22.ラーシュの憂鬱
「父上どうだった?」
ラーシュの部屋で待っていたエヴァは、戻ってきたラーシュに尋ねた。
「あぁ」
ラーシュは、家に戻ってきてすぐにアンディシュに取り次ぎを頼んだ。アンディシュも出掛けていたらしく、彼が着替えるまで待たされたが、ラーシュはすぐに執務室に呼ばれた。
エヴァを自分の部屋に残し、ラーシュは一人でアンディシュの元へ向かった。二人で一緒に行かなかったのは、ラーシュにとって、他人には聞かせたくない話になる可能性があったからだ。
しかし、ラーシュがアンディシュに、入団前に騎士団で稽古をつけてもらうことの可否について相談すると、「取り込まれるなよ」の一言だけで部屋を出された。
「……多分、行ってもいいみたいだ」
「そっか、じゃぁアンナにも連絡しておくね」
ラーシュはため息のように「あぁ」と答える。
あの時、王女が乱入してきて、慎重に対応を考えようとしていたラーシュは出鼻を挫かれた。
ラーシュには、彼女があんなに乗り気な理由が分からなかった。また、これまでの慣例を急に変えるには、人手不足と言う理由では弱いと思った。
いくら早くから稽古をつけたって、筋力も腕力も大人にはどうやったって敵わないからだ。即戦力になどなるはずもない。ラーシュはそう考えていた。
でも、急にそんなことを言ってくる理由を考えようにも、あの場では落ち着いて思考がまとめられるはずもなかった。
結局、保護者に相談すると言い、ラーシュはエヴァを引きずって逃げ帰ってきたが、帰り際、エヴァは結果が分かったらすぐにラタで報告するようアンナリーナに約束を取り付けられていた。
――――あんなの断れるか。
ラーシュは少しやさぐれた気持ちで、エヴァの前のソファに腰を降ろす。目の前でニコニコ紙に文字を書くエヴァを見て、自分だけが色々考えて困っていることに腹を立てる。
――――もう知らん。
「いひゃいよ、ラーシュ」
ラーシュは気づいたら、エヴァの頬をつねっていた。
「どうして俺だけがやきもきするんだ。お前も少しは考えろ!」
「いてて……考える?」
「おかしいだろう?どうして、騎士団長達が、入団前にわざわざ稽古をつけると言ってきたり、王女が俺たちが稽古に参加することに固執したりする?」
「……騎士団長達は、僕の監視が目的かな?」
「……お前の?」
エヴァの静かな声に、ラーシュも少し声を落とす。
「アンナが言ってたんだ。魔獣を操る僕は、危険人物として目をつけられているって。騎士団長が、とは言ってなかったけど……」
「……俺は、建前で、目的はお前ってことか。……けどお前わかってるなら何で、そんなへらへらして」
ラーシュは訝しげな顔をするが、エヴァはにっこり笑って言う。
「だって、別に痛いことや嫌なことをされるわけでもない。僕の自由も制限されてない。魔獣と話ができるのはもともとばれてるし」
エヴァは今の待遇に満足している。多少の監視など気にもならない。
ラーシュはそんなエヴァを奇妙なもののように見た。
「……利用されてもいいなんて……お前、変わってるな」
「えへへ、それに、嫌になったら逃げちゃえばいいんだよ」
エヴァの言葉に、ラーシュは心臓がどくりと音を立てたのを感じた。
「……逃げる?……どこへ?」
「さぁ?ここではないどこかへ」
エヴァは軽く返してくるが、ラーシュは手をきつく握りしめる。
そして、自分がエヴァに依存し始めていることに気づいて愕然とする。
――――俺はここにいるしかないのに。
ラーシュの頑なな心を蹴破って入ってきたのはエヴァなのに。
ラーシュはもう、家族だと思っているのに。自分を置いて、一人でどこかへ行ってしまうという。
「ラーシュも一緒に行く?」
王城に一緒に行こうと誘ってきた時の気安さで、エヴァはそう言った。
「……俺は、行けない。……ここに、いないといけない」
エヴァは首をかしげる。
「ここにいたくないと思っているのに?」
ラーシュははじかれたように顔を上げる。そして泣きそうに顔をゆがめた。
唇を一度かみしめると絞るように声を出す。
「……お前には分からない」
エヴァはそっと立ち上がると、テーブルを回りこんでラーシュの隣に座る。
うつむいた顔を下から覗き込んでくるので、ラーシュは顔をそむけた。
そっとエヴァはラーシュの手を握る。
「分かった。じゃぁ、僕も逃げずにラーシュのそばにいる。…だから、泣かないで?」
「……泣いてない」