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『吞兵衛たちの木曜日(3)』

今回の話のラスト、三人称でお届けします。

 迷宮の地下五層『雪原』。

 テルマが『迷い猫』で飲み始めた頃。階層主『氷雪竜』ビャクヤは『氷樹の森』で冒険者たちを迎え撃ち、あっさりと撃退した。


「疲弊した状態でこの身に勝てると思ったか。ここへ来るまでの時間配分を考え直すがよい!」


 雪に埋もれるように倒れ伏した冒険者たち。このパーティー、実力はまずまずだが、戦略に欠けていた。

 ビャクヤはアドバイスを与えると、とどめを刺さずに自室へ戻る。


 動けなくなった冒険者にとどめを刺さないのが、この迷宮の方針だ。また階層主の実力とは関係なく下層へ行くほど難易度を上げるため、一定の力を見せた冒険者には負けを認め、下層への階段を開放する。ビャクヤの場合、《身代わり雪像》の術で滅んだフリをするのだ。


 階層主たち迷宮の強者と、そこへ至る人間の強者との戦闘は互いの研鑽である、と迷宮は定めている。

 一方、理性のない魔物は手加減を知らないので、冒険者の戦闘は食うか食われるかだ。それでも動けなくなった冒険者には興味を失うよう調整している。

 人間と違い、迷宮で生まれた魔物は死んで肉体を失っても、いずれ同一個体が湧く。だからこのくらいが相場だろう、というグーラの判断だった。


 故に、迷宮での死因は戦闘中のうっかりか移動中の事故、または人同士の事件である。


「ふぅー……」


 ぬいぐるみが溢れるファンシーな自室。休憩に戻ったビャクヤは、お気に入りのワニのぬいぐるみを抱きしめ、ベッドに転がった。

 これ以上の冒険者が来ないことを確認したら、今日の仕事は終わりだ。

 木曜日のこの時間帯は実に落ち着かない。


 終業の連絡を今か今かと待っていると、通信の呼び出し音が鳴った。

 わくわくしながら応答すると、伝令のスノーマンの声が響く。


『た、大変ですビャクヤ様!』


「どうした、こんな時間に挑んでくる未熟者がまた来たか」


『六層のゴーレムが暴れたそうですっ!』


 最近試験運用しているとかいう、テルマのゴーレムだろう。昨日は爆発を起こしたので雪が舞い上がり、広い範囲がホワイトアウトして大騒ぎだった。

 しかし暴れるだけなら魔物と一緒だ。盗んできた冒険者が戦えばよい。


「それなら問題ないだろう」


『それがですね、よほど恐ろしかったらしく……パニックを起こした冒険者たちが施設を破壊していまして……』


「施設だと……? はて、雪原にそんなものあっただろうか」


 五層は『雪原』の名の通り、ただの広大な雪原だ。あるとすれば財宝と魔物が潜む雪洞、落ちたら一層に戻るクレバス、割れたら一層に戻る氷の湖、テクニカルな戦闘を楽しめる階層主フィールド・『氷樹の森』。あとは全体的な起伏くらいだろうか。

 いずれも壊れるようなものではないし、壊れても自己修復する。


『それはその……氷像ですっ! やつら、ビャクヤ様が趣味で作ったクマの氷像を見た途端、狂ったように攻撃をしかけたんですよぉっ!』


「!?」


  ***


 五層には大きな氷像が点在している。道も足跡も雪に隠れてしまう雪原では、この氷像を目印にすることで迷わず探索できるのだ。


 どの氷像もずんぐり丸いフォルムのクマなのは、制作者であるビャクヤの趣味だ。

 隠してもいないのにあまり知られていないことだが、ビャクヤはかわいいものが好きなのだった。

 できることなら三層補佐のフリムというクマのぬいぐるみ(中身は紳士)をリクルートしたいくらいだ。だが残念ながら五層の気温は彼の可動範囲ではない!


