20.アンナリーナの企み
「アンナは何がしたいの?」
アンナリーナの自室で、おいしい紅茶と、ふわふわのケーキを頂きながら、エヴァは首を傾げた。
あのお茶会の日から二週間。エヴァは毎日、午前中のユーハンとの勉強を終えると、アンナリーナのよこした馬車に乗り、王城を訪れている。
その日により場所は変われど、お茶をしてお話をして、そして帰る。アンナリーナは楽しそうに、女性に響くスマートな所作や、話題をエヴァに教えてくれる。
侍女のベルタは器用な人で、公爵家の執事長のダンによって揃えてもらっただけのエヴァの髪を、今流行りの髪型に整えてくれた。前髪を上げるのが今の流行りらしい。エヴァが自分でスタイリングできるように整髪剤も持たせてくれた。
昨日は、公爵家にアンナリーナからたくさんの衣装が届いた。本当にたくさんだ。
馬車三台に分けて運ばれてきたその荷物は、到底エヴァの部屋のクローゼットに収まりきるものでなく、今はエヴァの部屋の隣の空き部屋にとりあえず押し込まれている。
その様子を見た公爵は「ほう、うまく取り入ったな」とだけ言った。
ユーハンは頭を抱え、今日の午前中の授業はお礼状の書き方になった。お礼の品を送りたいので、王女の好きなものを聞いてくるように、と言っていた。
「そうねぇ」
アンナリーナは呟きながら、ゆっくり紅茶を置く。
ば、っと扇を広げ口元を隠すと、楽しそうに目を細めた。
「わたくし、どうしても欲しいものがあるの。エヴァ、あなたはそのための餌よ」
「……餌?」
つまりどういうこと?と、エヴァは不思議そうに瞬くが、アンナリーナは微笑みを深くするだけだ。
待ってもそれ以上教えてくれそうになかったので、エヴァは追及を諦める。
アンナリーナはエヴァにとって、ラーシュの次にできた同世代のお友達だ。お話しできるのは単純に楽しい。アンナリーナには、性別もばれているので、特に気を使いながら話す必要もない。それに、アンナリーナは何かとエヴァの世話を焼いてくれるので、エヴァはアンナリーナのことが好きだ。
彼女が今の状況に満足しているのなら、エヴァに言うことはないのである。
パチンと扇を閉じて、アンナリーナはじろりとエヴァを見た。
「そんなことより、エヴァ?この二週間あなたといて思ったけれど、あなたホントに孤児なの?」
アンナリーナの問いに、しばしエヴァは沈黙を返す。
逡巡し、結局口を開いた。
「……それが親がいないことを指すのであれば。……ただ、神殿では僕は別の呼び名で呼ばれていた」
アンナリーナに目で促され、エヴァはどう説明したものか考えながら言葉を紡ぐ。
「僕が産まれ育った神殿では、皆僕のことを、虹の姫巫女と呼んだ」
「虹の姫巫女?」
こくりとエヴァは、頷き、どこか遠くを見るような目で話す。
「僕の母方の血を引く女児は、絶対に虹色の瞳を持って産まれてくるらしい。その子は神の遣いである虹の姫巫女として、神殿で大切に育てられる。次の虹の姫巫女を産ませるために。……僕もそう」
アンナリーナは、いつも半分閉じているような、トロンとした目を大きく見開いた。相当驚いたようだ。言葉を探すようにして話す。
「……初めて聞いたわ。……でも、それ。あなた、よく神殿を出られたわね」
「あはは、出てこようと思って出てきた訳じゃない。たまたまルーカスに拾われたんだ。……まぁ、でも、ルーカスについていったってことは、心の奥底ではずっと神殿じゃないどこかに行きたいと思っていたのかもしれないね」
あっけらかんと笑うエヴァに、アンナリーナは呆れた顔をする。
「あなたね……黙って出てきたのなら、今頃、神官たちが血眼になって探しているんじゃないの?」
「かもね」
エヴァは肩を竦める。
エヴァは友達のフェンリルの家族が羨ましかった。あんな風に支え合い、慈しみ合う関係に憧れた。
神殿ではこの瞳を持つというだけで、敬われ、隠され、恐れられた。そのいびつな在り方に疑問を持ちながらも、自分ではどうすることもできなかった。
どうすることもできないのに、このまま次世代の姫巫女を産むのはどうしても耐えられないとも思っていた。自分の子もこの果ての無い孤独に耐えねばならないのかと思うと震えるくらいに怖かった。
「僕もアンナに聞いてみたかったんだ。アンナは、神様に嫁ぐはずの王女様でしょ?自分の結婚についてどう考えてるの?」
アンナリーナは唐突なエヴァの質問に少し驚いたようだったが、きっぱりと言いきった。
「わたくしの結婚は王である父の決めることよ。とは言え、あんな年の離れたおじさんに嫁ぐのは嫌。……自分に打てる手はなんでも打つわ」
アンナリーナは扇でパシパシと手を打つ。
「それに……わたくし好きな人がいるの。わたくしが成人してないから眼中にも無いようだけれど……成人したら絶対逃がさないわ!そのために、時間が必要なの」
一度ぎゅっと扇を握ると、その年頃に似合わないほど、妖艶に笑う。
「幸い、父は兄を皇太子にするため兄妹間で王位争いが起きる事態は避けたいと考えている。……勝算はあるの」
エヴァは、アンナリーナの鮮やかな笑みに目を奪われた。
恋とはどう言うものだろう。
人と歪な関係性しか築いて来なかったエヴァには分からなかった。
だから、アンナリーナのその苛烈さにひどく憧れた。