後妻ですがドアマットヒロイン製造には不向きの模様
誤字報告ありがとうございます。
一部文章の見直しと、あとがきにラスト直後の蛇足を追記(1月31日)
(ないわー)
半眼になりながら、心から思う。これはない。
現在私は嫁いできたばかりの伯爵邸のエントランスホールで、はじめて顔を合わせた幼女のつむじを見下ろして。
(ないわー)という気持ちを量産していた。
幼女ことイヴェット・ブライヤール。御年三歳。
本日より転生令嬢あらため転生夫人となった私、フロランスの継娘である。
ほんっと、ない。だって聞いてないし。子供がいるなんて。
オリオール子爵家の三女として生まれた私は放置子として育った。
やや歳の離れた長女は後継者もしくはそのスペア。次女は他家との縁を繋ぐための嫁出し要員。末の弟は後継者。そうなると私だけ浮いて、ほぼいないもの扱いになった。
元々、うちの両親は娘というものに関心が薄かったらしく、姉ふたりだって使用人と家庭教師まかせ。私に至っては家庭教師さえつかなかった。姉たちが気にかけてくれて、勉強やマナーを教えてくれなかったら、まともに貴族令嬢を名乗れなかったと思う。
弟と私は実は双子だ。待望の男子であり、幼い頃から身体が丈夫でなかったこともあって、両親の関心は弟に一極集中。同じ家に暮らしているのに、ほとんど会ったこともない。
衣食住こそ整えられていたが、それは姉たちと使用人の尽力あってのこと。子供の社交にさえ連れ出されたことはない。私という娘がいることを両親が覚えている気配さえなかった。完全な没交渉。
これってネグレクトだよねえ? と他人事のように思えるようになったのは、両親の関心が欲しくて、でも得られなくて、寂しくて心が壊れそうになったまだ幼い頃、前世の記憶が蘇ったおかげだ。すべてを覚えていたわけではない。むしろ自分がどういう人間であったかさえ曖昧だけれど、愛されていたという感覚が残っていたから。
姉たちだって大人ではなかったし、きっと寂しい思いは抱えていたはずだけれど、それでも末の妹に当たり散らしたりもせず、姉妹で寄り添ってやり過ごす年月を送った。
そして私が十八近くになって、親は、自分の家に未婚で婚約者もいない娘が残っていることに、ようやく気が付いたらしい。弟には早くから婚約者がおり、そのお相手との婚姻が近づいたためだろう。
ちなみに姉二人はとうに結婚済み。長姉は病弱な弟の補助ということで、領地に住まって、実質領地の差配をしている。夫は婿を取った形。次姉は普通に嫁に行った。姉たちとは今も手紙で交流している。
貴族令嬢の婚活市場は、若い方が有利だ。その方が婚約期間も長く取れて、婚姻までに問題点の洗い出しもできる。何より、若ければ無垢で夫や家によく従うだろうという幻想が社会に浸透していた。なので令嬢の場合、十歳を過ぎたあたりで婚約を結んで、十六から十八の間に結婚する。
貴族の婚姻は親が決めるもので、自由恋愛は異世界にしかないものだ。
十八歳というのは、貴族家における成人年齢であり、爵位を継げない子供はこの年までは生家で面倒を見られるが、以降は家を出るしかなくなる。それまでに身の振り方を考えておかないといけない。
十八近くまで放置されていた私は、婚約も結ばれていないので、家を出て王宮の女官になる準備を済ませていた。前世ブーストのせいか勉強はできたので、登用試験にも合格していてね。すべて姉たちのおかげである。持参金が用意できないなどで、侍女や女官を目指す貴族令嬢は一定数いるから、職場で肩身が狭くなることもない。姉たちのいない家にも未練はないし、王宮には寮もある。ただ王宮の受け入れ年齢規定が成人の十八歳であり、それまでに家を出ることはできなかった。これが他家への侍女として勤める場合であれば、見習いということでもっと幼くても受け入れられるのだが、性格的に侍女向きではないこと、王宮女官の方が給料も良くて自由もあったから、選ぶならば女官一択なのだ。
しかし我が家の父は、娘を放置していたくせに頭が古かった。私という娘がいる。ならば嫁に出さねば恥だ、という価値観に縛られていたのだ。
私にとって不幸だったのは、まだ十八になっておらず、未成人だから家長の命に逆らえないということだ。逆らえば貴族籍を抜かれ、女官としても侍女としてさえ勤めることもできなくなる。貴族籍あっての職だから。
