容易に推測が出来るんだが、種族の壁を越えた集団をもっとも団結させる存在は、優れた指導者でもなく強く非道な指導者でもなくカリスマ性を持つ指導者でもなく明確に示された“敵”の存在だ。
恐らく人間を嫌っている、または人間に煮え湯を飲まされて来た陰陽師の黒幕が裏で糸を引いたのだ。
その正体は現在、影となり存在すら闇に葬り去られた陰陽師や退魔師などの末裔だろうな。ただでさ裏方の陽の当たらない立場に追いやられた世界で、七霧の存在は目の上のたんこぶに違いねぇーだろうからさ。
だからというか、まあ……あれだ、鎌鼬っていう妖は悪戯っぽく現象を起こして、時にはその鋭利な風の刃で人間を傷付けてしまうこともあるけれども、悪戯好きなだけで基本的にはそんなに悪い妖ではないと思うんだよ。
その根拠はというとだな? 神風と呼ぶべき風を起こし女子のスカートを捲り上げることは、多くの一般男子にとって決して忌むべきことではなく、寧ろ喜ぶべきことでなないのだろうか? 俺は声を大にして言いたい、いや敢えて言わせてもらおう、絶対に喜ぶべきこと――ぶはっ……!?
突然、後頭部に強烈な衝撃を感じた瞬間に地面と接吻していた。その頭上から聞き馴染んだ声が振って来る。
「まったくもう知くんってば、また他の女の子をたらし込んでるの? ほんと雌に対して節操がないわねっ」
地面に這いつくばる形になった俺に更に新たな重みが背中に圧し掛かって来た。
「御主人様、これはどういうこと? そんなに踏んで欲しいのなら紅葉が何時でも踏んであげるのに」
視覚の外から聞こえて来る声は良く知る妖のものだった。
「はぁ~、知くんなんかの心配して損しちゃったわ」
「でも流石は御主人様ね。女の子に見境が無い、誰でも美少女と見るや見境なしに助けてる」
どうやら火狸との一戦を終えて凱旋した紅葉と未美が俺を心配して急ぎ駆け付けてくれたようだ。
地面から顔を離し先ず最初に視界に入って来たのは、同僚と呑みに行った帰りに磯野〇平さんがお土産に毎回買って来る助六寿司よろしく麻縄で縛られた子供用のビニールプール程で当初見たときよりは大分小さいが、それでも一般的な茶釜より随分と巨大な茶釜だ。
状況から鑑みて火狸に勝利したと思われる紅葉と未美の顔を見上げると同時にガシガシ、ゲシゲシという擬音と痛み共に視界が暗転した。
「ちょっと? なに下から見上げてんの? 乙女のスカートの中身を見たいわけ? もう今日の中身は知ってるくせに」
「御主人様のエッチ。今日のパンツは可愛い絆創膏じゃないわ」
ちょっと紅葉さっ!? いい加減、絆創膏はパンツじゃない事を学んでくださいねっ!
「火狸さんもやられてしまいましたか……。ですがあなた達? なにをそんなに余裕をかましているのです?」
鎌鼬ちゃんの言葉で勝利の余韻は吹き飛ばされる。そう俺たちはまだ、なにも解決したはいないのだった。
この偽装空間を作り出した陰陽師或いは退魔師の存在を忘れていたわけではないが、まだその黒幕は正体を現していないのだ。
何時何時、その術者からの攻撃があるかもわからない状況だ。
「なあ鎌鼬ちゃん? お前たちの後ろに控え、酒呑童子の四天王の封印を解き妖達を先導している陰陽師とは一体、何者なんだ?」
「それは――きゃぁーーーーっ」
「おい鎌鼬ちゃんっ!?」
鎌鼬ちゃんが術者のに関することを言葉にしようとしたその時、偽装空間の薄暗い空に雷光が生じた。その雷光に鎌鼬ちゃんが撃たれた。
俺は雷に打たれ動かなくなった鎌鼬に駆け寄り抱き起した。もしやこれは術者の口封じなのか? 抱き抱えた鎌鼬ちゃんの細身の割に豊かなお胸に耳をあてがい、鼓動の確認と呼吸の確認をする。
これは……。
イケないっ! 呼吸音も心音も聞こえねぇーっ! こうなったら一刻も早く蘇生術を施さねば。マウスチュマウスとおっぱいマッサージ……いや心臓マッサージでっ!
