4.見つかってしまった
「ちょっといいか?」
ミレーナは角を曲がったところで男に声をかけられて振り向き、身を固くした。
見るからに貴族というような豪華な金の刺繍が施された衣装を身に纏っているその男を見て、とうとうこの命も終わってしまうのだと思った。
数日前から、ギルドに手配書が貼られていることは知っていた。ミレーナは国外追放となったけど、この国の人たちにとっては迷惑な話だ。
今の今までミレーナが見つからなかったのは、フロリアーノが今のミレーナではとても入れないような高級店ばかりを探していたこと、そして冒険者としてはレイナとして活動していたため、ミレーナのことをミレーナと呼ぶのは、この街では先ほどお礼として食事を奢ってあげた冒険者二人だけだからだ。
ミレーナはもう逃げられないと覚悟を決めて、一度だけ深呼吸をし、声をかけてきた男を見上げた。
「私を探しているんですよね? 私がミレーナ・デサンティスです」
そう告げたのに、目の前の男はミレーナのことをジッと見るだけで何も答えない。本当にミレーナをジッと見つめているだけだ。
こんなに綺麗な顔の人に見つめられるのはちょっと恥ずかしい。今は化粧だってしていないし、質素な木綿のワンピースを着ている。とてもお洒落とは言えない装いで、ビシッと貴族服に身を包んだ美丈夫に見つめられると、嫌でも顔に熱が集まっていく。
「あ、あの……」
「お前がミレーナ・デサンティスだと?」
やっと口を開いたと思ったら、男はまるでミレーナを疑うような発言をした。
「そうです」
証拠はない。ミレーナの身分を証明するものは、今は冒険者ギルドのカードしかない。そのカードにはレイナと記載されているし、それ以外には何も持たされていない。服は稼いで洗い替え用のワンピースと下着を一着ずつ買ったが、持ち物はそれだけ。他には御者がくれた革袋と、その中に僅かな硬貨が入っているだけだ。
「国外追放となったミレーナ・デサンティスか?」
「ええ、そうです。半月ほど前に国外追放となり、この街に来ましたわ」
前世の記憶が戻る前のミレーナでは、絶対にしない仕事をし、絶対にしない格好をし、絶対に泊まらないようなベッドしかないギルドの宿に泊まっているのだから、昔のミレーナを知る者からしたら、別人にしか思えないだろう。
「そうか。では俺と一緒に来てもらう」
「あの、宿に荷物を取りに行ってもよろしいですか?」
「構わない」
荷物といっても洗い替え用のワンピースと下着だけだけど、それでもミレーナがこの世界で初めて自分の稼ぎで買ったものだった。
「……ここか?」
男はミレーナについてギルドの安宿まで来た。貴族にとっては信じられないような建物だったのだろう。ミレーナは日本でカプセルホテルに泊まったこともあるし、終電を逃してネットカフェに泊まったこともあるから、どうということはないが、貴族にしてみればクローゼットよりも狭い部屋など存在することも知らないんだろう。
「お待たせしました」
ワンピースと下着を布で包むと、それを持って部屋の入り口で目を丸くして待つ男の元へ戻った。
「荷物はそれだけか?」
「ええ、何も持たされず追放されましたので。御者に少しだけお金を恵んでもらいましたが、それだけです」
「そうか……」
男は腕を組んで顎に手を添えると、深く考え込んでしまった。
連れて行かれた場所は高級宿で、ミレーナは男に中に入るよう促された。
当たり前だが、ただの布のような布団とベッドしかないギルドの宿とは違って、記憶の中にあるミレーナが住んでいた屋敷の部屋のような豪華さだった。踏みつけていいのか分からないような毛足の長い絨毯に、彫刻が施されて艶々に磨かれたテーブル、革張りのソファーもお高そうで、天井にはシャンデリアのようなキラキラしたものが垂れ下がっていた。何よりその大きなベッドがとても羨ましかった。ギルドの安宿では、硬い木の上に直接寝ているようで、とても痛かったし、何ならこの絨毯の上で寝た方がマシだと思った。
ミレーナは聞きたいことがあった。自分の命がいつまでなのか、それまでの間は何もすることができないのか。
何もできなくても構わないけれど、いつ死ぬのかは知りたいと思った。
「わたしはいつ処刑されますか?」
「はぁ?」
男は不機嫌さを隠すことなくミレーナを見た。そして、上から下までじっくり観察すると、至近距離まで近づいてじっと目を見つめてくる。
ミレーナにはその理由が分からなかったし、そんなに近くで見つめないでほしい。ミレーナ・デサンティスとしては精神的に強かったかもしれないけど、怜奈としてはイケメンに免疫などない。
勉強一筋の学生生活を送り、仕事一筋の社会人だった。異性とお付き合いをしたことすらないんだから、こんなどこかの国の王子様みたいな人に見つめられたら照れてしまうのだ。
ふぅ〜と一つため息をついた男は、やっとミレーナから距離を少し空けて口を開いた。
「処刑はしないが、俺と来てもらう。一緒に住めということだ」
「分かりました」
ミレーナに拒否権などない。この国に入ってしまえば、身分だってあってないものだ。いかにも貴族なこの男に従うしかない。
処刑されないのであれば、この人は私の監視役なのかしら?
