3-31 ブレイカー⑤
僕がブレイカーの名を呼ぶと、部屋の中に起きていた嵐のような力の奔流は嘘のように納まり、その中心にメイクがぐちゃぐちゃに汚れてしまった彼女が立っていた。
彼女はバツが悪そうに俯きながらモジモジとしていたが、ダウターが彼女の顔を指さして笑ったのですぐに自分の顔が今どうなっているのかに気づき、すぐに後ろを向いて両手を高速で動かしてメイクを元に戻した。
「ちゃんと俺の力が使えたみたいなやあ」
ダウターが僕の肩を何度か叩きながら笑う。
「すごく不思議な気分だった。なんていえばわからないけど……今初めてダウターと、ちゃんとした絆っていうか、信頼関係みたいなものが築けたような気がする。」
「ハハハ。そんな大げさなもんやないと思うけどな」
「あと呼び名はどうしたらいい? これからもダウターでいいの?」
「そうやなあ、ダウターでもブレイバーでもヨドヤでも構わんねんけど、まあ今まで通りが一番わかりやすくてええんちゃうか。仲間内でもそう呼んでるし」
彼はカラカラと陽気に笑う。
「オール……、ありがとね」
いつの間にか化粧を完璧に直したブレカーが、やはり恥ずかしそうにモジモジと身体を揺らしながら立っていた。
「あ、いや。今のは僕の力じゃないし……」
僕の全能の力は言ってしまえば最強の物真似スキルなのだ。僕自身で今まで何かを成したことなどまるでない。
「何ゆうとんねん。俺の能力『ビリーブ・カム・トゥルー』はな、信じればなんでも叶う都合のええスキルに見えて、めちゃくちゃクセのある使いにくい能力なんや。実際俺じゃブレイカーを助けることはできんかった」
「え…? 違うの?」
「おう。信じたことが現実になる俺の能力やけどな、その信じるってことが中々できるもんやないんや。例えばカラスが白いって信じればその世界のカラスを全部白くできるけどな、そのカラスが白いって事を自分が完全に信じ込む必要があるねん。無理やろ? そんなもん」
「確かにそれは難しいね。自分が信じる事が条件になるんだったら、自分の常識や考え方から抜け出すことはできない」
「そうや。俺にはブレイカーの過去の事とか両親を丸々救えるような案とか考え方は持ってなかったからな。俺がブレイカーを助けるって自分で信じ切ることができんかった」
「でも……、オールはそのスキルを発動させてくれたからー。ボクとパパとママを助けられるって信じてくれてるんだねー。それがとても嬉しいよー」
普段通りののんびりとした言い方で彼女はにっこりと笑う。
「うん。ブレイカーが全治の力をどれだけの世界で使ってきたのかはわからないけど、そして今までに起きた過去や事実を変える事はできないけど、これからの世界を変えていくことはできる」
三人は力強く頷く。
「そんじゃ俺たちは何すりゃええかな」
僕たちはそれぞれまだ無傷の椅子を探して座った。
「ブレイカーが過去に全治の力を使った世界では、軽微な傷でも無理やり全て治してしまうその力の性質から、全ての人間がブレイカーの考える『健康な人間』に肉体も精神も治療されてしまった。それだけならそこまで大きな問題にはならなかったはずなんだ。確かに悪癖と呼ばれるものも人間の個性だから、ブレイカーがたくさんの人を変えてしまったのは事実なんだけど、それがそのまま人間の死や絶滅に繋がるようなものじゃなかった」
「まあ元がすげえ良い奴なら、ただ怪我が治るだけの話やしなあ」
「そう。その世界の全治の力が失われたとしても、ブレイカーの影響を受けた人間がそのまま即死するのはおかしな話だしね。悪癖持ちが真人間からまた元に戻ったのか、それとも一度変えられた性格は元に戻らないのかはわからないけど、それが死につながる理由はないはずなんだ」
「じゃあどうしてボクが通ってきた世界はー、ここも含めてめちゃくちゃになっちゃったんだろう?」
「それがこれからやる事の肝で、ケータさんとヨーコさんの努力が無駄にならない事の理由でもある」
「ブレイカーが全治の力を使うことによって、医学はその価値を失ってしまった。怪我と病気は治るもので、ブレイカーの不死身っぷりから考えると、怪我をした人も『自分が怪我をした』と感じる前にその怪我は治ってしまっていただろう。つまり世界から怪我と病気が消えると同時に、人体を癒し治すという医学の概念すらなくなってしまった」
