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第1話(1)

 私が生まれたのは、山間にあるコーミーという小さな村だ。北には流れの速い川があって、秋から冬に大水が出ることがある。それを避ける為に、南の少し高い場所に東西に走る道があり、それに沿って家が建ち並んでいた。町はずれに門があり、西の門近くには、古い小さな神殿がある。ディプシアという名工の手による彫刻が見事だという事で、お参りに来る旅の人を見かけることも多かった。貧しい暮らしをする人々は、道から外れた町の東側と南側の山沿いに住んでいる。私は、東側の山沿いにある小さな家に住んでいた。

「ネイ、七歳のお誕生日おめでとう!明日からは、お手伝い頑張ってね。お祝いだから、それは全部食べちゃって良いからね」

私の目の前の皿に、大好きな干したイチジクが盛られていた。今年の誕生日は、とても大きな意味がある。七歳になると男の子は父親の、女の子は母親の手伝いを始めるしきたりになっているからだ。

(これから、大好きなお母さんのお手伝いが出来るんだ。頑張りたいな)

そう思いながら、甘いイチジクを食べている間、お父さんはお祝いの林檎酒で笑顔を赤く染めていた。三人だけの家族。貧しくても笑顔がある。家族は私にとって世界の全部であり、優しい両親は世界を支える二本の柱だった。やがて自分も、お母さんの様みたいになるんだろうと思う。決して楽な暮らしでは無いのかもしれない。けれども、毎日幸せを感じながら楽しく過ごしてる。

 いつもの年より早く夏が訪れ、連日の晴天で空気は乾いていた。誕生日の翌日、昼までの初めてのお手伝いが終わった私は、家の少し西寄りにある広場に来ていた。西の門近くに住むエーラという名前の女の子の友達と、そのお母さんが、一緒に遊ぼうと誘ってくれたからだった。青空に雲が流れていた。広場にある大人の背丈の三倍ほどの樹の下に三人で腰掛け、おやつ代わりの手のひらに乗る小さな硬いパンを囓っていた。名も知らない小鳥が、こぼれたパンをついばんでいる。その姿はまるで、西風に揺れる葉の影と一緒に踊っている様だった。のどかな時間の中、慣れない手伝いで疲れたせいか、少し眠かった。でも、少しづつ強くなる風に急かされ、家路につくことにした。膝の上のパンくずをポンポンと払ったが、鳥たちはもう居なかった。風が、ひゅうひゅうという不気味な音を立て始めていたのである。

「おい、火事みたいだぞ!」

突然、男の人の大きな叫び声が聞こえた。思わず声の方を見ると、東の空を指さしている。その先を見ると、広場から遠くない所で、今まで見たことの無い白い煙が、空に向かって立ち上っている。それは見る間にどんどん太くなり、やがては黒煙になるとたちまちのうちに、赤い火の粉が巻き上げられているのが見て取れた。私の眠気は一気に飛んで行ってしまう。

「この風が心配ね。とりあえず、家に帰りましょう。ネイちゃんも一緒においで」

エーラのお母さんは、私に声を掛けた。私はうなづき、手を引かれてエーラの家に向かっていった。初めての事で、怖くてたまらない。周囲の大人達も慌てている。

「この西風はまずいな。さっきより強い」

通りがかりの男の人の声に振り返ると、煙はますます大きくなって、東の空を埋め尽くしていた。

「急いで風上に逃げた方いいぞ!」

誰かの声に背中を押されて、私も友達と走り出していた。その時、誰かが呟いた。

「こりゃ東側の家は大変な事になる……」

それを聞き、その方角を振り向く。

(お父さん、お母さんは、今日はお家にいるはず。お家は火事の方角だ!みんなを助けなくっちゃ。みんなの所へ行かなくちゃ!)