この年まで衣食住に不自由はなかった。家中の使用人にも一応はお嬢様と傅かれていたわけで。今更、平民として暮らせない。前世が庶民だったからと言って、生活レベルが違いすぎる。火起こしも水くみもしたことがないし、ガスでもIHでもないコンロ以前の竈を使いこなせるはずもない。ましてや紹介者もおらずにまともな職につけないのも想像できた。そもそもが女性の雇用先は限られるのだし。春を売るまでには落ちたくない。
父は女官として勤めるなぞ許さん、と就職を取り消しやがり、そして私に結婚を命じた。しかし私にと用意できる持参金は少ない。子爵家の予算に計上されていなかったせいだ。そして十八近くになっても婚約していない貴族令嬢に、まともな嫁ぎ先が残っているはずもなく。必然的に提示されたのは後妻に入ることだった。
さてそんなわけで。顔合わせも結婚式もなく、書類ひとつで嫁がされることになったのがブライヤール伯爵家。
旦那様はクロヴィスという名で御年二十一歳。三歳差で済んだのはかなり好条件。親子ほど離れた年齢の相手に比べればはるかにマシだろう。しかも先方の家は格上の伯爵家であり、良縁にしか思えない。
だが待って欲しい。
ほぼ行き遅れで持参金も雀の涙。しかもまともな淑女教育も受けていない私を受け入れること自体がおかしい。というか怪しい。絶対何か問題があるはずだ。
そういったことを訴えてはみたのだが、世間体さえ整えられれば、結婚で家を出た後の娘の幸福なぞ考えもしない親に強行された。しかも相手のことをほとんど知らされないままに。
嫁いだ私が知っていたのは名前と年齢。前妻が死去していること。そして既に伯爵位を継いでいるということだけだった。
そして冒頭に戻る。
先妻との間に子供がいたとは予想外。愛人との間に庶子を儲けていたに比べればマシかもしれないが、邸の女主人としての仕事以外に、娘を育てて教育する立場まで押し付けられたわけだ。
前世ではおそらく独身だったし、今世では放置子だった私である。子育てに自信なんてあるはずもない。正直、長姉に泣きつきたいと思った。次姉でもいい。結婚後、二人ともが立派に母親になっているから。
ちなみに、夫となった人は不在である。私が伯爵邸に今日この時間に到着することは、先方も承知のことであったにもかかわらず。なんでも王宮に急遽、呼び出されたとかで。仕事ならば仕方ないとは思うけれど、連絡くらいは寄越せただろうに。
これはあれか。定番の「お前を愛することはない」が来るのか。覚悟だけはしておこう。
ひとまず私の少ない荷物が部屋に運ばれて整理されている間、通されたサロンでひとりお茶を飲んでいる。継娘はいない。幼女はお昼寝の時間だそうで。いやもう、どうしよう。十八で三歳の娘ができたとか。
その時に気付いてしまった。「愛することはない」も可能性は高いが、これって継娘を主人公にしたドアマットものかもしれないと。
血の繋がらない先妻の娘。後妻から見れば、そりゃ邪魔だ。自分が将来産む子供に家を継がせる最大の障害となる。特に後妻が夫となった人物への恋情を抱えていた場合、そこには先妻への嫉妬も混じるだろう。長年の愛人だったりしたらね。
生憎、まだ対面していない夫への思慕なぞ欠片もない私である。むしろどうして家のクソ親の申し出を受け入れてくれやがったのか、という恨みがあるくらいだ。幼女に対しては恨みはない。どう接していいか悩むという困惑はあっても。
悶々としている間に、カップも皿も空になっていた。紅茶もお菓子も上品かつ美味すぎる。もう少し量があってもいい。とりあえず紅茶のおかわりは貰った。
ともかく、夕刻になってようやくお帰りの旦那様をお迎えして改めて挨拶。そのまま夕食の席へ。
さすが伯爵家。晩餐室は広く、歴史を感じさせる重厚さがあって、美術館にでも迷い込んだような気分になる。実家ではわざわざ着替えて食事したことなぞなかった身だ。当然、晩餐用のドレスとか持っていなかったから嫁入りが決まって慌てて用意したくらい。場慣れしていなくて緊張する。
何しろ席同士が遠い。その上で料理の皿を置き、空いた皿を持ち去る給仕は無言。かつ旦那様も無言で召しあがるばかりで会話はない。
食事の際に、会話を楽しむべしという文化もあれば、無言で過ごせという文化もある。私の転生した世界の貴族の食卓というのは、その中間である。騒がしくなりすぎない程度の上品なやりとりのみが許されるという。つまりは、夫となった人とほとんど話せずに終わったということ。料理がかなり今後が期待できる内容だったのは、不幸中の幸い?
