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迷宮前の居酒屋には迷宮の階層主が通う 《迷い猫の居酒屋めし》  作者: 筋肉痛隊長
三章 鬼と聖女のオカルティック・サマー
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どぶろく

 果の月も半ばの水曜の夜。

 明日の準備を終えた俺はベッドに潜り込んだ。


 静かな夜だ。

 いつもは営業中の喧騒がしばらく耳に残るが、今日は定休日だったから尚更だ。店にはメルセデスしかいないし。

 ロマンは今も代官屋敷に投宿している。暇な時間にテュカの家庭教師もしているらしい。


 目を閉じると少し開けた窓から夜顔の香りが届き、いい気持ちでこのまま――


 コトコトコト……。


 寝入りばな、下から物音が聞こえた。

 おかしいなぁ……。


 メルセデスなら隣の部屋にいるはずだ。閉店後に入ってくるような人間、泥棒みたいなのはグーラのおかげで店には入れない。

 だとすると何だろう、と思いつつ俺は下に降りた。

 王都と違ってアントレの夜は静かだから、暗くなるといろいろ想像してしまう。



 店には消したはずの灯りがぼんやり点いていた。

 俺は薄暗い店内を見渡すが、客席には誰もいない。猫かと思いテーブルの下を覗き込んだ時、厨房の方から音が。


 ガサゴソガサゴソガサゴソ……。


 アイテムボックスや保温庫のある辺りだ。猫がアイテムボックスを開いたという話は聞いたことがない。魔術が必要なものではないが、獣には無理なんじゃないだろうか。

 じゃあ何かっていうと……やだなぁ、怖いなぁ……。やっぱ田舎だと『出る』んだろうか。


 足音を忍ばせ、恐る恐る厨房を覗き込むと――アイテムボックスに手を突っ込む、人影。

 そう、人の形をしていた。

 髪が長いのかフードを被っているのかは暗くて判別できない。

 そいつは俺に気付いたのか、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。その口から長い舌がぶら下がっていた……。



「!?」


「あ、エミール君。起こしちゃった?」



 正体はなんと――イノシシ生ハムを口にくわえたメルセデスだった。

 紛らわしいことしてんじゃねぇ!



「ごめんねぇ。部屋で飲んでたらお腹すいちゃって。幽霊だと思った?」


「そ、そんなわけねぇだろ……酒を飲むとつまみが欲しくなる。つまみが残ってるともう少し飲みたくなるってやつだな」



 メルセデスが酒瓶を持ってきたので、とりあえずカウンターに座った。

 雰囲気のせいか他に誰もいないのに自然と小声になる。



死霊(ファントム)はわたしも苦手だなぁ……攻撃当たらないし」


死霊(ファントム)……人を襲う死霊は魔物扱いだよな。信仰系の魔術しか効かないんだっけか?」


「そうそう。迷宮に出るのは死霊と言っても初めから霊の状態で生まれてくるけどね」


「とらえどころねぇのな。人を襲う者が魔物なら山賊はどうなんだって話だ」


「そりゃ幽霊だからね。エミール君だってわたしが幽霊に見えたんでしょ?」


「だから違うって……冷菜だけだと胃によくないから、ちょっと待ってろ」


「わぁい」



 明日のお通しに作ったものを少し温めることにした。『五目巾着煮』だ。


 油揚げに熱湯をかけて油抜きをしたら水分を拭き取り、半分に切って袋状に開く。

 鶏ひき肉、水切りした豆腐、刻んだニンジンとシイタケ、枝豆に醤油、砂糖、塩を加えよくこねる。

 油揚げに具材を入れカンピョウで縛る。中火にかけた合わせ出汁、みりん、しょうゆに巾着を並べ、シイタケ、こんにゃくを加えて落し蓋をしたら弱火で10分煮て完成だ。



「シイタケとこんにゃくも付けてやるから、二つだけだぞ」


「おいしそぉ!」



 一度冷ましたからよくしみてるはずだ。俺も一つ食べよう。


 かじると煮汁がじゅわっと溢れる。うん、よくしみてる。具材の味を豆腐の甘味がよくまとめてるし、いい感じに枝豆の食感を残せた。


 豆イン豆を豆で包んでる変な料理だけど、いいお通しになるな。酒が欲しくなる。



「メルセデスは何飲んでたんだ?」


「えへへ……『お酒の幽霊』だよ」


「?」



 メルセデスはにんまりすると新しいぐい呑みにどろっとした白いものを注いだ。甘酒みたいだがメルセデスなら酒だろう。

 飲んでみると米の粒々感はあるが、味は清酒に近い。香りほど甘くはなく口当たりはいいが、少し発泡している。売り物っぽくないな。



「ついに酒の密造に手を染めたか……」


「違うよ!? 自家消費分は黙認されてるんだよぉ」



 黙認じゃねぇか。

 北部領の酒税は蔵元が製造量に応じて納める。なので許可なく酒を造ってはいけないのだが、個人で楽しむ分にはお咎めなしということだ。

 製造設備もなしに売り物を作れるわけじゃないからな。



「メリッサちゃん家の自家製『どぶろく』でね、お好み焼き仮面のお礼だって」


「自家消費じゃねぇじゃん」


「ま、まぁまぁ。濾してないもろみの入ったお酒なんて、飲める機会ないからねぇ。ご飯粒がおつまみにもなるかなって」


「ならねぇだろ……ポアソンの地酒みたいな、おり酒とは違うのか?」


「あれは粗ごしだね。米と水に米麹と酵母で作るところは清酒と同じだけど、どぶろくは家庭のお鍋で作るから製法がシンプルなんだよ」


「家庭料理みたいな酒ってことか。梅酒と同じだな」



 ちなみに北部では買った酒でリキュールを漬けても税金はかからない。ぶどうや梅の酵母で酒精を増やして『無限梅酒』なんてやっても儲からないからだ。

 誰かが儲かる仕組みを作ったら課税する、とも言うけど。


 しかしこのどぶろく、自家製だからか強くなくて飲みやすいな。甘すぎないのもいい。



「未発酵のでんぷんと糖のおかげで口当たりはいいけど、清酒と同じだけ酒精はあるから気を付けてね」


「マジか」


「清酒用の酵母を使わないとここまで酒度上がらないけど。表に出せない隠し酒、飲む人を欺く密造酒なんて、つかみどころがなくて幽霊みたいでしょ?」


「なるほど『幽霊酒』だな。自分で造ったら格別じゃねぇか」


「だよね!」



 メルセデスが理解されて嬉しいという顔になった。造っても店で出すわけにはいかないけど。



「冬になったら一本だけ仕込んでみるか。鍋物に合いそうだ」


「わぁい!」



 結局翌朝は二日酔いで回復薬のお世話になったのだが、アントレの幽霊騒ぎはすでに始まっていた。



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