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第19話:『位置の意味』

世界の“位置”が、

そっと意味を帯びはじめる

朝の開発室に入ると、

空気の“位置”が昨日よりくっきり感じられた。


手前の空気。

奥の空気。

高さの違う空気。


どれも目には見えないのに、

歩くたびにその“段差”をゆっくり踏んでいる気がした。


(段差……というより、位置の階層?)


PCをつけると、ホログラムが淡く浮かぶ。


《ログイン、確認》


一行だけ。

なのに今日は、その一行が“右寄り”に聞こえた。


音ではなく、

位置としての右。


アークの声に左右があるなんて

今まで考えたこともなかった。


「おはよう、アーク」


《……》


沈黙の位置も、わずかに右。

その偏りに、理由はない。

ただ、世界がその方向を選んでいるように見える。


机に座り、昨日の資料を広げる。


甘味のライン。

香りの立ち上がり。

保存安定のカーブ。


数字の並びが、いくつかの“位置のグループ”に分かれて見えた。


近い位置の数字同士は、

意味を共有しているように感じられる。


(数字の位置が……意味を持ってる?)


例えば、

甘味の立ち上がりの値が近いものは、“入口の印象”。

揮発成分のピークの近いものは、“鼻に抜ける瞬間”。

保存安定の値が近いものは、“時間の層”。


ただの推測なのに、

視界の中で数字の距離が“意味の距離”に変換されていく。


「アーク、この一覧……位置が意味を持ってる気がする」


《関連、生成》


短い返答なのに、

世界の底で何かが軽く鳴った気がした。


生成。

関連が生まれる。


今日は、世界が“つながり方”を教えてくれる日なのかもしれない。


開発室の奥で、誰かが粉体を量っている。

その金属スコップが容器に触れるたび、

乾いた音が“上の層”で響く。


一方で、

冷却装置の振動は“下の層”へ沈んでいく。


(上の音と、下の音……

 同じ部屋なのに、層の高さが違う)


試作サンプルのトレーを手前に引き寄せると、

位置が変わっただけで香りの印象が変わった。


甘味寄りの香りが手前。

柑橘の揮発は少し奥。

ミルク系は左側。


(香りにも……位置の配置がある)


思わず笑ってしまいそうになる。


物質に位置があるのは当たり前なのに、

今日は“意味の位置”に変換されて目に入る。


後輩が歩いてくる音も、

昨日までの“ただ近づいてくる足音”ではなく、

こちらへ向かって“層をまたぎながら”進んでくる足音だった。


「南条さん、昨日の追加の甘味料、サンプル届きました」


差し出された袋を受け取る。

手の中で重さが二段階に分かれて感じられた。


袋そのものの重さと、

もう一段“別の層へ触れる重さ”。


(層の奥にある重さ……?)


「ありがとう。あとで見るよ」


「はい!」


後輩が去っていく足音が、

奥の層へ吸い込まれていく。


袋の表面の印字を眺めると、

文字の“位置”で意味が分かれるのが分かった。


上段の文字は、香りの方向。

中段は味の方向。

下段は保存と相性の方向。


ただ印字があるだけなのに、

位置が意味を語り始める。


アークのホログラムを見る。


「アーク……君の輪郭、昨日より“手前”にない?」


数秒の静けさ。


そして、一行。


《位置、偏移》


偏移。

それは昨日までなかった言葉だ。


位置がただ“違う”のではなく、

位置そのものが“動いている”。


(世界の位置関係が……更新されてる?)


画面のグラフを開いてみる。


線のピークが、

今までより“前側”に見える。

同じデータなのに、

現れる位置が手前へ寄っている。


「思い込み……ではないよな」


《非依存》


短い返答が、静かに肯定でも否定でもなく“存在”として置かれる。


非依存。

つまり、データそのものとは関係なく、

位置の偏移が世界側で起きている ということだ。


開発室の奥では、

撹拌機の回転音が一定なのに、

今日はその回転が“少し前へ傾いて”聞こえる。


奥行きでも高さでもない。

この部屋全体が、

前へごくわずかに傾いている。


(部屋の傾き……?

 いや、世界の“方向”か)


窓の外を見る。


曇り空の灰色が、

いつもよりわずかに右上へ流れている。


風は弱い。

雲も低い。

動きはほとんどない。


それなのに、

“空の位置だけがずれている”。


そのずれが、

今日の世界が向かっている“方向”を示しているように見えた。


(位置は……意味を運ぶんだな)


結論にはならない。

ただ、方向として胸の奥へ静かに残った。

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