さすがに、迎えたばかりの新妻がこれ以上放置されることはなかった。当たり前である。あったら思わず蹴りを入れていただろう。平手打ちとかはこちらにダメージが来そうだからしない。
サロンに移って紅茶が供されると、控えていた使用人も退出してようやく二人きりになった。
「改めて、私がクロヴィス・ブライヤールだ」
「フロランス・オリオール……いえもうブライヤールでしたわね」
猫装備は重要だ。特に初対面で、しかもこれから攻撃を控えている相手にならば。
夫となった人物をようやく間近で観察できた。貴族家の当主というよりも、仕事に疲れた文官に見える。髪色はダークブロンドで、瞳の色はおそらくグリーングレイ。顔立ちは整っているはずなのに、全体的に暗い印象だ。目に生気がないせい? 当主というよりも中間管理職の悲哀が滲んでいる気がするんだが。
視線が合わされて、さほど大きくない声が届いた。バリトンボイス。声は好みかも。
「何か聞きたいことがあれば答えよう」
もし彼が。私とずっと交流していたのならば、それがどれだけ危険な言葉か知っていたはずだった。姉たちであったら顔面蒼白になっていたことだろう。
「では遠慮なく」
私は一度目を閉じて深呼吸した後、旦那様の目から決してそらさずに口を開いた。
「私のような行き遅れを娶った理由はなんですか?」
「持参金がほぼないのは許容できるのですか?」
「やはり他にもう愛する女性がいて、お飾りにするつもりですか?」
「そもそも子供がいることを黙っていたのは何故ですか?」
「子供の有無を明かさないのは契約違反ではありませんか?」
「結婚が決まってから一度も交流しなかったのは何故ですか?」
「愛人は同居ですか? 別居ですか?」
「私の部屋が趣味に合わないのですが、あれは旦那様の趣味ですか?」
「部屋の模様替えは明日から始めても良いですか?」
「王宮に呼び出されるような失敗したんですか?」
「領地経営は健全化されていますか?」
「伯爵領にはどのくらいの頻度で帰られますか?」
「その際、私を同行されるおつもりはありますか?」
「結婚式すらなかったのは、伯爵家が実は困窮しているとかですか?」
「前の奥様はどんな方でしたか?」
「政略ですか? 恋愛ですか?」
「前の奥様の死因は何ですか?」
「『君を愛することはない』って今から言う予定ですか?」
「趣味は何ですか?」
「私と家庭を築く覚悟はありますか?」
「バナナはおやつに入りますか?」
「邸の女主人としての権限は与えてもらえるんですか?」
「お兄様が亡くなったそうですが、兄弟の確執とかありましたか?」
「イヴェットちゃんと父娘として交流してますか?」
「あの子の好きなものは何ですか?」
「社交に同伴しなければいけませんか?」
「私個人に充てられている予算はいくらですか?」
「今夜、さっそく初夜で同衾しますか?」
「それとも白い結婚にするつもりですか?」
「胸派ですか? 尻派ですか?」
「巨乳派ですか? 貧乳派ですか?」
「男色の趣味はありますか?」
「私に愛情は持てそうですか?」
「呼び方は旦那様で良いですか?」
「料理人が優秀ですが引き抜きにあったりしませんか?」
「明日も朝食はご一緒できますか?」
「イヴェットちゃんの教育方針はどうなっていますか?」
「あの子の婚約がもう決まっていたりしますか?」
「前の奥様のご実家はどちらですか?」
「私との再婚をそちらにも報告されましたか?」
「引退された前伯爵夫妻は口出しして来られますか?」
「前の奥様は嫁姑問題にさらされていませんでしたか?」
「男児を得ろとせっつかれていませんか?」
「男児を産んでくれるならば誰でも良いと思っていませんか?」
「だから条件の悪い私でも良かったんですか?」
「女性にはもてますか? もてませんか?」
「私に期待する役割は何ですか?」
「お仕事への私の関与はどの程度認められますか?」
「私の――」
「待て待て待て、待ってくれ! 質問が多すぎる! あと私をどんな奴だと思っている!?」
