8.悪意
エヴァは朝、部屋から出ようとして、ため息をついた。まただ
ドアの前には動物の死骸が無造作に置かれていた。
小型の生き物で、大きさからすると兎ぐらいだろうか。首が切り取られているので判別はできない。
嫌がらせのためにわざわざ命を奪ったとは思いたくないが、どちらにせよもうこの生き物の命は元には戻らない。肩を落としたエヴァは、そっと扉の前の生き物を抱き上げる。せめて埋めて弔ってやろうと思ったのだ。
とぼとぼと歩きながらこれまでのことを思い出す。
最初はドアだった。
恐らく部屋の中に入ろうとしたのだろう。しかし、うまく開けられなかったようだ。腹いせに、ドアノブとドアにはズタズタに引っ掻いたような傷がつけられ、あたりには真っ赤な絵の具がまき散らされていた。
次は、窓から入ろうとしたのだろう。部屋の窓ガラスが割られた。その時間は普通なら皆、大浴場に向かう時間だった。しかし、大浴場を使用しないエヴァは部屋にいたのでびっくりした。
犯人が登ってきたところで、ラタが顔めがけて飛び付いた。ビックリした犯人は登ってきたロープを半ば滑るようにして落ちていった。
二度失敗して、侵入者はさすがに部屋への侵入は諦めたようだ。
代わりにこうして、定期的にエヴァの部屋の前にゴミや動物の死骸を置いていくのである。
「いい加減にしてくれないかなぁ」
嫌がらせが始まってから部屋を常にラタに見張ってもらっているから、犯人は分かっている。
オリヤンとエリアスとパトリックだ。段々とやり口があからさまで攻撃的になってきている。
エヴァは、嫌がらせがあればその都度、一応団長には報告を上げている。しかし、魔獣を飼育していることは秘密にしているので、目撃者無し、ということで三人の行動を止めるには至っていない。
エヴァは外まで出てくると、そっと、寮の庭の隅の方に生き物を埋めてやり、パンパンと手を払ってから食堂に向かう。
もともとエヴァは朝食を食べに行こうとしていたのだ。しかし、ただでさえ少ない食欲が、さらに失せた。
食堂では、好きな小鉢を取り、パンとスープを好きなだけ皿に盛るシステムなので、エヴァは小鉢を一つと、スープを少し皿に盛って、先に来ていたラーシュの前の席に座った。
ちらりとエヴァを見て、その食事の量の少なさに顔をしかめながら、ラーシュが問う。
「お前、朝からどこ行ってたんだ」
「また、扉の前に贈り物が置いてあってね……埋めに行ってた」
エヴァが肩をすくめると、ラーシュは眉を顰める。
「……最近あからさますぎないか?」
「……狙うなら、直接僕を狙ってくれればいいのに」
しゅんとするエヴァにラーシュはかける言葉が見つからないように視線をさまよわせる。
「……今日の訓練も過酷だぞ。しっかり飯は食え」
こくんと頷いたエヴァはのろのろとスープをすすった。
◆
今日の午後は初めての魔獣への騎乗訓練だ。
先輩とのペアで、交互に魔獣に乗る。エヴァとニコライの前には一頭のスレイプニルがいた。
見習いは自分で魔獣の調教も行うので、一人に一頭ずつ魔獣が与えられている。ルーカスのマルガレーテのようにだ。そして、調教した魔獣は騎士団で正式に配属が決まってからも、ずっと相棒として過ごす。
エヴァ達新人は、まだ調教した魔獣がいないので、今日はペアの先輩の育てている魔獣を使って訓練を行う。
ニコライの魔獣は真っ白なスレイプニルだった。よく手入れされているようで、つやつやのきれいな毛並みをしている。他の団員の魔獣は黒か茶色が多い中、白色の毛並みはかなり珍しい。
「リーナだ」
ニコライは、自慢げに胸を張る。エヴァはきょとんと眼を瞬かせる。
「……アンナの名前もらったの?」
ニコライはギクッとした後、慌てて弁解を始める。
「お、俺がつけたんじゃない!……リーナは、最終的にはお嬢様に献上するんだ。だから、名前もお嬢様が決めた」
「え、でも、リーナをアンナに渡したら、ニコライが騎士団で乗る騎獣がいなくなっちゃわない?」
「……俺は近衛になって王族をお守りする予定だ。近衛は城での警護が中心で、出かける時は騎士団が付く。騎獣は必要ない」
「そうなんだ。ニコライは早くから将来のことを決めていて偉いね」
エヴァはにっこり笑う。ニコライは気まずそうに頬を掻いた。
「近衛は、実力も家柄も必要で……まだなれると決まったわけじゃないけどな」
「そっか、がんばってね」
「ほ、ほら。喋ってないで早く乗れよ。見ててやるから。魔道具の使い方は覚えたな」
「うん」
ニコライに促され、エヴァは魔道具の手綱を握りしめた。使役の魔道具は、使役者が指につけた指輪と、魔獣にかけられた手綱が合わさることで効力を発揮する。なので、魔獣の手綱は獣舎に返すまで絶対に離してはいけない。首輪には、幻覚を見せる力のある魔道具がついているので、手綱を離しても襲われることはないが、逆に一歩も動かなくなってしまうらしい。
エヴァは手綱を握ってリーナにしゃがんでもらうようにお願いした。
リーナはエヴァの望む通りに動き、エヴァはリーナによじ登った。
ニコライはえー、という顔をしている。
「エディ、スレイプニルにはその鐙を踏んで乗るんだよ」
「んー。わかってるけど、僕の身長じゃ鐙まで遠いんだよ。この方が楽だ」
ニコライはポリポリと頬を掻く。乗り方が恰好よくないが、エヴァがそれでいいのなら、という顔をしている。
エヴァはリーナに乗って演習場を軽く一周した。魔獣は魔道具が使われているので、その上に乗りさえすれば誰でも乗りこなせる。ただし、それでは、使役者の命令によってしか動けなくなる。魔獣本来の身体能力を生かすことが一切できなくなるのだ。だから、見習いは、本当に少しずつ魔術具の拘束のレベルを下げていく調教をする。ゆえに、正式配属が決まるころには、他の人間には乗りこなせない相棒となる。
今日は、最大レベルで魔術具の拘束レベルが設定されているので、エヴァに限らず、皆悠々と魔獣を乗りこなしていた。
戻ってきたエヴァは、またリーナにしゃがんでもらい。その身からひらりと飛び降りる。
そしてニコライと交代する。どうやって、拘束のレベルを下げていくのか教えてもらうためだ。
ニコライは、リーナに乗ろうと鐙に足をかけた。
そして、その途端、鐙が外れた。
ニコライはバランスを崩して、べしゃっと落ちた。
幸いにも、今日の拘束具は最高レベルで強くしてあるので、リーナはその場から一歩も動かない。
周りで見ていた見習いたちは、笑いながら、ニコライに野次を飛ばす。
ニコライは、頭を掻きながら起き上がった。
「てて、おっかしいなぁ。昨日乗ったときは普通だったのに」
その様子をエヴァは厳しい目で見ていた。
そっと、リーナに近づく。エヴァは壊れた鐙を拾い上げると、不自然に緩んだねじをまわしながら、リーナに囁くように問う。
「リーナ。昨日から今までの間で君の鐙に触ったのは誰?」
『オリヤンとエリアスとパトリック』
――――これは洒落にならない
エヴァ以外の人を巻き込むようなことをするなんて。
エヴァはため息をついた。
――――アンナにも相談してみようか……