第36話:『ずれ直し』
わずかなズレに、
また目が向いてしまう。
違和感は、
説明できる形では戻ってこなかった。
数値でもない。
工程でもない。
人でもない。
ただ、
配置の端が、少しだけ動いた。
配合表を開く。
規定値はそのまま。
整理された順序も変わっていない。
なのに、
目が止まる場所が
昨日と違う。
(……ここ?)
理由はない。
根拠もない。
ただ、
そこに“残り”がある。
机の上の資料を一枚、ずらす。
揃えていたはずの角が、
わずかに合わなくなる。
気持ちが悪い、ほどではない。
だが、
戻したくならない。
(戻さなくていい、か)
その感覚が、
久しぶりだった。
後輩が、
報告を持ってくる。
「この流れで
進めてます」
いつもなら、
「問題ない」と言っていた。
今日は、
少しだけ間を置く。
「……一回、
ここ、飛ばしてみようか」
理由は言わない。
説明もしない。
後輩は一瞬、
驚いた顔をしてから頷く。
「分かりました。
やってみます」
(通ったな)
決定ではない。
修正でもない。
余白が、一瞬だけ開いた。
ホログラムはすでに起動している。
《稼働中》
アークの表示は、
中心から
ほんのわずかに外れている。
「これ……
ズレてきたか?」
問いは、
確認に近い。
一行。
《微差、再発》
再発。
戻ったわけではない。
新しく生まれたわけでもない。
残っていたものが、
顔を出した。
昼の打ち合わせ。
資料は整っている。
前提も共有されている。
それでも、
一箇所だけ、
言葉が引っかかる。
「ここは……
そう言い切らなくて
いいかもしれません」
誰かが首を傾げる。
「でも、
今まではそうしてましたよね」
「ええ。
ただ……
今日は、
別の言い方も
ありそうで」
言い切らない。
結論を出さない。
それだけで、
場の空気が
わずかに動く。
(……揺れた)
衝突ではない。
反論でもない。
位置が、
半歩ずれただけ。
机に戻ると、
さっき飛ばした工程の
報告が来ている。
問題はない。
むしろ、
手触りがいい。
(これだ)
声に出さない。
評価もしない。
ただ、
その位置を
覚えておく。
アークの表示を見る。
「このズレ……
続くか?」
問いは、
期待でも不安でもない。
一行。
《再配置、兆候》
兆候。
まだ、
始まっていない。
だが、
始められる余地が
戻っている。
窓の外を見る。
風向きが、
少し変わっている。
強さは同じ。
空も安定している。
だが、
雲の流れが
昨日と違う。
(世界は……
固定を嫌う)
限界は、
終わりではなかった。
次の位置へ
移るための
静かな準備だった。
今日は、
大きくは動かない。
ただ、
戻ってきた
小さなズレを
そのままにしておく。
それで、
十分だった。
世界は、
また少しだけ
動き出している。
その気配が、
確かにあった。