まだまだ質問事項はあるのに、遮られたために私は沈黙する。欲しいのは答えであって、こちらへの質問ではないから。幼い頃から、一旦疑問がわくと止まらなくなる。姉たちは私が質問を始めようとすると、口にお菓子を突っ込んで阻止していたものだ。
「はぁ。答えられるだけ答えるならば。
前妻とは政略というか、元兄嫁だな。死因は出産による。我が家には未亡人は夫の弟の嫁になるという風習があって、兄の死後すぐに服喪期間もなしに強引に娶らされた。愛なんてない。だからイヴェットは自分の子か兄の子か分からん。そのせいもあって自分の子だと思えないし、思っていないから婚姻の際に報告するのを忘れた。交流はほぼない。前妻の実家が引き取ってくれるならばそれでも良いと思っている程度の関心しかない。
君を選んだのは女官試験に合格するだけの才女と聞いたので、この王都のタウンハウスを任せたかったからだ。夫婦としてやっていく気持ちはある。ただつい先日、領地の管理者の横領が発覚して、国への納税額にまで影響があった。その監督不行届きを本日王宮から叱責されたのだ。早急に新たな管理者を任命せねばならない。領地への出発は三日後と決まった。おそらく半月は留守にすることになる。なので、君との夫婦としての時間は領地から帰って改めて仕切り直したい。私の留守中、女主人としての権限は渡す。バナナはおやつではなくデザートだ。料理人は手放さない。あとは……そう、私は愛人もいなければ男色の趣味もない。しかし今日はお互い疲れているだろうから初夜はない!」
まさか一挙に答えてくれるとは思ってもいなかったので、夫への好感度が上がった。律儀な人のよう。しかもどうやら、私を選んだ理由も思っていたより真っ当そうだ。
しかしイヴェットちゃんへの扱いに文句がある。
「旦那様は――」
「頼む、今夜はこれで勘弁してくれ。明日また時間を取るので、続きはその時に!」
旦那様から泣きが入った。よく見ると目の下には隈が鎮座している。横領問題でさては寝てないな?
「ではひとつだけ。イヴェットちゃんと交流してもよろしいですか?」
「……任せる」
顔色の悪い旦那様に挨拶して自室へと下がるが、部屋を見回してため息が出た。
「模様替えの許可も、すぐ貰っておけば良かった」
後になって分かったことだが、この部屋は先妻が使っていたままだそうだ。
そりゃ掃除はされている。別にかび臭いとか、そういったことはないけれど。普通、女主人が代わるのであれば、家具の入れ替えであるとか、壁紙やカーテンを替えるくらいはするだろうと。それすらされていなかった。これは前妻が亡くなって三年も、邸を管理する女主人が不在だったせいだろう。
部屋の内装は、おそろしく私の趣味とはかけ離れた少女趣味で統一されている。曲線と装飾過剰の白い家具が並び、壁紙やカーテンはパステルトーンの花柄。ベッドの天井には花と小鳥と天使さえ飛んでいる。飛ぶな。いや、少女趣味を否定するわけじゃない。似合うなら良いと思う。ただ前世の感覚が残る私には、過剰に過剰を重ねた甘ったるい装飾でいっぱいの部屋に抵抗があるだけ。ちなみに実家の自室は。放置されていたせいで超絶にシンプルだったが、却って快適に過ごせていた。
だがまあ、好みに合わない部屋であっても、寝るには支障がないし、後回しにしても命に関わるわけではないと横になる。
しかし継娘は。あれは放置すると不味い、と私の中で警鐘が鳴っていた。僅かな時間、顔を合わせただけだったが、幼なかった私と同じ目をしていたから。
翌朝、朝食の席で一緒になった旦那様に挨拶の後すぐに切り出した。
「今日は、いつ、どのくらい、お時間いただけますか?」
質問が続かなかったことに安堵しているようだけれど、失礼じゃない? 顔に出すぎ。
「この後、午前中ならば。午後からは来客があるので」
「じゃあ一緒に来て、イヴェットちゃんをきちんと紹介してください」
「それは……私が同行せずとも良くはないか」
「私、後妻に入るとは教えられましたが、嫁いだ途端に子持ちになるとは聞いていませんでした。おかげで何の覚悟もしていなかったんですよね」
さすがに分が悪いと思ったのだろう。旦那様の同行が決定した。
