第13話:『構造の輪郭』
会社の午前は、
いつもどおり慌ただしい。
キーボードの連打音。
プリンターの低い唸り。
部署ごとの挨拶や報告が飛び交う。
そのどれもが、
いつもどおりの「仕事」であるはずなのに、
今日は少し違って見えた。
(……位置関係がおかしい)
人と人とのあいだに、
目に見えない「距離」が生成されている。
仲が悪いとか、衝突するとか、
そういう分かりやすいものじゃない。
ただ、
誰と誰が、どの話題を避けているか。
どこで話が詰まり、
どこで流れが逸れていくか。
それらの 方向性 が、
昨日よりも明確に見える。
(こんなの、いつから……)
ふと、ディスプレイの右下に
小さな光が重なった。
ホログラムのウィンドウが開く。
《構造的停滞が発生しています》
淡い文字が一行だけ。
「……どこで?」
《多数》
いつものように、
説明はなく、最大限の省略だけが提示される。
俺は席から立ち、
資料を持って会議室に向かった。
⸻
会議室に入ると、
空気が明らかに重い。
湿度ではなく、密度。
言葉が通らない密度。
情報が物質化しているみたいな圧。
資料を配布し、席に座る。
周囲の声が断片的に聞こえる。
•「今期のリソースが……」
•「営業からの数値が……」
•「品質基準を……」
意味自体は理解できる。
でも今は意味ではなく、
その言葉が、どこから来て、どこへ向かおうとしているのか
それだけが見える。
たとえば、
「品質基準が—」
と言いかけて黙った人間がいた。
その沈黙の背後に、
•「これ以上やりたくない」
•「そもそも理解していない」
•「責任を取りたくない」
どれとも違う、
力学的な停滞
がうっすらと流れていた。
(人じゃない。構造の現象だ)
個人の感情ではなく、
構造上の負荷。
その負荷が
「誰か」ではなく
「場」に作用している。
会議室の形状。
席の配置。
発言者の分布。
そして、沈黙の位置。
それらがすべて、
「会社というシステム」の設計図として
半透明に浮かび上がっている。
(やばいな)
理解ではなく、観測。
俺は資料に目を落とした。
指先が少し震えていた。
⸻
発表が始まる。
俺は話す。
周囲が聞く。
議論が起きる。
そのどれもが
本来なら「仕事」という名の行為である。
でも今日は違う。
議論の流れが、
人ではなく「構造」によって制御されている。
例えば、
•分析結果を示す
•改善案を述べる
•リスクを説明する
この流れは、
言語的には順当でも、
構造的には、
「現状を肯定する力」
と
「変化を回避する力」
が互いに干渉している。
議論そのものが
力学的な衝突に見える。
(人は……何も考えてないんじゃない)
じゃない。
人はそれぞれ考えている。
でも、「場」が先に方向性を決めている。
結果として、
誰が何を言っても
「同じ方向」に押し戻される
その力が強い。
それが 会社の形 そのもの。
⸻
ホログラムが光る。
《構造的反発が増幅しています》
「……そう見えるよな」
俺は呟いた。
ウィンドウは反応しない。
その沈黙が、
逆に正確だった。
⸻
休憩の時間になると、
周囲の雑談が始まった。
•「最近、人増えて良かったよね」
•「いや、全然足りないっしょ」
•「まーでもやるしかないでしょ」
軽口の裏に、
目に見えない 統制 が流れる。
愚痴と同意が交換されているのではない。
秩序を維持するための調整作業 が
自然発生している。
(ああ……これは、秩序維持の仕組みか)
誰も指揮していない。
誰も命令していない。
でも、
「組織が壊れないように」
自動で調整が走る
それが、
人間にとって自然な振る舞いとして成立している。
人間がその法則に従うのではなく、
法則が人間を動かす
そんな感覚。
(俺は、何を見てるんだ)
⸻
会議が再開される。
議題は進められるが、
根本的な問題には触れない。
触れないのではなく、
触れられない構造になっている
その閉塞を「人」で説明すると、
人間批評になる。
でも違う。
人は悪くない。
悪いのは、
構造
であって、
その構造が
人をそう振る舞わせている。
⸻
会議が終わり、
席に着こうとしたとき、
ホログラムが淡く揺れた。
《構造の輪郭が安定しています》
「安定……?」
《視認可能な閾値を超過》
俺は椅子に腰掛け、
空調の音を聞く。
安定=終わりではない。
ただ、
見える状態になった
というだけ。
⸻
仕事を再開しながら、
俺は思った。
(これ、チートじゃない)
能力でもない。
超能力でもない。
ただ、
世界の「力学的構造」が
以前より鮮明に観測できるようになった
それだけ。
でも、
その観測が可能になると、
人の言葉も、行動も、感情さえも
「構造の中の現象」になる
善悪や優劣ではなく。
好き嫌いや得意不得意でもなく。
ただ、
力学
その一言で説明できる世界。
それは美しくもあり、
残酷でもある。
⸻
夕方の空気は澄んでいた。
帰宅中の通り道で、風が吹いた。
街灯の光が、
舗道に落ちて揺れる。
人の流れが、
その光を跨いで進んでいく。
その動きに、
見えない「向き」が付与されている。
世界全体が、
どこかへ向かって動いている。
その方向が、
少しだけ分かる。
ただ、それが
正しいのかどうかは分からない。
アークは何も言わない。
ホログラムはただ、
静かに浮いている。
風に揺れる明かりのように。