何も説明されていないため、どうすればいいのか分からないミレーナは、入り口を入ってすぐのところにずっと突っ立ったままでいた。
「何をしている? ソファーに座らないのか?」
「座っていいのですか?」
一応確認のためにそう男に聞き、ミレーナはソファーに浅く腰を下ろした。腰を下ろすとまた男はミレーナをじっと見つめてきた。
もしかして髪が乱れているとか、顔にソースがついているとか、何かおかしなところがあるのかと思うほどに、男がじっと見つめてくるから、ミレーナは俯いて自分の靴の爪先をじっと眺めた。
結局ミレーナはソファーを借りて寝ることになった。檻の中で過ごすこと数日、その後も硬い安宿のベッドで寝ていたため、ソファーはとても快適だった。
そして貴族がよく乗るような豪華な馬車に乗せられて、どこかへ連れて行かれた。
「あの、どちらへ?」
「俺の別邸だ」
ミレーナは何日か馬車に揺られると、別邸と呼ばれる丘の上に立つ屋敷に着いた。
ーー別荘というやつかしら?
しかしその屋敷の中には、人はいなかった。貴族の別荘であれば、その別荘を管理する者がいるが、ここにはいない。
「あの……お聞きしたいことがあります」
「なんだ?」
この人がどれほどの地位の人か分からないため、名前を聞くのは失礼にあたるのかもしれないと思いつつ、これから一緒に暮らすのに名前を知らないのは不便だと思い、名前を聞いてみることにした。
「あなた様のお名前を教えていただきたく……」
「そう言えば名乗っていなかったな。俺はフロリアーノ・オリーヴァだ」
オリーヴァとはこの国の名前だ。その家名を使っているということは王族ということ。
「王族の方とは知らず、失礼を……」
そう言うとミレーナは一歩下がり、美しいカーテシーをしてみせた。ミレーナは貴族であることに誇りを持っていた。美しいカーテシーはミレーナの得意技だ。
その後、ミレーナの生活はかなり快適だった。
食事を作れと言われれば食事をつくり、掃除をしろと言われれば掃除をした。風呂を使う許可も降りて、ミレーナは自分で魔法を使って水を出し、湯を沸かし、そこに浸かった。
たまにくる行商なのか家臣なのか分からない人はミレーナに、街で着ていたよりも上等なワンピースをくれたし、花壇の手入れなどもさせてもらえた。
仕事人間だった怜奈にとって、早めに引退して田舎でスローライフを送るというのは一つの夢であり、生まれ変わってしまったがこうしてミレーナとしてゆったりと田舎で暮らせる毎日は快適だった。
一つ、フロリアーノがやたらと見つめてくることを除いて……
「ミレーナ、お前は本当に悪行の数々をしてきた女なのか?」
「ええ、そうですわ。学園では人を的にして魔法を撃ちましたし、剣でボコボコにしましたわ。使用人も気分が悪いと何人も辞めさせましたし手もあげました」
「そうか……」
そんなこと、王家の人間であればとっくに調べているはずなのに、おかしなことを聞くものだとミレーナは首を傾げた。
しかし同じようにフロリアーノも首を傾げていた。
フロリアーノはいつも中庭が見える明るい部屋で絵を描いていた。たまに人が手紙を届けにきて、何か書類を受け取ったり渡したりしていたが、ミレーナは特に関心を示すことがなかった。
「フロリアーノ様、狩りに出かけてもよろしいですか? 決して逃げたりはいたしません」
「俺も行く」
ミレーナは、いつも魔法は風呂に湯を溜める時にしか使わないことが勿体無いと思っていた。せっかく学園では色々な魔法を練習したのに、このままでは使えなくなるのではないかと危機感を感じた。しかし、フロリアーノが一緒に行くのは想定外だった。