そう考えると、居ても立ってもいられない。引かれた手を振りほどくと、エーラと、そのお母さんに叫んだ。

「私のお母さんと、お父さんを助けてくる!」

「ネイちゃん!ダメ!」

背中に掛けられたエーラの声を振り切り、東へと走り始めた。そう、我が家へと。

 大人の腰の丈ほども無い私。その小さな体の中は、恐怖よりも両親に会いたいという気持ちで一杯だった。周りの者には愚かな娘としか映らなかっただろう。急ぎ足で西に向かう人々にぶつかっては、もみくちゃにされる。

「危ないだろ!いい加減にしろ!」

大声で怒鳴られながら、それでも、我が家に向かって走り続けずには居られない。まるで濁流の中の一枚の落ち葉の様だった。涙で一杯で周りを見回す余裕も無く、夢中で走り続けていたが、突然人影が見えなくなった事に気がついた。思わず立ち止まって空を見上げる。煙は天まで届く程に感じられ、炎は竜巻の様に舞い上がっている。それは今にも、怪物が襲いかかってくるような、恐ろしい光景だった。突然怖くなってきても、どうして良いか解らない。震える足。金縛りの体。石のように動くことが出来ない。信じ難い程の熱風に混ざり、嗅いだことのない嫌な臭いが私を取り囲んで来る。

「怖い!怖いよ!熱い!」

あまりの震えに立っている事が出来ず、しゃがみ込み、目を閉じて頭を抱えた。体と心は炎に焼かれ、気がふれて燃え尽きそうだった。

「危ない!そこに居ちゃダメだ!」

突然、良く通る声が聞こえたかと思うと、私の体はふわりと宙に浮く。思わず目を見開くと、背が高い痩せた男に突然手を引かれ、抱き上げられていたのだ。濡れた布を頭からかぶっている。その布と服は元は白かったのだろうが、火元に近い所から逃げてきたせいか、酷く煤けていた。二本の線の刺繍のある、見た事の無い短い襟がついている。

「そっちに行っちゃだめだ!」

彼の言葉を聞き、私は突然我に返った。そして大声で泣き叫んだ。

「お父さん!お母さん!お家へ帰るの!」

それは私の本心だった。抱え上げられた私は手足をバタつかせて抵抗する。そんな私に聞こえたのは残酷な言葉だった。

「可哀想だけど、もう間に合わないよ」

(うそ……そんな事……)

信じられなかった。もう訳が分からなかった。

 彼は私を軽々と抱え上げ、火から逃れるため風上に向かって行く。炎の中の我が家がどんどんと遠ざかって行く。あらん限りの空気を吸い込み、家に帰ると叫び続けたが、全く無駄だった。男の人の痩せた体の、どこから力が出てくるのか、びくともしない。大声で泣き叫び続けるうち、口元や手足が痺れ始め、やがて意識が遠くなっていった。

ひんやりとした頬の冷たさで。私は気付いた。埃っぽい石畳の上に横たわっており、体の熱が奪われていた。どうなったのか、自分には全く解らない。

「気がついた?良かった!」

それは、私を抱え上げた男の人の声だった。気絶してからずっと、付き添っていてくれたという。顔の汚れを濡れた布で拭いてくれる。お父さんと同じくらいの年で、背が高く、他の人とは何か違う品の良さを感じられる。

「ここは神殿の中庭だよ。火除け地という草むらがあるから、火はここまでやって来ないから、安心して大丈夫だよ」

彼の言葉を聞いて少し安心した。そして、一番気になっていることをおそるおそる尋ねた。

「お母さんは?お父さんは?」

彼は首を横に振る。東側は火の海で、誰も生きていないだろうと、言いにくそうに答えた。

「ウソ!お母さんも、お父さんも生きてるんでしょう?」

私は立ち上がって辺りを見回した。彼は、うつむき首を振る。信じられない。ふらつきながら、ごった返す人々の中を探しまわる。

「お父さん!お母さん!ネイです!」

庭のどこを、何回歩いても返事はない。うるさいと怒鳴られる事すらあった。疲れ果てるまで歩き回ったが、求める姿は見つけ出すことは叶わなかった。

 全てが無くなった。両親と話をする事も、温かい手に触れる事も永遠に出来ない。大切だった人形やお気に入りの服も全て灰になった。悲しかった。現実は胸を締め付け、涙を止めどなく絞りださせる。声は枯れ、もう泣くことしか出来ない。

