6.弟
帰り道、エヴァは騎士団の寮に着くまで、馬車の中でなぜこうなったのか考えた。しかし、考えても考えても、原因はまるで思い当たらなかった。
自室に戻る前に、戻ってきたことを伝えようとラーシュの部屋の扉をノックする。そして、いつも通り応答の声を待たずに部屋の扉を開けた。
「……あれ?ユーハン?」
開けた部屋の中には、優雅にお茶を飲むユーハンと、呆れた顔で腰を浮かすラーシュがいた。
「お前な、返事をする前に開けるなよ。……まぁいい。呼びに行く手間が省けた」
ラーシュの言葉に曖昧に微笑んで、エヴァはラーシュの隣に腰を下ろす。
「ユーハン朝ぶりだね。どうしたの?」
「……面倒なことになった」
エヴァは気軽にユーハンに声をかけたが、返ってきたのはいつもより数段重々しい声だった。
深刻な表情のユーハンに、エヴァも顔を引き締める。横でラーシュも同じように顔を引き締めていた。
「エディ、お前が異教徒であることが最悪の形で露見した。神殿の働きかけによって、お前は悪魔裁判にかけられる可能性が高い」
「な……!!」
要点を簡潔に伝えるユーハンの言葉に、反応したのはラーシュだった。再び腰を浮かし、机に手をついて身を乗り出している。
エヴァはポリポリと頬を掻く。
「……らしいね。王女様に聞いたよ」
「お前は……!何を平然と……!!」
エヴァよりも余程激高しているラーシュがどんと机を叩く。
「本日、王宮より緊急の召集令状が届き父上が呼ばれた。今頃、丁度話し合いの最中だろう。私はお前にこの事実を伝えるために来た」
「そっか、ありがとうユーハン」
「……オールストレーム公爵家としては、お前を守り切れぬかもしれぬ」
「……そっか」
何かを諦めたように、微かに笑みを浮かべながら俯くエヴァを一瞥して、ユーハンはぎゅっとこぶしを握る。
「……信仰するものが違うだけで悪魔などと……このような馬鹿らしいことがまかり通るものか」
「え?」
「公爵家としては表立ってお前をかばえぬかもしれぬが、私はお前を諦めない。……それだけ伝えておく」
ユーハンの言葉にエヴァはポカンと口を開ける。言うことは言ったとばかりに席を立とうとするユーハンにエヴァは慌てる。
「ちょ、ちょっと待って。……それ、ユーハンは大丈夫なの?」
「……自分の命がかかっている時に、他人の心配などしている場合ではないだろう?」
「え、それって大丈夫じゃないってことじゃ……」
一瞬エヴァは呆気にとられる。
「……どうして僕のために?」
「……お前も弟だからな」
少しだけ目元をやわらげたユーハンに、エヴァは泣きそうになる。
今のユーハンの言葉は、損得を考えてのものではないだろう。ただのエヴァを守ろうとしてくれた、その事が震えるほど嬉しかった。
エヴァは、ぎゅっと拳を握る。
そして、一度視線を下げたあと、エヴァはラタを呼びだした。隣でラーシュの肩が強ばったのを感じる。
窓から部屋に入ってきた小リスの魔獣に、ユーハンは目を見張った。
「……こいつは」
「この子、僕の偵察部隊。ラタって言うんだ。故郷から連れてきたの」
「……何故急に私に?」
「僕もユーハンには危ない目に遭ってほしくないから、僕の切り札を見せる」
「切り札……」
「うん、ラタは魔獣だから、魔獣だけが通れる『魔の道』を使って瞬時に移動できる。それに、ラタは小さき獣たちの声が聞こえる。今、情報を集めてるんだ。……ユーハンも何か分かったらラタに伝えて?ラタと呟けば、直ぐに来る」
「……便利だな」
ユーハンは「ほう」と呟きながら顎を撫でる。
エヴァはユーハンに頷き返した。
ラタは弱いが、その代わりに諜報活動に特化している。普通の魔獣は、魔獣以外の獣の声を聞くことはできないが、ラタは鳥や鼠などの小さき獣の声を聞き、情報を集めることができる。
これまではそこまでの警戒をしていなかったが、これからはこの王都中から情報を集めるつもりだった。
「僕も死にたくないから頑張る」
「ああ」
ユーハンはくしゃりとエヴァの頭をひとなでして去っていった。扉が閉まるのを見送って、ラーシュが足を組む。
「それじゃあ最初から説明してもらおうか?このままだと俺だけ置いてきぼりだ」
静かに立腹しているらしいラーシュに苦笑して、エヴァはこれまでのいきさつを伝えることにした。
◆
ラーシュの部屋を出たユーハンは、その足で王宮を目指していた。恐らく話し合いがもうすぐ終わるだろう。出てきたアンディシュに呼び出しの仔細を尋ねるつもりだった。
事は一刻を争う。少しの時間も無駄にする気はなかった。
城の前で待ち伏せたユーハンに、アンディシュは少しだけ目を見張った。
「……話し合いはどうなりましたか?」
「……それほど熱心になることか?」
「父上」
「ふん。ベルマンがきな臭い。ベルマンの思惑を暴くのに、あいつは良い餌になるだろう……それまで、生かすように動く」
ユーハンは組んでいた腕を解いて、アンディシュに頭を下げた。ユーハンは別に自分一人で動いても良いと考えていたが、家の後ろ楯があるとないとではできることが変わってくる。アンディシュが、エヴァを生かす方向に舵を切ってくれたのは僥倖だった。
「……別にお前たちのためではない。家の利のためだ」
アンディシュはつまらなそうに呟くと、ユーハンを振り返らず、馬車へと歩き出した。
ユーハンは、アンディシュの後ろへ続く。帰りの馬車の中でもう少し仔細を尋ねる必要があるだろう。
◆
その夜、エヴァの元にさっそくユーハンの伝言が伝えられる。ラタはその手に小さな手紙を持たされていた。ラタから受け取ってそれを読んだエヴァは首をかしげる。
「一昨日の爆発の件で、身の潔白を証明できれば悪魔裁判を回避できる……て、僕は完全に被害者なんだけどなぁ」
――――どうしてそんなことになったのか。全く意味が分からない……
そう思いながら、エヴァは布団に潜り込む。
「まぁ、明日の朝、ラーシュに相談してみよう」