牛カツ(1)
魔族料理店『シズル』は西の裏町、市場を中心とする問屋通りのはずれにある。シモン丸、肉屋、カガチ氷店の近くだ。
俺はここの店主に頼まれてご飯もの開発を手伝ったことがある。その結果メニューに加わったのが『牛トロ丼』だ。
王都で食べたことがあったから提案したけど、シズルさんも作り方は知らなかった。生肉をミンチにしてもあの味は出なかったのだ。
あのうまさはルイベに通じるものがあると思う。
冷凍して粉砕するものだと気付いてからメルセデスも参加し、大騒ぎしながら浄化機能付き粉砕魔道具を作ってもらった。
***
「じゃ、行ってくるぜ。夕方には帰るからよ」
「いってらっしゃーい。お昼はロマンちゃんとシルキーさんのとんかつでも食べに行こうかなぁ」
定休日の今日、俺はまた『シズル』に呼ばれていた。
何の用だ。災害級討伐の時に料理バトルしたがってたけど、その続きってんじゃねぇだろうな?
まぁ安くない魔族料理をご馳走してくれるから行くんだけど。
シズルさんのスペシャリテ『タルタル』は最高のモモ肉をスパイスとハーブで繊細に味付けしていて、カリカリに焼いたバゲットとワインがあれば逆らえないうまさだ。
今でこそご飯ものを出しているが、『シズル』は少量の生肉料理をつまみながら静かに飲める、いい店なのだ。
『シズル』はアントレでは珍しい石造りの店構えだ。マットで靴の泥を念入りに落としてから、重厚なドアを開いて中に入る。
高級店のような調度品は無いが、品のいい内装だ。実際一皿いい値段がするし、酒も上等なものしか置いてない。
店構えの割りに狭いのは肉の保管と処理にスペースを割いているからだ。
ここの厨房は衛生のため客席から見えない。その代わり高級酒が並ぶバーコーナーにはカウンター席がある。
「邪魔するぜ」
「来たな。新メニューを増やしたい」
ドアに臨時休業の札が掛かっていたが、なぜかシズルさんがカウンターに立っていた。
この人はいつも単刀直入だ。訳が分からない。
「お陰様で牛トロ丼は好調だ。しかし酒に合わない」
「ああ、ほとんど米だし、ガッと掻っ込むもんだしな」
牛トロ丼は他の魔族料理のように少量を味わって食うもんじゃない。〆のご飯ものだ。
ってことは酒に合うメニュー……ならシズルさんたちで考えるだろうから、酒に合うご飯ものをご所望か?
「牛トロ丼を始めてから、酒を飲まない客も来るようになった。ギルド誌の取材を受けたから、そういう客はもっと増えるだろう」
「客層が広がったから、それに合わせたいってことか」
「エミールは得意だろう、そういうの」
「客の要望聞いて成長してくのが居酒屋だからな。面白れぇ。その話、乗ったぜ」
そもそも牛トロ丼提案したのも、メリッサに『シズル』を紹介したのも俺だしな。
そこへ厨房から二人の店員が出てきた。ガタイのいい男と華奢な女で、兄妹だ。兄はクラマ、妹はヤセという。クラマが困ったような顔をした。
「いらっしゃい、エミールさん。お嬢、カウンターに立つならお客様にお茶くらい出してくだせぇ」
ヤセが『タルタル』とバゲット、赤ワインを出してくれた。
シズルさんは職人気質の料理人なのだが、どうも地元ではお嬢様らしいのだ。そのせいか接客についてはお目付け役の兄妹から度々指摘を受けている。
ヤセとクラマが話を続けた。
「実のところエミールさんの手を煩わせるほど新メニューが必要というわけではなくてですね……」
「え、そうなの?」
「以前お宅で頂いた『カツ丼』、あれをお嬢がいたく気に入りやして」
「お前たち、黙りなさい」
「黙りやせん。一昨日前線に協力した時だって『カツ丼よりおいしくできるはずだ』ってエミールさんに張り合おうとして。それで食材多めに使ったでしょう」
「それは……食材の調整が効かなかったのは私だけではない」
「仕事を忘れて料理勝負を吹っ掛けるのはまだしも。それで相手の食材も守らぬのではお家の名に傷がつくと申しているのです」
「……面目ない。浮かれていた」
『タルタル』をバゲットに乗せて堪能する俺をよそに、兄妹にメチャクチャ説教されてシズルさんがシュンとなった。
店のシェフはシズルさんだが、兄妹はシズルさんの兄姉弟子だそうだ。名門料理店の家系みたいなやつだろうか。
どっちも大変そうだなぁ。
***
というわけで俺は用済み――ということはなく、メニュー開発はするようだ。
俺の前にはシズルさんが考えた『肉寿司』がある。
生の牛肉を薄切りにしてシャリに被せたもので、タルタルと違うのは霜降り肉を使っていることだ。
しょうゆを付けて一口でいく。
「うまいけど……牛トロ丼の方がうまいな」
「……そうか」
理由は単純。一枚肉で赤身と脂身を両立する肉寿司より、選び抜いた赤身と脂身を粉砕時に好きなバランスで混ぜられる牛トロ丼の方が有利だ。
薄切り肉だと歯ごたえを楽しむものでもないし。
それに生肉のうまさを味わいつくしたような満足感。それを肉寿司には感じなかった。生醬油か酢飯か肉の温度か――噛み合わない部分があるのだろう。塩の方が合うかもしれない。
だがこの肉寿司、見た目はいいし癖がない。
高そうな角皿に二貫、ちょこんと乗った上品な佇まい。被せた肉の端はきれいに整えられ花びらのようだ。
コストも相応にかかってそうだし、わかりやすく贅沢な料理だ。
「貴族向けに高く出したらどうだ? 金箔とか乗せて」
食いごたえのあるもの欲しくなる味だから、〆より前菜向きだな。できるだけ高い代金を取るがいい。
「貴族か……うちの店には寄り付かないが」
「以前、鼻持ちならないのが来た時にお嬢が刀を抜きやして……」
「そりゃ痛快だな」
シズルさん、ほんとにお嬢なの?