「やっと見つけた……」

掛けられた声の主は、先ほどの男の人だった。その姿に、恨みの気持ちが沸いて来た。

「何で私だけが……お父さん、お母さんを返して!一人だなんて、そんなの酷い……」

かすれた声を絞り出し叫び、彼の体をポカポカと叩く。悲しくて、ひたすら胸が痛かった。暫くされるがままだった彼は、震える声で私に優しく語りかけてきた

「ごめんね。君を助けるので精一杯だったんだ。本当に何も出来なくてごめんね」

顔を上げ、その人の顔を見ると、目を真っ赤にして泣いていた。

(あ……この人も、本当は悲しいんだ……)

私も気が付いたのだ。火災にあったのは自分だけではない。彼も同じく悲しんでいる。出会った時よりも一層煤けた衣から考えると、

一所懸命に多くの人を助けようとしたのだろう。あの時も私を助けるのが精一杯だったのだ。それが解ると、彼を恨むことは間違いだと思った。、海岸のちっぽけな砂粒のように、沢山の人々の中に埋もれていた、独りぼっちの私。そのちっぽけな自分に、ずっと付き添ってくれた事にも気が付いた。

「ごめんなさい。酷い事言ってごめんなさい」

彼に抱きつき、声を上げて一層泣いた。許されない酷い事を言ってしまった。それなのに彼は、私の頭や背中を撫でてくれる。

「大丈夫だよ。辛いけど、君が生きていて良かったよ。今は沢山泣いて良いからね……」

その言葉に、違う感情がこみ上げて来る。今はただ、その優しさにすがりたかった。私はそれからも長い間泣き続けた。

 少し涙が落ち着くと、彼は尋ねてきた。

「そういえば君は、昔会った誰かに似てる……お名前は?」

「私の名前はネイです」

名前を告げた丁度その時、彼は別の人に肩を叩かれた。どうも、その場を離れなくてはならないらしい。私は思わず手を掴む。一人になるのが怖くなったのだ。

「ねえ、一人にしないで。行かないで!」

しかし、彼は首を横に振った。

「ごめんね、もう行かなくちゃ。周りの人に、君の事を見て貰える様に頼んでおくね」

それが別れの挨拶だった。私は、たった一人取り残され、また泣き崩れてしまった。

それから数日間は、周りの人の助けを借りて避難生活を送った。火事の時に一緒だった友人、エーラの一家に逢うことが出来た。一緒にいた広場は丸焦げだったと聞き、背筋が寒くなった。商人だった彼女の一家は、全員無事だったが、この村を出て行くという。

「ネイちゃん、ごめんね。またいつか会おうね!」

そう言われると、羨ましさと寂しさで一杯になってしまう。それはきっと、守られない約束だと解っているからだった。

 一人ぼっちになった私に出来ることは、神殿の入り口や壁に刻まれた、壁に飾られた美しい彫刻などを見つめる事くらいしかない。有る物は表面には、うっすらと色が塗られている木製の彫刻であり、あるものは色を付けられた陶製の飾りだった。中でも一つの彫刻は、私の心を大きく動かした。空を飛ぶ大きな鳥と、その上に乗る男の人。その下にはそれを見上げる、リンゴを片手にした女の人が彫り込まれている。女性の表情は寂しげで、泣いているようにも見える。この人は、自分と同じように全てを失って、誰からも忘れられているのかもしれない。それでも、悲しみをこらえて誰かを待っている気がした。

「寂しそう……」

自分もひとりぼっち。この彫刻の女の人もひとりぼっち。

(この女の人は一人ぼっちで、泣いてるんだ

。私も一人でいたくない……)

涙でそんな思いを頬に描きながら、この彫刻の前で過ごすことが多くなっていった。

 そんな私には関係なく、広場から一人二人と避難した人は去って行く。広場にいる人が数える程になって、やっとの事で私は引き取られる事になった。それは、一度も顔を合わせたことのない、貧しくて子沢山の遠い親戚の家だった。

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