悪い奴らは罰せられなければならない2
結局、大学4年間、茶髪オーナーのホストクラブで働き続けた。メガネ主任が話を通してくれたこともあり、人が少ないときは平日の勤務になることもあるが、あくまで週末の飲み要員のバイトという形に落ち着いた。
俺はイケメンではないが、酒は強かった。飲んでも飲んでもケロッとしている俺を、先輩たちはヘルプにつけたがった。下っ端は飲んでなんぼだ。客が競って入れるボトルを、人気ホストの代わりに飲んで飲んで飲みまくる。頭がいい以外、これと言って何のとりえもないモブの最強の武器だった。
ホストクラブでバイトを始めたことは大学でも隠さずに話していたが、ある日、俺の友達の友達の友達という、まったく話したことのない留学生から話しかけられた。どうやら彼女の友達が近々日本に遊びに来るらしく、夜遊びをしてみたい言うリクエストがあったらしい。海外でも日本のホストクラブは有名らしく、行きたいと話していたら、俺に声をかけてみたらどうかと言われたそうだ。
店長に話して予約を入れ、当日は自分もヘルプ兼通訳としてその卓につくことになった。さすが先輩ホスト。カタコトの英語でも、十分彼女たちを楽しませていた。自分は酒を注ぎながら細かな伝わっていないであろう所を通訳をした。彼女たちは大満足で帰ってくれた。
「お前、英語しゃべれるってほんとか?」
その日のうちにオーナーから電話があった。
「一応得意教科なので、聞き取るくらいはできます。高校時代に英検準1級も受かったんで。」
翌日から、英語での問い合わせ担当を仰せつかることになった。もちろん給料を少し上乗せすることを条件に引き受けた。オーナーは英語はからきしダメで、今までは翻訳サイトでなんとか対応していたらしい。俺がそこそこ英語ができると聞くや否や、遠慮せず押し付けてきたというわけだ。自動的に海外旅行客のキャスト兼通訳係にも任命され、そのおかげで俺の英語スキルはどんどんアップしていった。
そのうちオーナーは、英語日本語関係なく、問い合わせや予約管理を俺に任せてくるようになった。それだけでなく、キャストのシフト調整、ちょっとした消耗品の発注などもついでに任せてくるようになった。さすがにそこまで来るとキャストとは別に、内勤として給料をくれとお願いをした。平日は内勤として、週末はキャストとして働く。キャストとしての収入は一般的なバイトより高いとはいえ、週末だけでは収入の面で不安だったから、平日に内勤として仕事をさせてもらえるのは正直ありがたかった。
内勤になってからは、オーナー所有の雑居ビルの一室に住み着くようになった。倉庫兼事務所といったその部屋は、簡易シャワーもありソファもついているため、住むには十分だった。衣食住の住が節約できたことは大きかった。下宿は即解約してしまった。
内勤になってからは、キャストが喜ぶような小さな配慮を心掛けた。おかげで先輩たちからは服やバッグなどのおさがりをもらえるようになり、同じ下っ端仲間からは田舎から送ってくる米や缶詰などを分けてもらえるようになった。図らずも衣も食も節約でき、俺はガッツポーズをした。
卒業後は田舎に帰らず、東京で職探しをした。やはり東京にいるほうが就職には有利だ求人数は圧倒的に違う。
母のことが気にはなったが、仕事が軌道に乗れば呼び寄せればいいだけと自分を納得させた。将来的には医療体制や交通網がしっかりしているほうが介護もしやすいだろう。
ナコが自分を追いかけて東京の女子大にきていたのも、こっちで就職した理由の一つだ。
ナコが上京するまでの遠距離は、それなりにしんどかった。寂しいのか、LINEや電話の頻度は爆上がりした。ナコのメンタルが落ちるのを何とかなだめようとするのだが、病みそうな女の子の機嫌をとるのは相当きつい。こっちは課題とバイトで忙しく、構っていられないというのが正直な気持ちだったが、推しホストに入れあげて闇落ちしていく女の子を見ていると、ナコをほっとくのは危険だということは分かっていた。
ナコがこっちに来てからは正直楽だった。いつでも会えるという心の余裕がナコに出てきて、友達と過ごすキャンパスライフや都会の楽しさのほうに意識が向き始めた。ナコの鬼lineから解放された時は、心底ほっとした。人の好意は諸刃の剣であることを痛感し、重い好意をさらりと受け流す人気ホストたちを改めて尊敬した。
就職ではいくつかの企業からは足きりをされた感はあったものの、受けたほとんどの企業からは内定をもらった。
俺のバラ色の人生の幕開けだった。