蘇生術の手順は確か……先ずは抱き抱えていた鎌鼬ちゃんを地面に寝かせ気道を確保し、小さく小振りな鎌鼬の唇に、己の願望……いや、唇をあてがい息を吹き込んで、鎌鼬ちゃんのおっぱいに己の欲望……いやいや、胸から下、鳩尾から大よそ指2本分上辺りに両手を添えて適度な力で数度押す、を繰り返すんだったよな。
動かない鎌鼬ちゃんの顔に俺は顔を近付けて行く。
では頂きます……いやいやいや、蘇生術を始めるぞ。
鎌鼬ちゃんの艶やかな唇に徐々に近付いて行く俺の唇、何故か高鳴る俺の鼓動、そしていよいよ唇同士がくっ付きそうになったその時!
「んん……」
鎌鼬ちゃんの唇から僅かに息が漏れ出した。
……いやまだ予断は許さない状態だ。続けるしかねぇーよな? いや気付かない振りして続けるしかない。
「御主人様、危ないわ」
「知くん! 危ないっ」
紅葉と未美が近付く危険を察知したのか俺に注意を促した。
「うがっ」
と同時に俺を蹴り飛ばしやがった。
「紅葉っ、未美っ、なんてことをしやがる!」
鎌鼬ちゃんから数メートル離れたところで起き上がり文句を付けた。
ちくしょーーーーっ! なにも起こらねぇーじゃないか、なにがどう危ないんだよっ!
紅葉と未美は俺の文句を、そっぽを向いて涼しい顔で聞き流している。
「お前らなぁーーーーっ」
起き上がり紅葉と未美に近付こうと数歩歩き出したその時、曇天の空に再び数本の雷光が生じた。
「御主人様っ」
咄嗟に紅葉が俺に駆け寄って来る。
そして紅葉は麻縄で縛った茶釜に閉じこもった火狸を手にして天に放り投げた。雷光の全は茶釜に引き寄せられる様にして直撃した。
紅葉さん酷でぇーーーーっ! 火狸を盾にしやがった。
「はっ!? 未美と鎌鼬ちゃんは?」
「大丈夫だよ知くん。狼の機転で無事よ、鎌鼬もね」
声のした方に振り返ると未美が小さな体で鎌鼬ちゃんの体を抱き抱え退避していた。
くっそっ! どうあっても俺たちをここで始末したいらしいな? 謎の陰陽師の奴め……まあ俺や紅葉、未美だけじゃなく、仲間だった鎌鼬や火狸までもかよっ。
……許さねぇー。自分の仲間諸ともになんて……絶対に許さねぇー。
俺は未美に力無く抱き抱えられた鎌鼬と数本の雷光に打たれて茶釜の表面から煙を上げている火狸を見詰めた。
……まあ火狸は紅葉さんが盾に使ったんだけれど。
「隠れてねぇーで出てこいよ陰陽師さんよ。七霧の俺が直々に相手になってやるからよ」
偽装空間に満ちた暗雲に俺の怒りに満ちた声が轟き、それに応える様にして黒幕陰陽師の声が暗雲の彼方から聞こえて来る。
「分かりました良いでしょう。七霧君、君と一対一で勝負して差し上げますよ」
この声は……。
聞き覚えのある声に俺は戸惑った。
黒幕はお前だったのかよ間崎 正宗。
つづく
御拝読アリガタウ。
次回もお楽しみにっ!