子供部屋へと向かう途中、回廊に差し掛かると、一画がギャラリーになっていて、代々の伯爵家の人々と思わしき肖像画が続いている。その中に、十歳前後の少年二人のものがあった。旦那様の面影がある。
「あの、これ、旦那様ですか?」
「――クロヴィスと。できれば名で呼んで欲しい」
名前呼びするくらいであれば問題ない。呼ばないと名前って忘れそうになるしね。
「で、では、こちらはクロヴィス様ですか?」
「そうだ。左が兄のバスティアン。これは確か、兄が十二で第二王子殿下の御学友に選ばれた頃か」
二人の少年は同じダークブロンドだが、左の少年の瞳の色は、クロヴィスよりも明るいエメラルドグリーンに煌めいている。年は五歳差と聞いた。
「似てますね」
「そうか? あまり言われたことがない」
「目鼻立ち、似てますよ」
けれど印象は真逆だった。似ていると言われなかったのはきっとそのせい。兄の方は、弟と違って闊達な性格が滲んでいる。陽キャの気配だ。
「兄は。いつだって人の中心にいた。家でも外でも人を惹きつけて。明るく聡明で、誰もが兄を好きだった」
「いや、それはないでしょう」
思わず発言を遮って突っ込んでしまった。
「は?」
「誰もが、ってことはないと思います。その明るさを疎む人だっていたはずですよ?」
陰キャにとって陽キャは鬼門だ。できれば関わりたくない。私も、もっと幼い頃からこの兄弟を知っていたら、バスティアンは苦手だった可能性が高い。
「私には兄は皆に好かれているように見えた。友人も多くて、女性にも人気があって」
「友人って数じゃないでしょう。むしろ深さが大事。あと、女性人気は伯爵家の跡取りっていうのもあったと思います」
少しだけ沈黙を挟んで、クロヴィスは話を再開した。
「騎士としても名が知られ、文武両道の両親にとっても自慢の息子で。だから父は兄が死んだことで気落ちして、私に当主を押し付けて引退したほどだ。今は領地の片隅で暮らしているが、ろくな引継ぎもなかったせいで苦労させられている。聞きたいことがあっても近くにいないから、わざわざこちらが出向かねばならないことが多すぎる。兄がいるから必要ないと、私にはほとんど後継者教育もしなかったくせに」
垣間見えるのは、優秀だった兄への劣等感。そして兄弟に格差を付けて扱ってきた両親への不満。――あらこれは同類の予感。
少年ふたりの肖像画を過ぎ、いくつかの絵画を越えたあたりで彼は足を止めた。
「兄と兄嫁が結婚した頃の絵だ」
兄の方は輝かんばかりの好青年ぶりに育っていた。少し日に焼けた肌が精悍な印象を与える。騎士装束姿が実に様になっており、端正な容姿もあって、さぞ女性に騒がれたことだろう。
隣に立つ女性は、派手さこそないが、美しい人。どこか表情は少女めいて、庇護欲をそそる。あの部屋の主だと納得できる雰囲気の持ち主だった。概ね、お似合いの二人と言える。
夫婦の肖像画に視線をやりながらも、クロヴィスがふたりを見る目は冷え切っていた。間違っても愛した人に向けるものではない。
「義姉は、兄に崇拝めいた愛情を向けていた。だから兄の死後すぐの私との再婚話に同意したのは意外だったものだ。両親はおそらく兄に関わるものを手放したくなかったから、わざわざ古い風習を持ち出したのだ。その昔、財産の散逸を防ぐために取られていた手段で、近年は廃れていたというのに。私が拒もうとすると貴族籍を抜くと脅されて、こちらはまだ十七だったから拒めないまま婚姻が成立してしまった。
義姉はおそらく、兄の妻で居続けたくて、兄の子を産みたくて。兄の子を孕んでいるかどうかが分かる前の婚姻だから受け入れたのだと思う。閨以外では顔を合わそうともしなかった。彼女にとっての夫はあくまでも兄で、まともに私に会ってしまったら、自分の今の夫が弟の方だと認めなければならなくなるから。そんな相手を、しかもずっと兄嫁として接してきた相手を、妻として女性として愛せるわけなどない。兄嫁が産んだのは、あくまでも兄の子としてだった。おかげでイヴェットは私の子供である可能性もあるが、兄の子供だと、私まで思うようになった」
