第33話:『翻訳』
立っている位置の差を“通す役割”が、
静かに現れ始める。
言葉が、そのままでは届かなくなっていた。
意味は通じる。
内容も正しい。
論理も破綻していない。
それでも、
次の行動につながらない。
配合表を囲んで、
三人がそれぞれの画面を指している。
後輩が言う。
「ここ、
この工程を先に回した方が
作業が安定するんです」
指しているのは後段だ。
温度が落ち着いたあと、
一度だけ手を入れる工程。
「順番を変えるだけなので、
数値は触ってません」
営業が眉をひそめる。
「それだと、
説明が少し難しくなりません?」
彼が指しているのは、
入口の説明資料。
「最初にこの話をして、
次にこの流れで行くと
分かりやすいんですけど……」
管理側が、
少し遅れて口を開く。
「どちらも分かるんですが、
この順番だと
判断に時間がかかりそうで」
誰も否定していない。
声も荒れていない。
ただ、
指している“最初の一点”が違う。
後輩は、
「失敗しない入口」を見ている。
営業は、
「伝わる入口」を見ている。
管理は、
「判断が早い入口」を見ている。
同じ配合表。
同じ工程。
なのに、
入口が三つある。
空気が、
そこで止まる。
誰も次の言葉を続けない。
その沈黙の中で、
気づいたら口を開いていた。
「順番の話じゃなくて……」
三人の視線が集まる。
「どこを
“最初に固定したいか”
の違いですよね」
後輩が、
少し考えてから言う。
「……ああ、
自分は
失敗しないところです」
営業が続ける。
「自分は、
最初に理解してもらえるところ」
管理側が頷く。
「私は、
判断が止まらないところですね」
そこで、
空気が動く。
対立は起きていない。
結論も出ていない。
だが、
互いの立ち位置が
初めて見えた。
(……翻訳、か)
意見をまとめたのではない。
どちらかに寄せたわけでもない。
立っている位置を、
互いに見える形にした
それだけだ。
ホログラムはすでに起動している。
《稼働中》
アークの表示は、
意見の間にある。
どちらにも寄らない。
「これ、
俺が決めてる感じじゃないよな」
独り言に近い。
一行。
《意味、変換》
変換。
評価ではない。
最適化でもない。
通過させただけ。
話は再開する。
「じゃあ、
入口はこの点にして……」
「そこから現場側で
安定を取る感じですね」
言葉が、
自然につながる。
不思議なほど、
誰も譲歩した気がしていない。
(役割だな……)
指示する立場でも、
決断する立場でもない。
ただ、
言葉が噛み合う位置に立っている。
会議が終わる。
「助かりました」
そう言われて、
初めて気づく。
助けた、という実感はない。
時間も、
労力も、
特別に使っていない。
それでも、
流れは前に進んでいる。
机に戻ると、
別件の資料が置かれている。
「この件も、
一度見てもらえます?」
内容は違う。
だが、
構造は同じだ。
(翻訳が、
仕事になり始めてる)
アークの表示を見る。
「これ……
続けるとどうなる?」
問いは、
予測ではない。
位置の確認。
一行。
《役割、定着》
定着。
気づかないうちに、
期待され始める。
頼られ始める。
“通す”ことが、
前提になる。
窓の外を見る。
人の流れが、
一度交差し、
また分かれていく。
ぶつからない。
止まらない。
ただ、
接続点を通過している。
(翻訳は……
摩擦を減らす)
同時に、
熱も減らす。
情熱も、
衝動も、
そのままでは通らない。
(これは……
長く続ける位置じゃないな)
まだ、
限界ではない。
だが、
コストが見え始めている。
今日は、
問題は起きなかった。
むしろ、
よく回った。
それが、
いちばん分かりやすい兆候だった。
世界は、
今日も静かに前へ進んだ。
言葉が、
正しく翻訳されたからだ。
そしてその翻訳は、
誰のものでもなく、
位置の作用として
そこに残った。




