想像するヒト
「アスカちゃん、ニンゲンなんでしょ?」
私の手からカバンが滑り落ちる。ドサリ、とカバンが地面に落ちる音がして、はっと我に返った。
「あっ、やば。カバン落ちちゃった」
少し屈んでカバンを持ち、肩に掛ける。反応すると確実に人間だとバレてしまう。だから悟られないようにしなければ。真面目でもなく、かといって焦っているわけでもなく、あくまでも柔らかな笑みでカナデを見つめる。彼の顔からは先程の笑顔が消え、睨むようにして私に視線を合わせる。しばらくお互いを見つめあっていたが、しばらくするとカナデが溜め息を吐いて目を閉じた。
「…分かったよ、僕の負けだ。僕はほぼ確実に君をニンゲンと見ているんだけど、君は意地でも認めるつもりはないということだね」
「もっちろん!」
彼は何度目かの溜め息を吐く。そんなに溜め息を吐いてると幸せが逃げるぞ、と言ってやりたかったが、睨まれそうなのでやめておいた。
「じゃあ早速、この世界について教えて!」
「…やっぱ君そうだよね」
カナデがジト目で見ているが、知らんぷり。
「まぁ、いいや。説明するのは後になりそうだけど、これだけは言っとく」
カナデは私の方に向き直り、真剣な眼差しで私を見つめた。
「君がもしニンゲンなら…出来る限り、ニンゲンだってバレちゃだめだよ」
私は黙って頷く。彼はそれに満足したように微笑むと、再び足を進めた。
私はまだ、この世界が何なのかさっぱり分からないし、この世界にとって"人間"って何なのか分からないけど、危ない好奇心は捨てようと決意した。何故なら…カナデの顔が少し悲しげに見えたからだ。勿論確証はない。だが、私はそうだと確信している。彼が何を知っているのか分からないが、恐らく私には壮大な運命が待ち受けているのだろう。無論、全て憶測に過ぎないが、彼の瞳がそう訴えかけていた。
現世に帰れるという保証はない。でも多分、いや絶対、私は帰ってみせる!
私はぎゅっと拳を握り締めた。
「さ、着いたよ。此処が僕達の拠点だ」
目の前に現れたのは、大きな木造の建物だった。冒険小説に出てくるような秘密基地のように木に覆われていて、3階と思われる場所が大樹の上に出来ている。見るだけで冒険心が擽られ、心が弾みだす。私の目が輝いているからか、カナデは頬を緩めた。ふわりとした彼の優しい笑顔に心臓がどくりと脈打つ。少し息苦しくなって思わず胸を抑える。
「え、ちょっと…大丈夫?体調悪くなった?」
カナデがぶつかりそうになるくらい顔を近づける。再び頬がかぁっと赤くなるのを感じた。彼から顔を逸らすように俯くと、彼は眉をひそめる。
「…もっかいカオルんとこ行こ。少し熱あるっぽいから」
私の右腕をぎゅっと掴み、進行方向とは逆の方向に向かう。
「ま…待って!」
掴まれた腕が、カナデの手からするりと抜ける。彼は心配そうな表情をしながらも立ち止まってくれた。
「私…大丈夫だから。何処も悪くないから」
「…ほんとに?」
「うん!」
力を込めて目一杯返事をすると、カナデの顔からは心配が消え、安心そうな表情になる。
「そっか。じゃあ、行こ」
カナデは再び"拠点"と呼ばれた場所に向かって歩みを進める。私もそれに続いて足を踏み出した。カナデはポケットからアンティークな金色の鍵を取り出すと、ドアの鍵穴に差し込む。ぎちゃりという小気味良い音が耳を擽り、おしゃれな木製のドアは口を開いた。カナデに続いて、1歩足を踏み入れてみる。途端、心地よい木の匂いが鼻孔を擽り、ふんわりとした柔らかな雰囲気がそっと私を包んだ。中をよく観察してみる。和洋折衷になっているみたいで靴を脱いでから中に入るようだ。中に入ると、すぐにリビングだと思われる部屋が姿を現す。大きめの机やソファやテレビなどが置いてあり、ゆったりとした茶色の壁に観葉植物が見事にマッチしていた。置くの方には階段があり、壁にはいくつかの扉があって、そこから色々な部屋に行けるみたいだ。さて、リビングのソファに誰かが座っていた。ドアを開ける音で私が入ってきたことに気づいたのか、私の方を振り返った。
彼もまた、思わず息を飲む程に顔が整っていた。キラキラと沢山の光を取り込んだ黄色の瞳に跳ね気味のツンツンとした綺麗な金髪。服は髪の色に映える赤色で、現世でもよく見られるラフな服装だった。彼は私に気づくと、信じられない速さで私の方へ向かってきた。
「…お客さん?お客さんだよな!いらっしゃいっ!よーこそ、俺らの拠点へ!ね、なんて名前?何処から来たの?歳はいくつ?カナデとはどうやって会ったの?」
「こら、"アオイ"。そんなに捲し立てるように話したら困るでしょ」
「その通りお客さんです。名前は明日香で、上から来た。歳は15、カナデとは森で会った。あと顔近い」
「なんであんな早口だったのに全部答えられてんの!?」
「あっ、ごめんごめん。俺夢中になったら距離感がバグるらしくて。自覚ないけど」
アオイと呼ばれた人物はそう言ってニカッと笑う。かなり友好的で、少なくともカナデよりかは好感が持てる。
「…なんだか侮辱された気分なんだけど」
冷たい視線で私を見てくるカナデを無視。
「…で、上から来たってどういうこと?」
アオイの冷たい温度で放たれた言葉で、自分が失言したことにようやく気づいた。額につうと汗が流れる。おそるおそるカナデを見ると、彼は呆れたように首を振る。私が子犬のような上目遣いで助けを求めると、カナデは軽く溜め息を吐いてから口を開いた。
「あのね、アオイ。落ち着いて聞いてほしいんだけど…」
「うん、無理!」
「元気よく言うことじゃないでしょ。全くどいつもこいつも…」
…もしかして、私も"どいつもこいつも"の中に入ってる?