「フロリアーノ様、狩りは危険です。お怪我をしては大変ですからお屋敷にいて下さい」
「そう言うのなら君も同じだろう」
「いえ、こう見えて私は冒険者ですから」
「ふははっ、そうか、それは奇遇だな。俺もだ」
まさかそんな返答が返ってくるとは思わなかったから、ミレーナは驚いてしばらく放心してしまった。王族が冒険者など聞いたことがない。ミレーナのようにもう他に手がないのなら分かるが、フロリアーノは国内にいるのだし、そのようなことはないだろう。
「ほら行くぞ」
手を取られズンズンと進んでいくフロリアーノに、ミレーナは黙ってついていくしかなかった。
ーー手を繋いでしまったわ。
ミレーナとして過ごした時もそれなりに長かったはずなのに、今は怜奈の精神の方が大半を占めている。ダンスでは男性と何度も手を取り合ったはずなのに、フロリアーノが触れる手はしっかりと硬く、そして温かくて、その温度に心臓がドキドキと高鳴った。
「なんだ? 悪名高き令嬢が照れているのか?」
「その……手を離していただくわけにはいきませんか?」
ミレーナはフロリアーノに揶揄われたことは分かっていたが、恥ずかしくて顔を上げられないまま、小さい声でそう訴えた。
「ふぅん、面白いな。顔を上げろ」
「……はい」
「くっ、なんだその顔……」
「申し訳ありません」
ミレーナは顔を上げろと言われて上げたのに、顔のことで文句を言われ、慌てて顔を逸らした。
ーー顔はどうにもならないわ。化粧道具もありませんし、気に入らないのなら、顔を上げろなんて言わなきゃいいのに。
「いや、今のは俺が悪かった。ミレーナ、俺を見ろ」
また顔に対して文句を言われるのなら見たくはないと思ったが、逆らうこともできず、ミレーナは渋々顔を上げた。
「お前、可愛いな」
ミレーナは顔を上げたままフロリアーノに抱きしめられた。どうしたらいいのか分からないまま、直立不動で待機していると、フロリアーノは一つ咳払いをした。
コホン
「こういう時はさ、背中に手を回してギュッとするのが可愛い女なんだぞ?」
可愛い女を求められても困ると思いながらも、ミレーナはフロリアーノの背中にそっと腕を回した。ギュッとはできなかった。
しばらくするとフロリアーノは離れてくれたが、その代わり手はずっと握られたままだった。
魔法を練習するために狩りに行くはずが、森の中をデートすることになってしまったらしい。
「ミレーナ、出かけるぞ」
「はい。帰宅はいつになりますか? 夕飯はどうされますか?」
「ミレーナも一緒に行くんだ。旅だ旅」
「はい?」
てっきりフロリアーノだけが出掛けるのかと思っていたが、ミレーナも一緒に連れていくらしい。いきなり旅に行くと言われても、旅などしたことがないミレーナは戸惑うことしかできなかった。とにかく着替えと、冒険者とし貯めた僅かなお金も持って行くことにした。
旅と言われても、日本でどこかに観光旅行に行くのとは訳が違う。この世界には魔物がいるし、魔法もあるけど、公共交通機関が無い。飛行機や新幹線が無いのだから、移動は徒歩か馬か馬車ということになる。
フロリアーノはミレーナを馬に乗せ、相乗りしてしばらく過ごした別邸と呼ばれる屋敷を出ることになった。
ーーなぜ?
てっきり大人しくしろと閉じ込めておくためにあの丘の上の屋敷にいたのだと思ったのに、今はフロリアーノと二人で国境を越えようとしている。とうとうオリーヴァからも追放されるのかと思ったのに、フロリアーノはミレーヌを置いて立ち去る気配がない。