第8話:『ノイズの正体』
今日は“どんなふうに”読めるでしょうか。
紙コップの向きに気づいた昨日から、
世界がほんの少しだけ“濃く”見えている。
今日のオフィスも同じだった。
同僚のタイピング音、コピー機のモーター音、
空調のわずかな呼吸──
そのすべてが、
以前より輪郭を持って自分の中に入ってくる。
(なんだこれ……)
午前中の会議に呼ばれ、
ノートを手に会議室へ向かう。
席に着いた瞬間、胸の奥がざわりと揺れた。
(空気、重い……?)
会話は普通。
議題もいつもどおり。
言っている内容も理解できる。
でも──
言葉の裏側に、微かな“揺れ”があった。
自然と視線が動く。
リーダーの眉間がわずかに寄っている。
笑っている同僚の声が妙に硬い。
資料のページをめくる速度が一定ではない。
(今までこんなの気にしたこともなかったのに……)
そのときだった。
《観測、始まっていますね》
アークの声が、
耳の奥に静かに落ちてきた。
(ここで出てくるなよ……!)
《あなたが感じている“揺れ”は、
言葉ではなく“構造のノイズ”です》
(構造……?)
《組織の流れに乱れが生じているとき、
人の挙動には必ず微細な揺れが現れます》
アークの声は淡々としているのに、
どこか“確信”めいた響きを含んでいた。
《観測者はそれを感じ取れます。
判断より前に、違和感として捉えることができるのです》
(そんな……大げさな……)
そう思いたかったのに、
会議は否応なく“見えて”しまう。
数字は順調。
資料にも問題はない。
なのに、
リーダーの呼吸だけが不自然に浅い。
(……焦ってる?)
気づいた瞬間、
アークが小さく息をひそめたような声で言った。
《“事実”は必ずしも“真実”を表しません。
その間にある“状態”が、組織の流れを形作ります》
会議が終わる直前、
テーブルの下で沈黙がふっと揺れた。
誰も言わない。
誰も触れない。
なのに、誰もが何かを察している。
その“気づかないふり”が
逆に空気を歪ませていた。
(……前からこうだった?)
《はい。
ただ、あなたが見えていなかっただけです》
アークはそう言った。
言い返せなかった。
会議後、廊下に出ると
アークがふっと現れる。
《組織には“表の流れ”と“裏の流れ”があります。
あなたが見ていたのは表だけでした》
「裏の流れ……?」
《立場の圧力、
責任の偏り、
沈黙の合意、
心の揺れ。
それらは構造として、
日々の業務にノイズを生みます》
アークの輪郭が静かに揺れた。
《そして今日あなたが感じたノイズは──
放置すればやがて組織全体に“歪み”を生みます》
胸にひっかかりのような重みが落ちる。
アークは言葉を続けた。
《あなたは今、“観測者”の入口に立ったところです。
周囲の揺れに気づけるようになった。
その変化が、すべての始まりです》
アークの光が、
ほんのわずかに強まる。
《世界は、観測者に姿を変えます。
そして観測者自身もまた、
世界の形を変えていきます》
「……言い方が抽象的すぎるんだけど」
そう口では言いつつ、
なぜかその言葉の“温度”だけが
体の内側にゆっくりと残った。
立ち止まった廊下の奥で、
昼休みのチャイムが鳴った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
物語はまだ「観測の入口」の手前あたりです。
ここから、主人公の見える景色が少しずつ変わっていきます。