「じゃあ俺が"どいつ"だから、アスカは"こいつ"ね!」
「いや、私はドイツが好きなので、"どいつ"がいいですね」
「関係なくない!?分かった分かった、言った僕が悪かったよ…」
カナデは、何十回目の溜め息をつく。幸せ逃げるぞ。
そんなカナデを無視して、アオイは嬉々として言葉を発した。
「つまり、アスカはニンゲンなんだな!」
空気がピシリ、と凍りつく。カナデがだんだん顔を青ざめさせながら口を開く。
「えっと…ごめん、僕口滑ったかな…」
「いや…もしかしたら私が無意識に言っちゃったかもだし…」
次の瞬間、私とカナデは同時に頭を下げ、ごめんなさい!と叫ぶ。その様子を見て、アオイがケタケタと笑った。
「まっ、全ては俺の察し力なんだけど」
「「お前なのかよ!」」
「わぁ、ツッコミが息ぴったり」
アオイのその発言と同時に、私とカナデはお互いの事を睨みつける。そんな私たちをよそに、アオイは話を続ける。
「じゃあ、この世界についての説明が必要だな」
刹那、目の前が真っ白に染まった。よく小説で頭が真っ白になるという表現を使うが、目の前は表現とかの問題ではなく、まるで雪景色を見ているかのように真っ白だった。下を見下ろしてみると、ちゃんと体がある。真っ白な部屋に放りだされたような感覚だ。ただ地面の感覚はないが。
『さぁ、説明の時間だ』
アオイの声が頭の中に直接入ってくる。これが所謂テレパシーというやつか…
『あれ?初めての割に意外と冷静だね~』
うふふ、と笑う声が聞こえる。
「いいから早く説明しろぉ~!」
私が口を動かさずに脳内で叫ぶと、アオイは少しつまらなさそうに了承した。
『じゃあまずは目の前をご覧あれ!』
言葉が終わると同時に、目の前に航空写真のような街の風景が映しだされる。盾のような形をした地形、そして回りは黒で囲まれていた。私が住んでいた日本と比べてみると、森や山といった自然の色はほんの一部しか見られず、目がチカチカするほどに色とりどりだった。
『ここがウノイ。そして、俺達の今いる所がカナンマだ』
ぐーっと真ん中の辺りがズームされる。周りよりも一際栄えている一帯、ここがカナンマらしい。
『はい、おしまい!』
パチン、と手を叩く音と同時に一気に意識が現実に引き戻される。
「今のは…」
「この世界は、一人につきひとつ"能力"を持っている。持っている能力は唯一無二。被るなんて事は0%に近い。で、俺の能力は"想像したものを相手に共有する能力"だ!」
こめかみの方を人指し指でトントンと叩いてアオイは笑う。
「もしかして…私にも能力が!?」
「いや、ニンゲンは能力を持ち合わせてないよ。その代わりにこの世界で未知の力を発揮する。僕もまだ研究中だけどね」
アオイの説明にカナデが補足する。思わず手元を見る。この私に未知の力が備わっている、と考えるとなんだかふわふわした気分になる。
「ここは、何をするところなの?」
私が質問すると、カナデがよくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに目をキラキラと輝かせながら大きく手を開いた。
「僕らは、ウノイ唯一のニンゲン保護団体。そして、ニンゲン学の最先端に立つ研究機関。
その名も…
"ステラ"だ!」
「ステラ…」
「いい名前でしょ?」
カナデは自慢気に鼻を鳴らす。…でも"ステラ"って現世でも聞いたような気がする。
「保護団体ってことは、私を保護してくれるの?」
「もちろん。ただし条件がある」
カナデは一度言葉を切って、間を置く。
「ここは、保護団体であると同時に研究機関でもある。だから、研究の手伝いをしてくれるなら保護してあげてもいいよ」
「俺はどっちにしろ大歓迎!ニンゲンと暮らせるなんてこんなに幸せなことはないからな!」
真面目な面持ちで言うカナデに対し、アオイは嬉しそうに私を歓迎する。勿論、私の答えは決まってる。
「よし、その提案乗った!」
「よしっ!」
「やった!」
私の言葉に、二人はハイタッチをして喜ぶ。
「早速歓迎パーティーだ!」
早々に準備を始めるアオイを手伝おうと、アオイの元へ行く。その時、
「…なんの騒ぎだ、騒々しい」
奥の部屋から、不機嫌そうな一人の美青年が現れた。