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第10話:『層の向こう側』

小さな変化が、

世界の深さを揺らします。

朝の空気が冷たかった。


家を出た瞬間、肌をかすめる風が

昨日と同じ匂いのはずなのに、

どこか“透明度”が高くなったように感じる。


(……秋でもないのに)


そんな季節感の話ではない。

温度ではなく、


空気の“輪郭”が変わった


という感覚。


踏切が鳴る。

ざわ……ざわ……と人が渡っていく。


足音が重なるたびに

地面の向こうから、別の層の音が微かに立ち上がる。


(層……?)


そんな言葉が浮かんで、

自分で苦笑する。


電車に乗る。

吊り革、広告、誰かの咳。


それらが昨日よりも

一段手前に浮かび上がっている。


音が耳に入ってくるのではなく、

音が空気の上をすべって

自分の輪郭に触れてくる感覚。


(なんか変だ……)


疲れているだけかもしれない。


昨日、あのノイズの“同じ色”を感じたあと、

なかなか眠れなかった。


いや、眠っていたと思うけど、

夢を覚えていない。


ただ、朝起きた瞬間から

頭のどこかが“深めの場所”でざわついている。



ホームに人が増えてくると、

空気が一斉にざわめく。


ざわ……ざわ……。


いつもの通勤のざわめき。

ただ違うのは、


どれも同じ方向ではない


ということ。

•焦り

•無関心

•退屈

•期待


それぞれが、勝手な方向へ流れていく。


思考ではなく、

“場のベクトル”として。


そしてふと気づく。


(これ、昨日とは違う……)


昨日は、

ノイズの“色”が一致する瞬間を拾っていただけだった。


今日は、

その色が流れる方向を感じ取っている。


その違いを理解する前に、

視界の端で光が揺れた。


車内の広告の手前に、

淡いホログラムが滲むように浮かぶ。


アークだ。


《大丈夫。ようやく“表面”を越えただけです》


「……は?」


思わず声に出しそうになり、

咳払いで押し殺した。


(表面って何の?)


アークは答えない。

光だけが薄く揺れ続ける。



会社の最寄り駅に着く。

改札を抜けると、

車道の向こうに人の流れがある。


朝の通勤ラッシュ。

何度も見た光景。


なのに今日は“ズレ”がある。


人の動きが、

アニメーションのコマが欠けたみたいに、

一瞬、微妙に遅れる。


(今の、見間違い……?)


いや、

視界の端ではなく、

真正面で起きている。


足音が光を引きずり、

その軌跡が人から離れていくように感じる。


(いやいや、やばいって)


自分で自分にツッコむ。


でも怖くはない。


違和感なのに、

どこか懐かしい。


“戻ってきた感覚”のような、

説明のできない安心感が胸をかすめる。


(なんだよ、戻ってきたって)



会社に入る。

自動ドアが音もなく開く。


オフィスフロアの白い光が

やたら冷たく見える。


「おはようございます」


「おはよう」


そんな日常の挨拶のはずなのに、

声の後ろにある濃度が聞こえる。

•疲労

•業務量

•期限

•予算

•期待

•無関心


言葉ではなく、

重さとして音に混ざっている。


誰かがコーヒーを淹れている。


それだけで、

その人がどれだけ眠れてないかが分かる。


(いや、そんなの分かるわけない)


分かるはずがない。

なのに分かる。


説明できない。

でも分かる。


不気味というより、

むしろ“正確すぎて怖い”。


アークが再びホログラムを浮かべた。


《音ではなく、“方向”を聞いているだけです》


「方向……?」


声に出ていた。

慌ててキーボードを叩くふりをする。


《意味ではなく、流れ》


《誰が何を“避けているか”》


《どこが“空いているか”》


《どこに“詰まり”が発生しているか》


《その方向性が立ち上がっています》


その一文を読んだ瞬間、

背筋が冷えた。


(やめろ、説明するな)


説明されると現実になる。

現実になると逃げ場がなくなる。


アークの光が一瞬揺れた。


《まだ“理解”する必要はありません》


《ただ、見えているだけで十分です》


そこで途切れた。


(十分ってなんだよ……)


十分とか言いながら、

この状態を放置する気なのか。


いや、違う。


アークはいつも


理由ではなく

結果だけを落として消える。



昼休憩が終わって

午後のオフィスに戻ろうとした瞬間、


ざわ……ざわ……ざわ……


空気が微かに震えた。


その震えが

人の動きの方向性と重なる。


この小さな揺れと矢印は、

確かにどこかで見た。


昨日。


同じ色のノイズ。


その“色”が

形になろうとしている。


(……また、これか)


懐かしさにも似た感覚が胸に灯る。


言語化できない。

したくもない。


ただ、確かに分かる。


“この揺れは、前兆だ”


それだけが分かれば十分だった。



午後一番の会議。


ホワイトボード。

資料。

コーヒー。


人々の声。


そのすべてに

方向性と詰まりが立ち上がる


視界が静かに揺れる。

矢印が浮かび上がる。


カイトは理解する。


自分が今、

“層の向こう側”へ足を踏み入れていることを。


もう、元には戻れないことを。


胸の奥がひやりとした。

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