Fire.01 入社式
東京都、新橋。3歳児が書いた0の字のような山手線の中心、日本の中でも莫大な資産を作り上げる黄金の地に、私は“柊明乃”と書かれた社員証をバッグに入れて道を歩いていた。駅を出てから皇居の方面に歩き、信号を曲がって、コンビニの横を通り過ぎ、銀行があるビルを素通りすれば、ガラス張りの高層ビルが姿を現す。
“株式会社ブラックカンパニー”、そう書かれた石造りの看板の近くにあるエントランスから中に侵入。受付の人に社員証を見せて新入社員と伝えれば、「エレベーターで6階へ」と案内される。
「私の前に何人来ているんだろ」
10基以上あるエレベーターの一つに乗り込み、やっと一人になれたからとつぶやいてみる。4月3日、新年度。早咲き桜もまだ残っている今日は入社式だ。先月の始まりまでは大学生で“若者の学生”という称号を使って誇っていたが、これからは“OL”の2文字でまとめられてしまのだろうか。そう考えると、なんだか若さを失ったようで嘆かわしい。
「あ~、ちょっと緊張してきたかも」
社会人になることを喜んでくれた両親がくれたスーツは少しだけ大きい。157しかない身長とそんなに期待されても困るスタイルのせいが大きいのだろうけど、母も母だろう。自分に似て美人だと豪語して「これから成長するわよ」と、根拠のない自信をバラ巻いて1つ上のサイズを買ってきたのだ。なんも言い返すことはしなかったけど、それでもちょっと呆れてしまう。
今からでもぴったりのサイズを買い直そうと思うも、現実的ではないとあきらめてため息をつけば、エレベーターは6の文字を点灯させてドアチャイムと同時にドアを開ける。
「こっちか……」
エレベーターホールから出れば、“入社式会場はこちら”と書かれたボードが置かれている。もちろん素直に矢印の方面に向かってあるいて行けば、また同じようなボードで道順が書かれている。それを辿っていけばもちろん、いくら社内が広かろうと……。
「迷った……!?」
迷わない、と言いかけたらこれだ。どこで順路を間違ってしまったのかはわからないが、歩いていたらトイレにやってきてしまった。もしかしなくてもトイレの個室の中にモニターがあって、そこからリモートで入社式、なんてことはないだろう。
「え、なんでこうなったし」
小走りで来た道を戻り、もう一度しっかり確認しながら進んでみてもやはりトイレに辿り着いてしまう。それじゃあ、やっぱりトイレに画面があってそこから……
なんてあるかっ! こんな大きい企業が変な入社式するわけがない……! 私がどっかで間違えているんだ! えー、でもどこで間違ったんだろうか。ちゃんとボードは全て確認したし。
そんな風に考え込みながらエレベーターホールに戻ると、どこか和な雰囲気を纏った女性社員が1名立っている。この人も新入社員なのだろうか……まあ、わからないけどこの人に聞いてみようかな。
「あの~、すいません」
「む、お主はここの社員か。どうした」
「新入社員なんですけど~……ここのボードの通りに進んでいったらどうしても流れついてしまいまして。本当の会場ってどこかわかりますか?」
「あぁ……お主、そのまま行ったのか。それでは一生つかぬぞ」
そういうと、女性はエレベーターホールにかけられていた順路のボードをひっくり返してから、今度は上下を逆にしてこちらに見せてきた。
するとそこには、先ほどと反対の方向を矢印が指さして“本当はこっち♡”と書いてあるではないか。え、じゃあ私反対の方向に進んでたってこと!?
「はぁ……全く、まあいい、お主も一緒に来るといい」
「え? あっはい」
また私のような被害者を抑えるためなのだろうか、コーンを私に見せたのと同じ方向で置いた女性は矢印の方向に歩き始める。流石にこの人を見失ったらもうたどり着けないと感じた私は、素直についていくことにした。別に悪いとにかく人でもなさそうだし、今はとにかく入社式の会場に行くのが大切だ。
その後は特に問題はなかったが、やはり矢印を正しい向きに直さないといけないトラップが3つほど点在していた。流石に2つ目くらいになれば判別は容易になった。というのも、よくよく見るとボードの奥にすこーしだけ紙のようなものが見えている。それを裏返して文字の方向に直せば正しい方角を指してくれる。
そんなこんなで、私たちが入社式の会場に着いたのは開始の約20分ほど前。既に15人くらいの人が着席しており、どうやら前から詰めて座っていくシステムのようだ。時間を確認してスマホをマナーモードにしておき、ここまで連れてきてくれた人の隣へ着席。
始まる数分前まで追加で人が来ることはなかったが、ある時間を皮切りにさらに20人くらいが雪崩れ込んできた。おそらくどこかのひっかけ問題に引っかかってしまった一太刀だろう。確か正しい方向に置いておいた気がするんだけど……もしかして誰かアレ戻した?
さらに数分後、ようやく入社式が始まった。アメリカに本社がある世界有数の大企業ということもあり、祝辞の名前も知っている人が多い。
『それでは、次に日本支社代表取締役のトニー・ブライアンより挨拶があります』
中盤になったころだろうか。企業代表挨拶として出てきたのは、この会社の社長。黒人の方で、隣に秘書のような人を連れている。この人も外人さんのようだ。壇上に登った社長は、なぜかマイクを使わずにそのまま何かを話し始めると、ある程度したところでもう一人の外人さんの方を向く。すると、その人がマイクを持って日本語で話してきた。どうやらこの人は通訳のようだ。
『みなさん、こんにちは。ようこそ、ジャパン・ブラックカンパニーへ。代表のトニー・ブライアンです。ビッグボスとよびやがってください。私は、通訳のオオセラといいます』
(あれ……?)
なんか、この人……日本語おかしい? たまーに「やがって」のような少し攻撃的なワードがあるような……。でも自身があるような顔で堂々と話しているから、どうもわざとではないらしい。今度話す機会があったら教えてあげようかな……。他の人も若干眉をひそめてるし。
結局、この日は入社辞令や決意表明等があり終了した。90分程度であったが、この日はこのまま帰っていいとのことだったので、またさっき来た道を戻って家に帰っていく。
そして……隣の人と連絡先を交換するのをすっかり忘れたことを思い出すのは、自分の家の最寄り駅についた頃だった……。