 そこで作ったクマの氷像は、ビャクヤ自ら毎日雪を払い手入れしていた。魔力を込めた氷なので簡単に壊れるものでもない。それが――


「全部……粉々ではないか……!」


 通信を放り出して転移してきたビャクヤは愕然とした。

 入口から氷樹の森が見える位置まで、道なりに置かれたクマの氷像が、すべて無残に砕かれている。

 六層から帰ってきたということはビャクヤも認めた強者たちだ。このくらいのことはできるだろう。


「誰だ……この身のクマさんをこんなにした愚か者は、誰だ……?」


 氷像の破片を抱いて涙目のビャクヤは、ついてきたスノーマンに問う。

 哀れな部下は震えながら答えた。


「ひ、昼過ぎに六層へ入った4人組です……もう迷宮の外ですが、いかがしましょうか……」


「今度来たら永久凍土の肥やしにしてやる……!」


 負けた者も再び挑戦できるよう、撤退は簡単にできる優しい迷宮。そこで冒険者4名に死亡フラグが立った。


  ***


 迷宮を出たビャクヤは『居酒屋 迷い猫』へ向かってトボトボ歩いた。

 楽しみな木曜日がきて浮かれていた自分が情けなくて、春の夜風も沈丁花の香りも慰めにならない。今のビャクヤに似合う言葉は『意気消沈』だ。


 いつの間にか『迷い猫』ののれんが頭に触れてハッとした。ぼんやりしている場合ではない。

 トラブルのせいですっかり遅くなってしまったが、今日は定休日の翌日『木曜日』、一番食材が充実している『おいしい木曜日』。ビャクヤにとっては『刺身の木曜日』だ!

 先週食べたカンパチ、あれはいいものだった。ビャクヤはあの、とろけるようなうまさを思い出すと気を取り直して戸を引き開け、姿勢を正して足を踏み入れる。


「参ったぞ店主、刺身だ!」


「いらっしゃい、俺店主じゃねぇよ?」


 そうだっけ? という顔をしたビャクヤには、自分を指差すメルセデスは目に入っていなかった。

 グーラとテルマもいたので自然とグーラの右に座り、おしぼりとお通しを受け取る。今日のお通しは『ウドの酢味噌和え』。雪を割るような力強い香りと酢味噌の刺激が、疲れた心と体に染みていった。


 初めて来て以来、三人連れだってくることはなく、テーブル席を使うこともなくなった。仕事が終わった者から一人でカウンターに座り、気付けば三人(店長入れて四人)揃うことも多い。