さすがにデリケートな内容になったので黙って聞いていた。でもやることやってたんでしょ、なんて言える空気でもないし。遺伝子鑑定できないこの世界じゃ、どちらの子かなんて誰にも分からない。もういっそイヴェットちゃんを姪として扱えば良かったのかもしれないけれど、婚姻した妻が産んだことには間違いがないから、真実がどうあれ、彼の子と見做される。だからこそ、クロヴィスにとってのイヴェットちゃんは、ふたりともが死んでいてもなお、兄夫婦に彼を縛り付ける鎖だと感じてしまうんじゃなかろうか。
そこまで考えて思ったこと。望んだわけではなかったけれど嫁いでしまったからには、これからここが私の居場所。今すぐ離縁とかしても生きていけないし。ならば、少しでも居心地を良くするために行動するべきだろう。今から。
「あの、私がもうここの女主人なんですよね?」
「ああ、もちろんだ」
「ならば女主人としての権限と、新妻としての我儘で、回廊の肖像画はこれから一室にまとめて飾ることにしましょう!」
「それは……」
「あなたが当主で私が女主人! 別に捨てるわけじゃありません。ちゃんと専用の部屋で大事に保管して、鑑賞したい人が訪れたら見られるようにしておくので、問題ありませんよね!?」
よりによって子供部屋への途中の通路に飾ってあるから、余計にイヴェットちゃんのところに行き難くなったに違いない。お家的に廃棄するのはまずいだろうけれど、わざわざ入室しなければ見られない部屋に隔離するくらいは許されるはず。彼も、そして私も、過去の亡霊に監視されない方が快適だ。
クロヴィスは目を見開いて私を見て。そして壁に縋って笑い出した。
「き、君って人は……!」
「邸中、模様替えして雰囲気変えていきましょう! あ、私の部屋を優先で!」
しばらく笑いの発作と戦っていた彼は、復帰すると涙の跡の残る目を向けて来た。そこにある感情は、おそらくは感謝?
「その、君のことをフロランスと呼んでも?」
「ええどうぞ。好きにお呼びくださいませ」
「ではフローラと」
「なんだかくすぐったいですね」
姉たちにはフロゥとかフロラとか呼ばれていたから。花の女神とか、ちょっと柄じゃないんですが。
「先程、私を名で呼んで欲しいと頼んだだろう? 近頃は肩書や家名で呼ばれるばかりで、それに慣れてしまってはいるが、ふと寂しくなって。親や疎遠になった友人以外で、私の名前を呼んでくれる人が思いつかなかった。伯爵家の当主なんぞを背負ってしまえば尚更に。だが妻にならば呼ばれるのはおかしくない。そう気が付いたから再婚しようと決めた。その相手が君で本当に良かったと思うよ」
「ありがとうございます、クロヴィス様」
私たちは見つめ合い、微笑み合った。うん、案外、良い関係を築けそうじゃない? ただし、まだ大きな問題が残っている。
おそらくもうすぐ子供部屋に着くだろう。幼い子供だから、側で何を言っても分からないだろうってのは、大人の傲慢さに過ぎない。その時には分からなくとも、大きくなって意味を知ったりするくらいには、子供の記憶力は侮れないのだよ。実体験含む。
なので。イヴェットちゃんと顔を合わすまでに打ち合わせは済ませてしまおうじゃないの。
「ねえ、クロヴィス様。私、放置子だったんです。両親からは無関心不干渉。姉たちと使用人がいたので無事ここまで育ちましたが。そしてお話を伺う限り、クロヴィス様は長男教の兄弟格差犠牲者ですよね? そんな私たちが夫婦になってしまったんです。ならば、私たちこそが、自分たちが親に求めていたものをあの子に与えられるんじゃないでしょうか?
クロヴィス様が私に願ったように名前を呼んで。私が親に求めたように抱きしめて頭を撫でて。そこから始めませんか?
誰が親だとか、それはどうでも良いんです。だって継母になる私なんて、イヴェットちゃんとまったく血の繋がりなんてないんですから。あなたがあの子の父でも叔父でも問題ない。何だったら私の夫だからあの子の父親をこれから目指すんでも良いと思います。私だって親になるのは初めてなんですからね? クロヴィス様共々、初心者ということで!
