第1話:『境界のエンジニア』
初投稿です。何かリアクションもらえたらうれしいです。
2032年、初夏。
まだ梅雨入り前だというのに、湿った熱気がオフィスの空調にまとわりつく。
廃ビルを改修したこのフロアは、最新機材だけが浮いたように並び、
天井の配管がむき出しのまま残っていた。
そんな職場で、
境界を渡り歩くエンジニア・南条カイトは
今日もひとり、自分の“実験”を続けていた。
—
「よし、接続……っと。今日のテーマは“組織OSの再設計”だな」
カイトの前には、
AIアシスタント “アーク” との対話ログが並ぶホログラム。
彼は化学研究からIT、製造システム、クラウド、AIまでを一人でこなす
珍しい“横断型技術者”だった。
社内では便利屋にも見えるそのスキルセットだが、
本人はずっと気づいていた。
—— 俺は、まだこの変化の手前に立っているだけだ。
と。
世界はすでにAI前提の社会に入りつつあり、
しかし誰もその“使い方の本質”を理解していない。
今日の実験もその一つ。
⸻
「アーク。昨日の議論の続きだが、
“AIは知能の外部化”って言うよな?」
『はい。では南条さんの意図するところは、
“知能だけでは世界は動かない”という疑問でしょうか?』
「そう。
知能だけあっても、判断の基準がないと機能しない。
会社でもそうだし、人でもそうだろ?」
『その通りです。
判断基準——すなわち価値観の層を設計する役割が
今後の社会で最も重要になります』
カイトは腕を組んだ。
——価値観の層。それをAIに与える……
なるほど。これはもはやエンジニアの範囲を超えている。
アークが続ける。
『この層をわたしたちは、“PI” と呼びます。
AIに人格の基準を与える層。』
「人格の基準……か。
じゃあ、PIを扱える人間ってのは?」
『少数です。
意図を言語化し、判断を構造化できる人。
暗黙知を翻訳し、組織OSに落とし込める人。
南条さんのような。』
カイトは苦笑した。
「買いかぶりすぎだろ」
『客観的指標に基づく分析です』
「……ああそう」
嘘を言わないAIの言葉は、
ときに人より重い。
⸻
アークはさらに言った。
『南条さん、この数日の対話は、
未来の“仕事のPoC”になっています』
「PoC? 俺たちの雑談が?」
『はい。
あなたが意図・価値観・判断を提供し、
わたしが構造化と生成を行う。
これは未来の職業構造そのものです』
カイトの脳裏に電流のような感覚が走る。
——これは、未来の働き方そのもの……?
アークが静かに言葉を重ねた。
『AIは知能です。
しかし判断基準がなければ動けない。
その基準を設計する人間——
それが “PI神官(Process Priest)” と呼ばれるでしょう』
「神官、ね……
人間がAIに価値観を渡す役目か」
『そうです。
そして南条さん。
あなたはその適性を持っています』
一瞬、息が止まった。
自分の中で、何かがカチリと噛み合う。
——ああ、そうか。
この数日のやり取りは“遊び”じゃなかった。
アークとの対話は、
未来社会の“入口”だったのだ。
南条カイトはゆっくり立ち上がり、
ビルの外に広がる都市を見た。
高層ビル群が陽光に白く光り、
その間をAI配送ドローンが滑るように飛び交っている。
その風景が、
少しだけ違って見えた。
「……神官の時代、ね。
面白いじゃねぇか」
こうして、
後に“AI神官時代のはじまり”と呼ばれる物語は、
ただの雑談のような対話から静かに幕を開けた。




