『手巻き寿司』
「こういう庶民の食事もたまには面白いですわね、テュカ様。ですが下々ばかりお構いにならずに、こちらにもお顔を見せてくださいまし」
「あら、今日はわたしの両親の行きつけが来てくれたのだけど、ご存じなかったかしら」
「ぐはぇっ」
レモネードをもらってテーブルで一息つくテュカ。話し掛けてきたのは富裕層の娘だ。両親の付き合いで挨拶した覚えがある。
向こうのテーブルに富裕層の子どもが集まっていた。代表して誘いに来たのだろう。
――名前は……忘れたわ。うっかり貴族のノリで斬り返しちゃったけど、大丈夫よね?
気の強そうな顔や、リボンの付いた茶色い髪を縦巻きにカールしているところが侯爵令嬢・ロマン様に似ていた。口調もだ。
テュカは内心で小ロマン様と呼ぶことにする。
なお本名はヴィオレット、十歳。グリエに本店を持つ大商会の娘だ。
金持ちムーブでテュカに近付こうとしたヴィオレットだが、貴族であるテュカの口撃力を侮っていた。
庶民的な料理なのは事実だが、そもそも手配したのは代官だということも忘れていた。
だがこの小ロマン、このくらいの失態では折れない心を持っている。
「こほん……それにしても、あの赤毛の料理人。ちょっといいと思いませんこと? 手際も愛想もよくて大人で、ぶっきらぼうなところが男臭くて。ガキどもとは大違い」
ヴィオレットはパーティーに浮かれる男子生徒たちと、エミールを見比べながら言う。
ちょっと背伸びした恋バナでテュカを引き寄せる作戦だ。なんなら仲間の男子たちも追い払う覚悟。
将来が心配になる発言だが、二十歳のエミールはこの場の大人の中で一番若い。少女から見ると手が届きそうな大人の男だろう。他の女子生徒もチラチラと視線を送っている。
マテオあたりが知ったら将来は料理人になると言い出しかねない。
「わたしは大人の相手なんてもうたくさんよ。学校ならお友達がいるし――」
やはりこの娘とは気が合わなそう、と話を切り上げようとしたところで、テュカは思い出す。
――脳内とはいえ『小ロマン様』呼ばわりというのは、この子にもロマン様にも失礼だったわね。
これでは人をちびテルマ呼ばわりするエミールと同じではないか、と思ったのだ。
「よかったら、あなたもお友達になりましょう。お名前なんだったかしら?」
ヴィオレットが名前を忘れられていたショックとはにかみで、なんとも言えない顔をしながら自己紹介したところで。
「次行くぞー!」とマテオたちが呼びに来たのでテュカもメイン料理のテントに向かった。
「やっぱり来たわね。生徒の中で貴族はテュカちゃん一人。八人いる金持ちの子どもはテュカちゃん目当てなのよ。ヴィオレットって子だってわざわざグリエから移ってきたらしいわ」
「残り36人は庶民か孤児ってわけだ。今のとこ顔見知りで固まってるが、誰が派閥を作るか見物だな」
「これはひと悶着あるわね……学校生活、楽しみになってきたわ!」
噂好きのカーラと事情通のソラルは学園ものの物語よろしく、派閥間、階級間のもめ事を予期しているようだ。
一方賢者セリアの見解は違った。
「三時間みっちり授業して昼前に解散するのよ? 個別授業だからクラス分けもなし。他人と比較されることもないし、そんなことしてる暇ないんじゃないかしら」
「ほんと、みんな相変わらずね。ヴィオレットとはお友達になっただけよ」
テュカはとりとめもなく入れ替わる話題を楽しんだ。このメンバーらしいと思うし、その中にまた自分もいられるのがうれしい。
「相変わらずってほどでもないけどな。トマは働いてるし」
「ソラルとわたしは15歳になったらギルド職員試験を受けることにしたわ。あと三年だから、ここでしっかり勉強しないと」
「マテオは衛兵か冒険者だろ?」
「おう! でも料理人もいいなぁ、エミール兄ちゃんみたいなさ」
「やっぱり……」
トマが学校にいないのは仕事が決まったからだ。ソラル、カーラ、マテオは将来を描いている。
マテオの選択肢に料理人が加わったのはテュカの推測通りエミールの影響だが、実はテュカの近くにいられそうな仕事をマテオなりに考えている。
テュカはまったく気付いていないが。
「将来のこと、意外と考えてるのね」
「孤児院を出なきゃならないから。テュカはお婿を取るんでしょう?」
「え、どうして?」
一番しっかり将来を見据えていそうなセリアの言葉に、テュカは首を傾げる。両親からそんなことを言われたことはない。
テュカの両親ともに貴族家直系の子なので、爵位は無くとも貴族籍に入っている。だがそれはその子、テュカまでだ。
テュカの子が確実に貴族籍を持つには、テュカが爵位持ちの貴族に嫁入りする必要がある。
「最近の代官様のご活躍を見るに、叙爵されるでしょう。そうなれば実家の貴族籍を抜けてこの街の領主じゃないかしら。そしてテュカはその一人娘じゃない」
「えーと……?」
テュカはセリアが本当に賢者になる気がした。そんな職業あるのか知らないが。