いや、お嬢だから刀抜いてもおとがめなしだったのかな?
そのシズルさん、食べ終えた俺をジッと見ている。
キリっとした目だが、わかる。
俺が何を作るのか楽しみにしている時のメルセデスと、同じ空気を発しているのだ。
今度は俺の番てことか。やっぱシズルさんは勝負事好きなんだろうな。
魔族料理なんて完全に相手の土俵だけど、俺はアイデア出すだけで作るのあっちだし。
俺は魔族料理に詳しいわけじゃない。知ってるのはこれまで食べたものと、生肉の扱いに長けていることくらいだ。
ちなみに『レバ刺し』と『馬刺し』は魔族発祥だが一般化してしまって、魔族料理とは言わないらしい。この店にはあるけど。一昨日シズルさんに教わるまで知らなかった。
生肉か。生肉、生肉。
「……魚の生肉の丼とか、どう?」
「それは海鮮丼ですよね」
「おいしいですけど」
「魔族料理ではないな」
***
「丁度いいところに来たな、いやほんと」
「それで私は何をすれば?」
カウンターにちょこんと座ったのは銀髪で人形のように整った顔の女妖精。とんかつ屋のシルキーだ。
昼にメルセデスとロマンが食べに来て食材が無くなったそうで、店じまいして『シズル』に食べに来たところを捕まえた。臨時休業の札を見逃すからこうなる。
あとメルセデスがすんません。
「味見役にうってつけだぜ。ここの常連ならなおさら丁度いい」
「それで、エミールは何を作るんだ?」
「『牛カツ』だ。あと作るのはシズルさんたちだから」
「カツか。それは魔族料理では――いや、エミールが言うのだから、何かあるのだろう」
作り方は口で説明してわかるくらい簡単。着替えや靴を借りてまで厨房に入ることもないだろう。
これも王都で食べた。といっても魔族料理店ではなく親父が作ったものだから、魔族料理じゃないかもしれない。生肉とは言い難いし。
だがこの料理、肉の見極めと肉に合わせた揚げ加減がものを言う。牛のたたきに近い技術を要求されるのだ。
それなら魔族料理店で出してもおかしくないじゃないか。
「エミールさん、うちの店にフライヤーは無いんですが……揚げ物作らないもので」
「とんかつみたいに泳がせなくていいぜ。油の深さは2cmあれば足りるから」
「では私は何のために捕まったのでしょうか……?」
「まぁ、道連れ?」
「……」
メルセデスが迷惑かけたのに、お気に入りの店が臨時休業じゃ不憫だしな。
まずタルタル用のモモ肉を1cmの厚みで切り出し、塩を振る。
小麦粉、溶き卵、パン粉の順番で衣を付けて180℃の油で片面30秒ずつ揚げたら油を切る。
食べやすい大きさに包丁を入れて完成。
付け合わせはとりあえずキャベツとレモンでいいか。
タレはわさびとしょうゆ、ゴマダレ、山わさびと塩、ポン酢しょうゆ、ソースといろいろ合うけど、まずは基本のわさびとしょうゆで。
「うん、この味だ。さすが『シズル』だな」
「これは確かにたたきに近いな。生に見えて多少火は通っている」
「タルタルに使うモモ肉なら衣が揚がれば十分だろうし、ロースなら脂身に火が通った方がうまい。肉の厚みや温度でも揚げ加減が変わる。そういうのシズルさん得意だろ?」
「お嬢、そいつは確かに魔族料理店の仕事ですぜ」
「少しでも火を通しすぎると成立しない料理ですね。お嬢、ご飯もどうぞ」
まぁ二人が知らなかったってことは伝統的な魔族料理ではないんだろうけど。
親父のオリジナルかな? と思ったところでシルキーが懐から瓶を取り出し、中身を牛カツにかけた。
君らの懐ってどうなってんの?
「やはりとんかつソースも合いますね。あとパン粉を細目に変えると衣の揚がりが早く、味は軽くなります。これは小麦の風味よりサクサクした軽い食感が必要でしょうから、焦げ目のない乾燥白パン粉が適します」
かけたのは自分の店のとんかつソースだった。少しもらったが、これもうまい。
とんかつソースは中濃ソースより果実分が多いので、より濃厚で粘度が高い。
パン粉は中目を使った。とんかつ屋のとげとげしたパン粉は生パン粉で、これは粗目。生パン粉を乾燥させたら乾燥パン粉の粗目で、それを砕いたら中目と細目ができる。
さすがシルキー、とんかつの専門家だ。パン粉用のパンを自分で焼いてるガチ勢である。
キャベツや水菜を付け合わせにして、味噌汁とご飯で定食にするまでメニューを煮詰めたところで、シズルさんがポツリと言った。
「またエミールに負けてしまったな……」




