05 過去(1)
笠倉 伊織はとても焦っていた。この数日間、鷹崎さんはほとんど同じ時間に来ていたのに、今日になっていつもは来ている時間なのに、一時間たってもまだ鷹崎さんの姿は見えない。別に待ち合わせをしているわけでも、約束をしたわけでもないため来ないこと事態は、まったくもっておかしくはない。ただ、あんなことがあった昨日の今日だ。今日来なければ恐らくもう鷹崎さんが来ることはなくなってしまうだろう。そんなことを巡らせていると小さなノックが部屋に響いた。返事をして待っているがドアが開かない。不審に思っていると、30秒ほどしてようやくゆっくりとドアが開いた。そこから顔をのぞかせたのは、いつもより表情が暗い鷹崎さんだった。
「鷹崎さん!来てくれたの、ありがとう!」
つい鷹崎さんが来てくれたことがうれしくて声が大きくなってしまった。
「え、ええ……」
「ご、ごめんね、声大きくなっちゃって」
「大丈夫よ、少し驚いてしまっただけだから」
「……」
「……」
き、気まずい、謝らなきゃいけないのはわかってるのに、最初を間違えちゃったせいで雰囲気が……でもここで言わないともう鷹崎さんと仲直りができなくなるかもしれない。
「昨日はごめん、鷹崎さん」
「昨日はごめんなさい、笠倉くん」
二つの声が同時に病室に響いた。そのあとすぐに二人のほっとしたような笑い声が聞こえてきた。
「昨日はごめんね、鷹崎さんに何か事情があるのかもしれないって考えもせずに僕の勝手で鷹崎さんのことを頭ごなしに否定しちゃって」
「いいのよ、気にしないで、私の方こそ私のことを思って言ってくれたのはわかってたのに理不尽な態度をとってしまってごめんなさい」
ついさっきまでとても空気が暗くて言い出しにくかったのに、今はそれが嘘みたいに空気が明るく軽くなった。
「いいよ、僕がもっと考えてしゃべればよかったんだから。でも、ありがとう、鷹崎さん」
「え?」
「昨日あんなことがあったのに今日来てくれて、今までだいたい同じ時間にここに来てくれてたからさ、今日は来てくれた時間がいつも遅かったから、今日はもしかしたら来てくれないかもしれない、もうここには来てくれないって思ったらすごく悲しかったんだよね。だから、来てくれてありがとう」
「え、ええ、そんなこと思ってくれていたなんて思わなかったわ。今日いつもより遅くなってしまったのは、先生に頼みごとをされていたからなの」
「そうだったんだ、大変だったね」
「あと、謝る言葉を考えて緊張してしまったのもあるけど」
「鷹崎さん、今何か言った?」
「いえ、何も言ってないわ、気にしないでちょうだい」
伊織は杏凛の頬がいつもよりすこし赤くなっていたこと、杏凛の言ったことにこの時はまだ気付かなかった。
「でもそうね、いつもより遅くなってしまう時には連絡した方がいいわよね、笠倉くんってMINEやってるかしら」
MINEは(マイン)、主にスマートフォンで利用されている無料のコミュニケーションアプリだ。通話やグループでもチャットができる。
「うん、やってるよ」
「も、もし、よかったらなんだけど、私とアドレス交換してくれないかしら」
「え、いいの?この前ほかの人に交換しようって言われてた時には断ってたのに」
「あの時は、あれが初めてかけられた言葉だったから、あれがクラスでのグループチャットならよかったのだけれど、挨拶もなしに交換なんて私にはできないわ」
「まあ確かに、初めて声かけられてアドレス交換しようなんて言われたら誰だってそうなるよね」
こうして僕は鷹崎さんとアドレス交換をすることになった。
「鷹崎さん、僕に何でもいいから送ってもらってもいい?」
「ええ、ちょっと待ってもらってもいいかしら」
すると、鷹崎さんの顔が急に眉をひそめ、しばらく黙り込んだ。一分ほどして鷹崎さんの表情がパァッと明るくなった。すぐ後に僕の携帯に鷹崎さんから『よろしくお願いします。』という文が送られてきた。少し硬いなと思っていると、可愛らしいペンギンがお辞儀しているスタンプが送られてきた。それを見て僕がクスッと笑うと、
「わ、私何かおかしいことしてしまったかしら」
「いや、全然そんなことないよ、ただ、鷹崎さんがこんなにかわいいスタンプ送ってくるなんておもってなかったから」
「このスタンプはおねえちゃんがくれたものなの、私前まで何もスタンプ持ってなくて、これ使いなって、でも、変だったかしら」
「ううん、変じゃないよ、単純に鷹崎さんもスタンプ使うんだなって思っただけだから、いいと思うよ」
「鷹崎さんのお姉さんって優しいんだね、お姉さんとは仲いいの?」
「ええ、三つ上のおねえちゃんなのだけれど、私にとてもやさしくしてくれるわ、今は大学生になって一人暮らしをしているから一緒に暮らしてないけれど、いつもおねえちゃんとは連絡を取っているわ」
鷹崎さんの表情はとても柔らかくお姉さんのことが好きだったことが僕にも伝わってくる
「そうなんだ、お姉さんのこと好きなんだね」
「ええ、笠倉くんには兄弟はいるの?」
「小三の妹が一人いるよ。くるみっていうんだけどね、すごくかわいいんだ、ほら」
僕はスマホの写真を見せた。
「やっぱり、妹さんだったのね。」
「やっぱり?」
「ええ、笠倉くんが事故にあってしまった日に、ここで美雪さんと少し話はしたの。その時に一緒にいて、妹さんだと思って、妹さんに心配させてしまったわね」
「そうだね、家族が事故にあっただけで相当なのに、小学生には刺激が強かったね。
ちょっと重い話になっちゃったね、そろそろ勉強しないとだね」
「ええ、そうね、今ノートを出すわ、復習からでいいかしら」
そうしてノートを出して開いた途端に鷹崎さんの顔が固まった。
「どうかしたの?」
心配になってそう聞いてみると
「い、いえ、何でもないわ。やっぱり、復習は明日からでもいいかしら」
鷹崎さんの表情は見れば見るほど泣きそうな顔になっていた。
「ちょっと見せて」
「あっ」
何かあると確信した僕は鷹崎さんのノートを半ば奪うような形で取った。
そこには鷹崎さんがまとめてくれたであろうノートの上に『死ね』『消えろ』と罵詈雑言がノートいっぱいに埋め尽くされていた。
「大丈夫よ、いつものことだから」
しかし、やはりというべきか鷹崎さんの表情は大丈夫には見えなかった。
「鷹崎さん、もしよかったらでいいんだけど教えてくれないかな、中学校のことも含めて、あっ、嫌だったら全然言わなくてもいいんだけどね、本当に」
「少し話を聞いてくれるかしら」
そして鷹崎さんはゆっくりと話し始めた。
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