「ようやく来たか。ビャクヤも霊湯でよいな?」


「主様、わざわざ持ってきたのですか……頂きます」


 刺身に霊湯であればビャクヤに否やはない。

 皆で杯を合わせ、一日の労をねぎらい合う。誰かが飲み始める度にこうすることが定着してしまった。


「さて……エミール殿。今日は旬のものが多く揃うと聞いたが、おすすめの刺身はなんだ?」


「……あーわりぃ。今日の刺身はもう無いんだが……」


「!?」


「ビャクヤが遅いから食べちゃったわよ」

「うむ、うまかったの!」

「おいしかったねー、初ガツオ」


「!?」


「青い顔してどうしたのよ? ビャクヤだって先週は食べたじゃない」

「海鮮丼もうまかったの!」

「わたしはツブ貝が好きー」


「………………」


「……先週のカンパチも一晩もたなかったからなぁ。今回は無理言って増やしたんだが、買い占めるわけにもいかねぇんだよ……」


 人間の感覚で仕入れた一週間分の鮮魚だが、階層主たちにかかると一晩もたないらしい。しかし仕入れられる量にも限度があった。

 理由の一つは他の店の分が無くならないように。もう一つ、大量に仕入れても持て余すような客には売りたくないという、魚屋の矜持のためだった。

 アイテムボックスがあるからどうとでもなるのだが、魚屋がそれを知る由もない。

 『居酒屋 迷い猫』――世間の評判では、いまだ閑古鳥が鳴いているはずなのである。


「いっそ五日くらい店閉めて、港町まで仕入れに行ってくるか……いや、このでかいアイテムボックスじゃなぁ……って、おいビャクヤ、大丈夫か?」


 ビャクヤはお猪口を持ったまま、灰になっていた。


「目が死んでおるのぅ……」

「こうなると長いのよねぇ、この子」

「あわわ……お酒こぼれるよぉ、ビャクヤちゃん」


「……しょうがねぇなぁ。見た目が悪いから賄いにしようと思ってたんだが――」


 そう言ってエミールは保温庫の容器から黒っぽい包みを取り出した。

 グーラが不思議そうにのぞき込む。


「それも魚か? なんだかうまそうではないな」


「こいつは『鯛の昆布締め』だ。さく(・・)を作ると余分な切り落としが出るから、賄い用にそれを薄く切って昆布で挟んでるんだよ。さくの方は明日から出すけど、こっちはもう十分締まってる」


 そう言って包み――昆布を剥がすと、均等にスライスされた、しかし形の揃わない刺身が現れた。

 これはおろした魚をさくと呼ばれる、延べ棒型に切り出した際に余った身である。


「鯛茶漬けにでもしようと思ってたんだけど、そんなに刺身が食いたかったなら――」


 大根のつまの上にシソをかぶせ、刺身を並べる。皿の隅にワサビを置いて出来上がり。


「これは……いいのか、エミール殿?」


「そんな顔見せられちゃなぁ。小さいけど、味はそう変わんないと思うぜ?」


 ビャクヤはどんな顔をしてしまったのかと、焦って自分の顔を揉む。

 そして刺身を一切れ箸でつまむ。向こうが見えるほど美しい、身の薄さと輝き。それに昆布の良い香りがする。

 よだれがこぼれる前に、ワサビも醤油も忘れて口に入れた。こんなに薄いのに心地よい歯ごたえがある。むしろこの薄さだから弾力がほどよく際立つのだろうか。噛むほどに、いつまでもうまみが出てきて身はねっとりとし、濃厚さを増す。昆布で水気が抜けているからだ。

 霊湯を口に含むと胸に染み込んでいった。


「なんとも豊かな味だった……こういう刺身を待ち焦がれていたぞ」


「おぅ、気に入ったか。昆布締めにハマると、締めてないと満足できなくなるんだよなぁ」


「それ、そんなにうまいのかの?」

「気になるわ」

「わたしの鯛茶漬け……食べたかった……」


「今日はこれ以上出せねぇな。さくは一人一人前は食えるようにしとくからさ」


 当然のごとく食いつく三人に、エミールが苦笑しながら釘を刺す。

 メルセデスはテルマと何か話すとジョッキにレモンサワーとハイボールを作り、ビャクヤの前にドドンと出した。


「お刺身食べられてよかったね、これレモンサワー。ハイボールはテルマちゃんから」


「食べ過ぎて悪かったわよ。かわいいゴーレム作ったから今度一つあげるわ」

「ささ、ビャクヤ。天ぷらも食え、霊湯ももっと飲め」


 ビャクヤの周りに酒と肴が積みあがる。うまいものに囲まれたビャクヤの顔は、今日一日の不運が禊がれていくように晴れやかだった。


「来週の木曜日も楽しみだな……」


 賄いは天茶漬けに変更され、皆でおいしく頂いたそうな。

小さなお店だと食べたいもの早い者勝ちになりますよね。いつも同じ人が食べ損ねるのはあるある。常連間のお祝い・お返しがお酒で行われるのもあるある。


次回は本編に戻り『魔物肉』を食べます。


※ 登場人物は成人しています。日本の皆さんはお酒は二十歳になってから。節度を守って後悔しないお酒を楽しみましょう!


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