出生の秘密2
「お前は、俺の自慢の息子だ。」
父親がベッドの上でつぶやいた。
高3の秋、突然父親が倒れた。真っ白な髪の父は、俺を学校に行かせるために、定年後も必死で働いていた。無理がたたったのだろう、入院してから、あっという間に症状は悪化した。弱音は決してはかない強い父ではあるが、体はみるみるやせ細っていった。
医者は、おそらく長くはないだろうと言った。母は、父の前では明るくふるまっていたが、家に帰ると風呂場でこっそり泣いていた。
「母さん、俺、大学行くのやめる。働くよ。」
そういうと、母は猛反対をした。
「学費ならお母さんが絶対に何とかするから、お前は何も心配しないで。受験まであと少しだから勉強に専念して、ね?」
必死に俺にすがりながら顔をゆがめて諭す母の顔はしわだらけだった。
「ごめん、母さん。もう決めたんだ。」
自分で言うのもなんだが、俺は頭がよく、高校では常にトップを維持してきた。もともと暗記は得意だったし、勉強も嫌いじゃなかった。老体に鞭打って働く親にいい暮らしをさせたかったから、毎晩コツコツ真面目に勉強した。
中学までは、スポーツで得意な奴やヤンキーなんかがモテるが、高校になると、優しくて頭がいいやつがモテるようになる。実際、俺も中学まではパッとしなかったが、今はそこそこモテている。入学式では総代挨拶をしたし、1年から常にトップを撮り続けていていた俺は、女子から優良物件だと思われたらしい。おかげさまで、とてもかわいい彼女もいる。
俺の第一志望校は、我が国の最高学府であるT大だ。わが高校初のT大生が誕生するかもと、先生たちも友達もみんなが期待している。俺だって本当は大学をあきらめたくはなかった。
幸い、生活保護を受けられることになり、現在は何とかやっていけている。しかし、医療費がタダになったとはいえ、医療材料費や日用品、衣料品リース代などがゼロになるわけではないから、日に日にうちの生活は厳しくなってきている。
父が倒れてすぐ、俺は大学に行く方法がないか必死に調べた。今はスカラシップ制度のある大学が増えている。学力があれば、学費免除されるってやつだ。大学名にこだわらなければ、進学先はいくらでもあるだろう。T大合格を期待しているみんなに応えられないのは申し訳ないが、家庭の事情だ、仕方ない。スカラシップを4年生まで維持するためには、高成績を維持する必要もあるが、それでも生活保護を受けながら扶養範囲内でアルバイトをすれば何とかやっていけるだろうと思っていた俺の夢を、一つの記事が叩き潰した。
「大学生は生活保護を受けることはできない。」
おい、うそだろ。
俺は急いで先生に話を聞きに行った、先生は、今まではそうだったが、2018年からいろいろと制度が変わり生活保護世帯でも大学に行けるという話を聞いたことがあるから、ちゃんと確認したほうがいいと言っていた。その足で、俺は区役所に話を聞きに行った。
「生活保護を受けながら大学に通うことはできません。」
はっきりと言われた。ショックで顔が青ざめるのが自分でもわかった。
「でも、世帯分離をすれば大丈夫。」
対応してくれた職員は、自分の境遇を心配してくれたようで、親身に話してくれた。
「もともと生活保護は、高校卒業後に働くことを想定しています。でも今は生活保護世帯の子供にも進学の自由を、ということで、進学は不可能ではなくなりました。それでも世帯分離をして、生活保護の対象から外れる必要があります。」
「別々に暮らすということですか?」
年老いた母と別に暮らすことも不安だが、アパートを借りる初期費用が出せるかという新たな不安を抱えながら、俺は質問を続けた。
「いえ、今いる場所に住みながら、ご両親の世帯と分けるだけでいいんです。」
俺の不安を和らげるように職員さんは優しく言った。
「君とご両親は同じ家で暮らすけれど、君だけ別の世帯になって、君だけ生活保護を外れるということです。君の分の生活保護費はなくなるから全体的にもらえるお金は減ってしまうけれど、ご両親の分の生活保護が打ち切られることははないし、君の生活費はアルバイト等で補えると思いますよ。国民年金の掛け金は後から払うことができるから、大学生の間は納付猶予制度をつかえば大丈夫です。」
よかった。ほっとして思わず涙が出そうになり、慌てて目元を学生服の袖で拭った。
そのあともその職員は、世帯分離の仕方を詳しく説明してくれた。
「応援してます。頑張ってとしか言えないのが悔しいけれど、君のこと応援してます。」
最後に声をかけられた言葉に、俺はまた目元を拭った。
世帯分離の手続きは一人ですることにした。看病で忙しい母に負担をかけたくなかったし、学費の心配をしていることを母に気づかれるのも嫌だった。
自分のマイナンバーカードを持って役所に向かい、手続きをする中で、自分が養子であることを知った。
頭が真っ白になり、どうしたらよいかわからず、ふらふらと区役所を後にした。ただ、妙に親の歳を考えて納得してしまった冷静な自分もいた。
家に帰って、母の顔を見るのがつらかった。もやもやとした気持ちを抱えるのがつらく、無理やり英単語を詰め込もうとした。しかし頭にもやがかかった状態では、何もの効果もなかった。
病院から帰ってすぐ俺の食事を作り、洗濯をする母には何も聞けなかった。この関係が壊れるのが怖かった。だからと言って、病床にある父に聞けるはずもない。友達や彼女にも話せなかった。
そんな中で自分の中ではある思いが大きくなっていた。
「俺が二人の実子でない以上、大学に行きたいとわがままを言ってはいけない。」
俺は大学に行くという選択肢を、あきらめることにした。