「だから全治の力が世界から失われてしまった時、人間は断崖絶壁から飛び降りたら全身がめちゃくちゃになって死んでしまうという常識を『新しい発見』として一から研究しなくてはならなくなった」
「熱いものに触ったら火傷するとか、火傷したらすぐに水で冷やすとか、そういうのを一から学んでいく必要があったんやな」
「そう。人類の起こりから現在に至るまで積み上げてきた知識と研鑽をやり直さなくちゃならなかった。そしてその世界には、原始時代にはなかった危険なものが多すぎた」
「そうだねー。たくさんの人たちを一度に殺せる兵器があったりとかー、健康を気遣う必要がなかったのなら公害や環境汚染もひどかっただろうねー」
「結局人間は自分の体内の変化ではなく、体外の環境で短期間の間に滅んでしまった。しかしそこへ導きの扉を使ったブレイカー達が現れて、試行錯誤を繰り返している人間の間違った知識によって書かれた文献を読んでしまった。そしてブレイカーの間違った考えと絶望に合わせるようにして世界が造り変えられていった」
「なるほどな。医学の知識がまるでない人間のパニックで書かれたトンデモ本を鵜呑みにしてしまった結果、導きの扉がその通りに世界を造り変えたせいで、そのトンデモ本が事実として通用する世界に変わってしまった」
「そうなんだ。だからブレイカーが今この事実を受け入れられた時点で、世界の環境はまたすぐに変わっていくはずだ。世界を取り巻いている毒や瘴気も、人間の健康を無視できた時代に広がった公害がブレイカーのイメージを通して造り変えられたものにすぎないだろう。だから……」
「公害やら流行り病の対策を書物とかにまとめて、実際にそれを行えばええっちゅう話やな」
「その通り。今は各世界でブレイカーやご両親による『自分たちで世界を治して助けたい』って願望の元に、『治される必要のある環境と人間』が生まれ続けてる。とはいえこれがなかったらどの世界でも人間は既に絶滅していて今更環境を治したところで人間がまた生まれて反映することもなかったから、これは不幸中の幸いと言ってもいいと思う」
「ううー、複雑な気分だよー」
「まあええやんけ、結局はブレイカーの勘違いとパパママのおかげで色んな世界で人間が全滅せずにすんだってことやろ? ならそれでええやろ」
「うん。そして僕の全能ならブレイカーのご両親がやっている事と同じことを安全に、しかもとても効率よくできるはずだ。なんてったってこの転生世界中の転生者が協力してるのと同じだからね」
「無能だとか能無しだとか言ってゴメンねー。本当にありがとう」
「いや、今回はたまたま僕の能力が役に立ちそうってだけだよ。自分の使えなさは今まで本当に骨身にしみてるんだ」
「なーに、俺の能力も使えるようになったんやし、多分これでオールはブレイカーにヒールをしてもらえるようになるはずや。こっからはマジでオール頼りになるってリーダーが言ってたからな。まじで頼りにしてるで」
「それはそれで怖いなあ。まあとにかくご両親の望みが『娘の罪を洗い流す』ことだから、ブレイカーが力を使った世界を全て治していけば彼らは転生者として『アガリ』だから、そこでさらなる天聖を選ばずにこの世界から卒業してもらえばいいんだと思う」
「ブレイカー達が渡り歩いてきた世界の数が千だか万だかは知らないけど、やっと僕にも自分の仕事ができたって感じだね。現時点で起きてる公害とか病気の対処をして、後は医学大全とか環境改善のススメみたいなのを書い残していけばいいわけだ」
「なかなか根気のいる仕事やなあ。まあブレイカーが通ってきた世界は俺もリーダーも一緒に通ってきてるから、俺が導きの扉開くだけで順番に繋がっていくやろ」
「そうと決まればさっそくやっていこう。僕とダウターでどんどん世界を回ってくるから、その間にブレイカーは今の話をご両親にしてあげてよ。ご両親の誤解も解かないとまた導きの扉が世界を変えちゃうし、それに色々と話したいこともあるんじゃないかな」
「うん……。ありがとう。これでやっと……、パパとママって呼べる」
「かーっ! エエ話やんけ! まじでオールに会えてよかったな! ほな俺らは早速あっちに戻ってバンバンやるか!」
ダウターが導きの門を召喚し、オールと肩を組みながら上機嫌で入っていって消えた。ブレイカーは両親の待つ隣の部屋への扉を開け、ようやく両親とその娘としてお互い向き合う事を始めようとする。
同時刻、ログハウスの遥か上空に、たくさんの天聖者が現れた。




