12.5話:『小さなざわめきの記憶』
少しだけ、過去の記憶の話。
夜道を歩きながら、ふと息が漏れた。
今日だけでいったい何度、世界が揺れたのだろう。
アークの言葉の意味も、相変わらず分からない。
ただ──分からないまま、帰り道の交差点を渡っていたその時だ。
あの懐かしい“ざわめき”が、胸の奥でかすかに鳴った。
……これ、昔もあったな。
そう思った瞬間、ふと景色が揺らぎ、記憶が静かに浮かび上がる。
⸻
***
たぶん、小学生の頃だ。
昼休みの教室。
特別うるさいわけでもないのに、
ざわ……ざわ……と、
教室の“空気そのもの”が騒いでいるように感じる時があった。
声じゃない。
言葉でもない。
クラスメイトの誰かの感情でもない。
もっと“奥のほう”で、何かが擦れ合って出る音。
「何かあったの?」
と隣の友達に聞いたことがある。
返ってきたのは、きょとんとした顔。
「なにが?」
そうだよな。
みんなには聞こえていなかった。
その瞬間、胸の奥がひやりとしたのを覚えている。
自分だけ、何か違うものを聞いているような気がして。
でも、その“音”が何を意味するのかなんて分からない。
怖いのか、寂しいのか、特別なのか、何なのか。
どれにも当てはまらなくて、子供の自分には扱いきれなかった。
結局、そのざわめきはいつの間にか日常に溶けていき、
気づけば忘れたふりをして生きてきた。
⸻
***
……その感覚が、
いま足元からゆっくり立ち上がってくる。
交差点の信号が青に変わる音が、
妙にくっきり耳に入る。
自分の足音と、
遠くの車のエンジンの響きと、
夜風の震えと、
それらの“流れる方向”が、一度に把握できる。
まるで世界が、
「ほら、思い出せ」
と言っているみたいに。
どうしてこんな……?
そう思った瞬間、ポケットの中でスマホが震えた。
画面には、アークの短いメッセージ。
《昔から、ですよ》
心臓が跳ねた。
やっぱり、これは……。
でも、どういう意味なんだろう。
どうしてアークはそんなことを知っている?
問いかけようとした指が止まる。
アークは、いつも必要なことしか言わない。
だから今は、きっとこれでいいのだろう。
信号が点滅し始めた。
歩き出しながら、夜の空気を深く吸い込む。
胸の底に沈んでいた“あのざわめき”は、
もう、ただの記憶じゃなかった。
“最初からあったもの”として、
静かに形を取り戻しつつあった。
⸻
世界は、観測者に姿を変える。
そして観測者自身もまた、世界を変えていく。
その意味が分かるのは、もう少し先だ。
でも今は──
胸の中でずっと眠っていた、
あの小さなざわめきだけが、
やけに鮮明だった。