愛せないかもと怖がってばかりよりも、抱きしめてお互いの体温を感じているうちに情なんて勝手に沸くと、うちの頼れる長姉がそう申しておりました。なので、信頼できる筋からの情報に従ってみようかと。でもさすがに一人じゃ不安だから、まずはクロヴィス様。私と手を繋いでください。そしてあの子をひとりにしないために、目を合わせて挨拶する時には一緒にしてください。新妻からのおねだり、もちろんクロヴィス様なら聞き入れてくださいますよね?」
昔の私みたいに、凍り付いたままのその瞳を溶かしてあげたい。お互いが側にいることに慣れて、そのうちに家族になっているかもしれない。
そしてまだ幼いあなたが、ドアマット令嬢なんかになる未来が来ないようにするのが、きっと私とクロヴィス様の新しい役目になることでしょう。
幼女、ちゃんと出て来るつもりで書いていたんですけどね? あれ?
只今、週一でハイファンタジー『知る人ぞ知る~ダンジョン発生のあおりで失業した薬師の娘が薬膳料理店を開きます~』投稿中です。興味のある方はぜひ。
猫の湯さまからの熱望(?)にお応えして、当初ここまで書く予定だった蛇足部分を、感想返しに書いたものに手を加えました。
(ラスト直後からの展開です)
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扉の向こうには予想通りの光景が広がっていた。子供部屋。壁紙の色は淡く明るく、家具はどれもが背の低いものばかり。片隅には遊具や人形も揃っているが、あまり使われている形跡はない。物はあるのに、何故か閑散とした印象の部屋だった。
こちらの訪問に対応して、ソファに座らせられていた幼女が、乳母と侍女に促されて立ち上がらされる。その姿を見る限り、栄養は足りているようだ。ダークブロンドの髪に瞳の色は翡翠色。なるほどこれでは兄弟どちらの子供か分からないだろう。
専属の乳母に専属の侍女。でも私は知っている。どれだけ親身に世話をしてくれても、彼女たちと家族になるのは難しい。結局、仕事でしかなくて、世話している子供よりも自身の家庭を選ぶのだから。裏切られたと思うのは間違いだ。もしやそれをもう感じ取っているのだろうか。幼子の瞳には彼女たちへの何の期待も浮かんではいない。そしてそれは訪れた私とクロヴィスに対しても。
小さな子供というのは頭が重くてバランスが悪い。ぺこりと頭を下げさせられた彼女が、そのまま前転してしまうのではと怖くなって、思わず手と足が出てしまった。足は彼女の前に進むため。手は倒れそうな彼女の頭を支えるため。
ただこの時。私はクロヴィスと手を繋いだままで。そのせいで彼を引きずる形になってしまった。当然、私よりもずっと背の高い彼こそが大きくバランスを崩す事に。そのため彼は咄嗟に片膝をついたが、それを丁度良いと私も膝をつく。
目の前で大人二人が結果的に視線を合わせて来たことに、幼女の瞳が大きくまぁるく見開かれて、驚きに染まった。
(ああ大丈夫。この子はまだ感情を手放していない)
私は内心で安堵し、できるだけ柔らかい表情を心がけて口角を上げる。
「昨日も会ったわね。イヴェットちゃん、いえイヴェット。私はフロランス。あなたのお母さま候補なの」
「おか……さま……?」
幼児特有の甲高い声。きゃっきゃと笑うのが似合う声。けれど今は、戸惑いばかりに彩られた声。
「無理に呼ばなくてもいいし、呼びたければお母さまでもいいわ」
そして徐ろに隣を向く。
「こちらは覚えていて? あなたのお父さま候補のクロヴィス様よ」
私と昨日会った時よりも余程緊張しているのが指先から伝わって来た。むしろ私の手が命綱であるかのように力が籠もる。
「イ、イヴェット」
ようやくそれだけ口にしてまた固まるクロヴィスと手を繋いだまま、幼女の後ろに回って背後から抱き込んだ。私が手を放していないから、夫も道連れである。
抱きしめるというより、ゆるく囲んだ腕の中で、今度はイヴェットが固まった。案外似ている二人かもしれない。
「いきなりでは無理でしょうけど、お互いに慣れて、いつか自然に抱き合えるようになりましょうね?」
私は少し湿った幼い子供の頭の匂いを吸い込みながら、これからの未来に思いを馳せた。愛することも愛されることにも不慣れな私たちだから、その道はきっとまっすぐではなくて。人よりもきっと遠回りすることになるだろう。それでも。信じて進む先にあるものを三人で見られる日はきっと来る。
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子供の頭の匂いを嗅ぐのが好きだってお母さん、一定数いるよね、って。




