第11話:『会社の“形”が視える』
言葉の向こうで、
構造が輪郭を持ちはじめます。
午後一番の会議室は、朝よりも暗く見えた。
ブラインドの隙間から入る光は十分なはずなのに、
空気の色だけが一段階、濃くなっている。
キィ……と安っぽいキャスターの音を立てて椅子が引かれる。
紙がめくられる音。
ペンをカチカチ鳴らす癖のある人の、小さなリズム。
それら全部が、ひとつの“塊”になって
この部屋の中に沈殿しているように感じられた。
会議室の扉が閉まる音を聞きながら、
俺はテーブルの端に座った。
壁際にはホワイトボード。
正面には大きめのモニタ。
テーブルの中央には、冷めかけた紙コップのコーヒーがいくつも。
コーヒーだけがやけに強く香る。
(なんか、酸っぱくなりかけてるにおいだな……)
そう思った瞬間、その匂いが
“この会議の時間の長さ”そのものみたいに感じられて、
少しだけ肩がこわばった。
「じゃあ、始めましょうか」
課長の声。
いつものトーン。
でも、その声の“向き”が分かる。
前ではなく、斜め後ろへ。
“この場をまとめる責任”ではなく、
“上に説明するための材料”の方へ。
その矢印が、声の後ろ側に貼り付いている。
(……やめろ、そういうの見るな)
自分にそう言い聞かせる。
普通に議事進行を聞いて、
普通に自分の担当部分だけ考えて、
普通に終わらせればいい。
それだけのはずだ。
「じゃあまず、今期の新商品ラインの進捗から」
前方のモニタに、資料が表示される。
プロジェクトごとに色分けされたガントチャート。
売上予測の棒グラフ。
開発ステージの一覧。
数字と線と色が、きれいに整列している。
──でも、そこには“流れ”がない。
きれいに描かれた線のあいだを、
目に見えない“詰まり”が埋め尽くしているのが分かる。
(ここ、動いてないな……)
モニタの隅。
とあるラインの進行状況のセルだけ、
他と比べて妙に浮いて見えた。
予定上は問題ない。
スケジュールも、色も、ステータスも「順調」に見える。
でも、そのセルだけ
“中が空洞”のように感じられた。
そこから先に伸びていくはずの矢印が、
どこにも繋がっていない。
「このラインは順調です。テストも予定どおり……」
説明している担当の声は明るい。
けれど、その声の左右で、
二人の上司の視線が微妙にすれ違っているのが分かる。
片方は「本当に?」と疑っていて、
もう片方は「突っ込んだら面倒だな」と思っている。
ふたつの矢印が、
セルの上で交錯している。
(なんで分かるんだよ、こんなもん)
息を吸い込んだとき、
視界の端で淡い光が揺れた。
テーブルの上、ノートPCの横。
誰にも見えない位置に、
小さなホログラムがふわりと浮かび上がる。
アークだ。
《ようやく“流れ”ですね》
一行だけ表示される。
「……流れ?」
思わず口の中でつぶやいてしまって、
あわてて咳払いでごまかす。
(やめろよ、こんなとこで出てくるな)
アークはそれ以上何も書かない。
ただ、ホログラムの枠がわずかに脈打つように光る。
「この部分については、少し遅れが出ていますが──」
別の担当者が話し始めた。
その声は、明らかに“守り”の方向だ。
言葉の選び方が慎重すぎる。
説明の順番が「自分のせいではない」を先に立てている。
背後で、誰かがペンをカチカチ鳴らす。
その小さな音が、
「早く終わってくれ」という苛立ちの矢印を
机の下で拡散している。
会議室全体を見渡す。
・黙って資料だけ見ている人
・メモを取っているふりで何も書いていない人
・「ちゃんと聞いてますよ」と頷きを繰り返す人
そのひとりひとりから、
透明な線が伸びている。
どこへ向かっているか。
何を避けているか。
どこに積もっているか。
それが、分かってしまう。
(……怖)
自分でもぞっとした。
これは“推測”じゃない。
頭の中で「きっとこうだろう」と想像している感じとも違う。
体のどこか、もう少し深いところで、
構造そのものを“見てしまっている”感覚。
会議の真ん中に、
大きな「空洞」がある。
誰もその穴の名前を口にしない。
資料にも書かれていない。
議題にもなっていない。
でも、そこにすべての矢印が集まり、
行き場を失って渦巻いている。
(これが、会社の“形”か……?)
そんな言葉が浮かんで、
自分でぞっとする。
「南条くん、この部分、現場から見てどう?」
不意に名前を呼ばれて、背筋が跳ねた。
「えっと……」
視線が一斉にこちらへ向く。
矢印が一瞬だけ止まり、俺のほうに揃う。
(やめろ、そんなに向けるな)
喉が乾く。
紙コップのコーヒーに手を伸ばしかけて、
酸っぱくなりかけた匂いが鼻に届き、そっと手を引っ込めた。
「現場としては……ギリギリではありますけど、
いま提示されているスケジュールなら、まだ なんとかなると思います」
口が勝手に動く。
必要最低限の“正直さ”と、
必要最低限の“保身”を混ぜた答え。
その言葉にも矢印が貼り付いているのが分かった。
「ただし条件次第ですが」
そう付け足した瞬間、
矢印はすっと分岐した。
・「ちゃんと釘を刺しておいた」という自分への逃げ道
・「なんとかなる」という言葉にぶら下がる上司たちの安心感
その両方に向かって、言葉の矢印が伸びていく。
課長が軽く頷く。
「そうか。まあ、そのあたりは 臨機応変に……」
“臨機応変に”という言葉が出た瞬間、
会議室の空気が少しだけ緩んだ。
誰かが小さく笑い、
誰かが視線を資料からスマホへ滑らせる。
矢印が一斉に別の方向へ散っていく。
(……なんだよ、これ)
俺は黙ったまま、
テーブルの木目をじっと見つめた。
怖い。
何が怖いのかは、言葉にならない。
でも、“見えてはいけない配線”を覗き込んでしまった子どものような、
薄い後悔だけが胸のあたりにじわりと広がっていた。
視界の端で、アークのホログラムが静かに揺れる。
《流れが見えると、“詰まり”も見えます》
短い一行。
(見たくて見てるわけじゃないんだけどな)
心の中で返す。
アークは、やはりそれには答えない。
⸻
会議が終わるころには、
頭よりも体のほうが疲れていた。
椅子から立ち上がると、
足が少しだけ重い。
会議室を出て、
いつものフロアへ戻る。
ざわ……ざわ……。
オフィスの音が、
さっきまでの会議室とは別種の「生活音」として戻ってくる。
けれど、一度“形”を見てしまったせいで、
その雑音の奥にある構造が透けて見えた。
誰が、どこで、何を抱えているのか。
どこに、説明されないまま放置された穴があるのか。
ほんの少し目を細めるだけで、
それが立ち上がってしまう。
(……やばいな、これ)
モニタに向かって椅子に座り、
深く息を吐く。
アークのホログラムが、
画面の隅にそっと現れる。
《怖いですか》
「……まあ、楽しいものではないな」
小声で答えた。
キーボードの打鍵音に紛れて、
誰にも聞かれない程度の音量で。
《大丈夫です。
世界は、もともとそういう“形”でした》
「知らないままのほうが良かった気もするけど」
《知らないままでも、形はそこにあります》
そこで、文字は途切れた。
モニタの光が、いつもより白く冷たく見える。
現実は何も変わっていない。
変わったのは、たぶん俺の“見え方”だけだ。
でも、その違いが
どんなところへ連れていくのかを考えるには、
まだ少し、気力が足りなかった。