嫁入りにせよ、婿取りにせよ。ギルド長として働く母を見ているテュカには、領主の妻に収まるだけの生き方は多分違う、と感じる。
だがそれをうまく言葉にすることはできなかった。
もどかしさを晴らしてくれたのはマテオだ。
「テュカは魔法も使えるんだし。できることはいくらでもあるって!」
「う、うん。そうよね」
***
メインはセルフの『手巻き寿司』だ。
テントの中には大量の酢飯と焼き海苔、それに色とりどりのネタが用意されていた。横に作業台もある。
ここを監督するのはなんとビャクヤだった。
実は冷たい飲み物やネタを冷やしているのはビャクヤの力だ。
そして例によってここも、食材の選択肢があまりにも多い。
ネタは戻りガツオ・イカ・エビ・ホタテ・サーモン・ネギトロ・ツナマヨ・カニカマ・いくらの醤油漬け・厚焼き卵・おくら・キュウリ・ルッコラ・長芋の短冊・たくあん・酢れんこん・納豆・アボカド・チーズ。長細く切ったものが多い。
薬味はシソ・オニオンスライス・かいわれ・おろしショウガ・わさび・練り梅。
それにしょうゆだけでなくマヨネーズもある。
どうしたものか戸惑う生徒たち。ぽっちゃりした富裕層の男子生徒は「セルフ手巻きなど野蛮」と騒ぎ出したが、ビャクヤの黄色い瞳が光ると静かになった。
余計に緊張感が高まる中、ビャクヤは戻りガツオ・イカ・たくあん・シソ・かいわれ・おろしショウガに海苔と酢飯を皿に取って作業台に移った。
「この身がまず手本を示そう」
そう言って海苔に酢飯、シソ、ネタを乗せると円錐状に巻き、おろしショウガを溶いたしょうゆを付けて一口。ゆっくり咀嚼する。生徒たちはよだれを拭った。
「脂の乗ったカツオがとろける……やはり手ずから巻いたものは格別だ。できるだけ多くの具材を巻き込むほどうまくなるからやってみるがいい」
「こういうのもうまいぞ」
いつの間にか隣にいた土地神・グーラはせせりの串カツを串から外し、厚焼き卵・ルッコラ・チーズ、それに軽食コーナーのポテトサラダを乗せてマヨネーズをかけてから巻いた。
しょうゆを少し付けてこちらも一口。
「うむ、見てくれは邪道であるが味はうまいの! 生魚が苦手なものは試すがよい」
何人か串カツのテントへ向かった他、競うようにネタを漁り始めた。
当然テュカも巻く。サーモン・いくら・オニオン……まだ隙間があるのでエビとキュウリと厚焼き卵も乗せる。今度は乗せすぎて巻けなくなったが、両手で押さえ込んでかじりついた。
――意外とおいしい!
見た目は悪い。味もごちゃごちゃしている。だが口の中で混ざり合うと、おいしい。ビャクヤの言ったとおりだ。
両親と料理を楽しむ習慣のあるテュカとしては、自分で作った気分にもなれて楽しい。いや、これはもう料理したと言ってもいいのではないか。今度両親と作ってみるのもいい、と考える。
「『串カツ』も『手巻き寿司』も選ぶのが大変だったでしょう?」
「お母様!」
母が父を伴って現れた。教師たちも食事を始めたようだ。
確かにテュカも後悔のないようネタを選ぶのは苦労した。
『串カツ』ではフライにした時の味を、『手巻き寿司』では組み合わせた時の味を想像する必要がある。だが知識と経験が足りない。
「子どもたちの未来にたくさんの選択肢を、という学校の理念です」
「そしてこの先、自分で選び取らねばならない君たちへのエールでもある。入学おめでとう!」
なるほど、勉強とはそういう時のためにあるのかと納得した様子の子どもたち。
学校で料理の味は教えないが、いろんなものを食べて味を知る大切さは伝わったかもしれない。
テュカは短くまとめた父を見て、「始めからそう言えばいいのに」と思うのだった。
「ご飯食べ終わった人にはデザートがあるよぉ!」
生徒たちがあらかた食べ終わる頃を見計らい、メルセデスが声を掛ける。
最後のテントにはロマンおすすめの菓子店から取り寄せたケーキが並んでいた。ホイップクリームやジュレをトッピングした果物もある。
「テュカお姉ちゃん!」
「行くわよ、テュカちゃん!」
「もちろんよ! チョコレートとベリーのケーキはあるかしら?」
「無ければチョコケーキとベリーの乗ったケーキを食べればいいのよ!」
スイーツなら悩まず結論を出せる少女たちだった。
***
パーティーの後は校舎内見学の時間だ。
来賓のグーラたちはもちろん、せっかくなので『迷い猫』の三人やヴィクトーも一緒だ。
真新しい木造建築の匂いを吸い込みながら、教室・職員室・図書室などを回り、まだ工事中の部屋など入ってはいけない場所の説明も受ける。
すでに保健室を利用したソラルが得意になり、カーラにうざがられた。
明日の始業時間と教室の場所を念押しされたら入学式は終わりだ。
明日が楽しみなテュカは屋敷に戻ってからも上機嫌だった。
あるいは、その知らせを聞いたのは生徒で最初だったのかもしれない。
夕食前に聞いたヴィクトーの報告は、両親の帰りが遅くなること、明日の授業は延期になったこと。
そして――
「エミールが行方不明って、そんな……」




