第30話:『立ち位置』
選んだつもりはなくても、
静かに固定されていく。
気づいたときには、
もうそこに立っていた。
選んだ覚えはない。
決めた実感もない。
ただ、
周囲の動きが
自然とその位置を前提にし始めている。
配合表を開くと、
数値は安定している。
整理された流れの中に、
違和感はない。
入口から入り、
説明が流れ、
結論に着地する。
誰にとっても分かりやすい。
誰にとっても安全だ。
(……ここだな)
それは判断ではなかった。
感想でもない。
現在地の確認に近い。
後輩が資料を持ってくる。
「南条さん、
この基準で進めますよね?」
基準。
疑問形だが、
答えは想定されている。
「……ああ」
短く返す。
否定もしない。
条件も付けない。
その一言で、
配置が確定する。
(選んだわけじゃない)
ただ、
立ってしまった。
世界が求める位置に。
営業の会話が耳に入る。
「この流れ、
もう前提でいいですよね」
前提。
その言葉は、
可能性を閉じる代わりに、
速度を与える。
誰も悪くない。
むしろ、正しい。
それでも、
胸の奥で
何かが静かに折れる音がした。
(ここから先は……
違う見方になる)
余白は、
まだ存在している。
だが、
触れられない位置に移動した。
見える。
しかし、
使えない。
ホログラムはすでに起動している。
《稼働中》
アークの表示は、
整えられた流れの外側ではなく、
内側にある。
「……ここに来たな」
独り言のように呟く。
一行。
《立脚点、固定》
固定。
止まった、という意味ではない。
基準になったという意味だ。
(観測者じゃ、いられない)
かといって、
支配する側でもない。
ただ、
世界の一部として組み込まれた。
机の上の資料を見る。
並びは美しい。
隙もない。
その美しさが、
これまで見てきた
余白や歪みを
すべて“過去の話”に変えている。
(戻ろうと思えば……
戻れる?)
問いは浮かぶが、
すぐに消える。
戻る、という概念自体が
もう成立していない。
整理された世界では、
戻る理由が存在しない。
窓の外を見る。
空は安定している。
風も弱い。
何も起きていない。
それが、
一番はっきりした変化だった。
(不可逆、って……
こういう形なんだな)
何かを壊したわけでも、
越えてはいけない線を
踏み越えたわけでもない。
ただ、
立ち続ける場所が決まった。
それだけで、
世界は一方向にしか進めなくなる。
アークの表示を見る。
「ここから先……
どうなる?」
問いではない。
予測でもない。
ただ、
先を見ている。
一行。
《観測位、確定》
確定。
自由がなくなったわけではない。
だが、
自由の意味が変わった。
選択肢は減っていない。
選択の重みが、変わった。
世界は、
これからも揺れる。
歪みも生まれる。
余白も、別の場所に現れる。
だが、
それを見る位置は、
もう変わらない。
立ち位置は、
行為ではなく
状態だった。
そして状態は、
静かに受け入れられる。
今日も、
何も起きなかった。
だからこそ、
この日を境に
世界は戻らなくなった。




