聖女の10?年間
異世界にて現聖女視点です。
相談相手が欲しかった。親にも友達にも、無論恋人にも相談できなかった。近すぎず遠すぎない、日々の生活との間に地続きを感じさせない相手が良かった。会えばほっとするような優しい人柄だと尚良い。ふと思い出したのは、幼い頃に一緒に遊んだ幼なじみだった。彼ならきっと良き相談相手になってくれるだろう。厳しすぎず甘すぎず、的確な助言をくれるに違いなく、適任であると思ったのだ。
わたしはかつて彼のことが大好きだったのだけど、疎遠になるときは一瞬で、気が付けば気軽に話しかけられるような間柄ではなくなっていた。思えばその寂しさも、こんなことになってしまったきっかけの1つであったのかもしれない。
まだ何も感じられないはずなのに、そこに何かがいるという認知はわたしを苦しめる。無意識にお腹に手をやってしまう、その度にわたしはその手を痛めつけた。
体調不良であることには違いないから、部活は早退させてもらった。もうずうっと身体は重だるくて気分だってすぐれない。ただ、今日は気分だけはほんの少し良い。
いつもは待たせてばかりだったけれど今日はわたしが待つ番だな、と考えながら、ベンチに腰を下ろそうとしたその時だった。身体に触れているもの、触れるはずだったものの感触が一切合切なくなって、剥かれた身体のまま”何もない空間“に放り出されたのだ。
本当は、そこは何もないなんてことはなくて、わたしは確かに何かを見て聞いて嗅いで触れたのだと思うのだけど、思い出そうとすると脳みそがトロトロと溶けだすような感触に襲われ、その空間の成り立ちを、象りを、全貌を実感してはいけないと、わたしたらしめる全てが警鐘を鳴らしていた。だから、そこは初めから何もない空間だった。
その空間は唐突に終わりを迎え、わたしをその場にポンと生み落としたのだ。
「成功だ!」
ビリビリと痺れるような歓声に出迎えられた。人に近しい形をしているけれど所々僅かに違う、そんな人々にぐるりと囲まれてしまっている。
何も身に付けていなかったわたしは、メイドのような恰好をした女性3人がかりに布を纏わされた。胸の前で合わせになっている部分を両手で手繰り寄せながら、辺りを見回す。特に寒さなどは感じなかったが、ある種防衛本能に近い仕草にあたるのかもしれない。
床がほの白く発光している。複雑な紋様が刻まれており、その中心に自分は座っているらしかった。口々に言葉を発する異形のの人々、その言葉を正しく聞き取れていること、この時点ではそれを不可解に思う余裕はなく、むしろ言葉が通じるということは底知れぬ沼地のようなこの場において光明を見た気さえしていた。
聖女と勇者召喚の儀、というものによって、わたしがこの異世界に呼び寄せられてから1年くらいが過ぎた。聖女と勇者召喚の儀というのは聞き心地の良い便宜的な名称で、正確には、膨大な正の力を秘める赤ん坊を宿す”母体”を拉致する魔法なのだという。運が良いのか悪いのか、その条件に引っかかってしまったのがわたし。地球規模で考えたら途轍もない確率だ。
この儀式において聖女は勇者の”入れ物“でしかないようで、胎児を産むまではそれはそれは手厚く扱われた一方で、産後の待遇は一転した。用無しになった聖女は死ぬまでお国のために魔力とやらを吸い取られるのだって。産み落とされたあの場所で、ぬる、ぬる、と皮膚が上辺から滑り落ちていくような、丁寧に血管の1本1本の抜き取られているような。聞いているだけで痛そうな話だけど特に痛みはないので、それだけは救いなのかもしれない。あの”何もない空間“にいた頃に感じた脳みそがトロトロと溶けだしそうなあの感覚に少しだけ似ている。
あと何年経てば終わるのだろうか。死ねば覚めるという類の夢ならいいのに。元の世界に帰りたいなあ。家族に、彼に会いたい。
どれくらいがたったのだろう。1年目は辛うじて分かっていた月日の移ろいは、今ではまるきり変わらなくなってしまった。今までの聖女は皆、長命で心身ともに頑丈で非常にしぶとかったと誰かがこぼした愚痴を聞いたことがある。わたしもそうなのかもしれない。
いつまでたっても、こんな監禁状態でも腹立つばかりで気が狂うということはないし、身体もすこぶる健康なのだから。
饐えた匂いのするドロドロとしたスープを飲み干したところで、顔を真っ赤にした偉い人がこの牢獄に乗り込んできた。日に2度の食事を持ってくるだけの使用人、それ以外の人の顔を久しぶりに見た気がする。偉い人、という判断は服装と相貌の雰囲気からで直接の面識はない。
「どうしたんですか」
「役立たず!お前の勇者が死んだぞ!」
お前の勇者?はて?と考えを巡らせてから、ああ、あのときの子どものことかと合点がいく。産まれたと同時に引き離されたし、特に思い入れもない存在だから忘れていた。
今頃あの子はどうしているだろう……?そんな風に顧みることができたら聖女っぽかったのかも?
そうか、アイツは死ねたのか。ちっとも悲しくない。
「それはとても残念なこと、でしたね?」
「気味の悪い薄ら笑いを浮かべおって……いいか、お前は責任を取らなくてはならない」
「責任、ですか」
「衆目に晒されながら処刑されるのだ!いい気味だ、搾りカスの聖女にはいい末路だろう!」
処刑できるものならしてみろ。
魔法や魔物なんてものが蔓延る異世界であっても公開処刑といえばギロチンなのか。お立ち台に設けられた大きな処刑道具がどんな動作をするのか、そんなものについて全く詳しくないわたしでも想像できた。
手枷は胸の前に、両腕が邪魔にならないように仰向けに寝かされた。ギラ、と光る。聖女は痛みも恐怖も感じないようにできている、それはこの××年のうちに体感を伴って知り得ていた。
この世界にもニュートンみたいな人がいたのかな、とそんなことを思いながら空へ喉元を差し出した。
断絶したはずの頭と身体は連動している。やっぱり。痛みなんてない。断面からあふれ出た魔力が引き寄せ合って面同士をつなぎ合わせて元通り。まったく意味のない処刑だ。
聖女の処刑はさすがに前代未聞だったのか?こうなることを誰も予見できなかったらしい。辺りの悲鳴はそれを裏付けるものだと思った。でも、違っていた。
「彼女によく似た魔力を感じたから来てみたものの……。なんだこの茶番は」
空にはわたしの凡庸な想像力でも察せられる、この異世界を脅かす”魔王”と呼ばれる存在が浮かんでいて、こちらに声を掛けながら近づいてくる。
硬直したように動けない人々を尻目に、鋭利な爪を生やした指先がわたしの顔を掴み、何かを確認するように右へ左へと動かす。
「この間けしかけてきた勇者とやらはお前の子か?」
「そうらしいけど」
「なるほど。あまりにも不快な混ざり物だったのでさっさと殺してしまったが」
「どうでもいい。ねえ、あなたはわたしを殺せる?」
「ふむ……。お前も混ざり物ではあるが、それにしては彼女に似すぎている。魔力も顔も」
「……」
「死を望むのは本当に死にたいからか?それでも帰りたいからか?」
「帰れるの!?」
「帰還の方法を知っている。そして私はお前に、その方法と最大限の施しを与える心づもりがある」
他に選択肢はなかった。