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迷宮前の居酒屋には迷宮の階層主が通う 《迷い猫の居酒屋めし》  作者: 筋肉痛隊長
三章 鬼と聖女のオカルティック・サマー
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『イカゴロルイベ』

 エミールたちが帰ってから六日後の港町・ポアソン。中心部の停車場に貸し切り馬車から降り立つ者がいた。

 朝陽に輝く銀髪と赤い瞳。全体的に色素の薄い人形のような姿に青と白の神官服。口元に見え隠れする白い牙――聖女・カタリナだ。

 ハーフ・ノスフェラトゥである彼女は朝陽を浴びても影ができない。


 この一人旅でアントレを目指すカタリナは十日以上前、最寄りの街・グリエにまで迫った。

 しかしそこで食べた『マグロの漬け丼』がおいしかったので、もっと魚を食べたくなったのだ。

 残念ながらグリエではカタリナが満足する魚料理に出会えなかったとも言える。カタリナの旅は食べ歩きの旅、満足できない街があるのも一興なのである。



「それに魚の気分にさせてくれたのはあの街です。やはり旅は出会いですね」



 聖女という立場にある者が『子豚の丸焼き(コション・ド・レ)』で冒険者をしていた理由は、巡礼と救済の旅――と表向きにはされている。

 その実態はおいしいもの巡礼であり、カタリナは堅苦しい聖女業を忘れて文字通りアホになれるおいしいものが大好きなのだ。

 もちろん迷える信者を適度に罵倒して導くことも忘れないが。


 その目的はソロになっても変わらない。変わったことと言えば。



「さて、一人でも入りやすいお店を探しましょうか」



 お一人様道を邁進していた。

 そもそも時刻は朝7時前。早くおいしいものにありつきたくて変な時間に到着した。しかしソロプレイヤー・カタリナに迷いはない。腹は十分に減っている。


 敢えて目抜き通りを外れて向かった地元民の台所、小売り市場。その脇に古びた食堂を見つけた。

 店名は『漁師食堂』とある。

 ガラガラと戸を引いて入ると、広い店内に客はいない。

 客席で食後のお茶を飲んでいた娘が慌てて立ち上がった。青みがかった髪の気の強そうな娘だ。



「あれ、こんな時間にお客さん? ござっしゃい、どこでもどうぞ」



 今漁師たちは漁の真っ最中、市場の関係者も出勤して先ほどピークを終えたところだった。

 こんな時間に来る観光客も珍しい。



「お客さんがいないのは予想通りです。あ、これはいい意味ですよ」



 カタリナは店内に染み付いた出汁の香りに期待しながら言う。

 娘はその容姿と言動に、「変な客が来たーっ」と内心で顔を引き攣らせながら注文を取りに向かった。



「珍しいね、こんな時間に観光なんて。うちは夜明け前に漁師どもが朝ご飯食べて、昼に仕事終わりの一杯引っ掛けてく店だからね」


「安心なさい、休憩時間を邪魔された汝の精勤を神は見ていますよ」


「!?」



 客がひいた時間帯、娘が休憩時間なのは事実だが、初めての観光客に見透かされることではない。ならば賄いの食器を片付けていなかったからか。


 そうではない。そもそもカタリナは町の成り立ちや店の立地と佇まいなどから、この店のオペレーションを大体把握していた。

 ノスフェラトゥの知能は非常に高いのだ。


 だから今は昼の仕込みや仕入れの時間であり、一部の従業員は休憩時間だろうと予測していた。

 当然朝と昼とでメニューが違うであろうことも見越している。



「では今の時間食べられるものは何でしょう?」


「うちは朝は魚で昼はカツ丼とかが多いんだ。今は昼メニューの一部か朝の残りになるよ。やっぱり魚がお目当てかい? それなら――

 煮付けはカレイとブリとイカ。天丼、タラのムニエル、焼き魚はサバ、アジ、メロ、キンメ、鮭……鮭はフライとチャーハンもできるよ」


「むむむ……」



 娘がそらんじたメニューは、うまそうではあるがカタリナの心を打たなかった。

 恐らくこの店、何を食べてもおいしいだろう。それはわかる。しかしカタリナがアントレを素通りしてまでポアソンに来たのは、『マグロの漬け丼』がおいしかったからなのだ。もうちょっと生っぽいものを食べたい。


 と、カタリナは娘が休憩していた客席に目をやる。トレイに湯呑と、空のどんぶりとお椀が残されている。



「汝は何を食べていたのですか?」


「ああ、あれはね、賄いの『イカの漬け丼』。今日は天丼やるからイカが余ったのよね。煮付けには丸ごとじゃないと使えないし」


「それを下さい」


「えっ? あれは賄い――」


「下さい」


「ちゅ、厨房に聞いてみるから……」



 『漬け』というワードがカタリナのハートを撃ち抜いた。

 娘は無表情でぐいぐい迫るカタリナに押されるように、奥へ去った。




   ***




「はい、お待ちどおさま。『イカの漬け丼定食』ね」


 意外と早く戻ってきたのは賄いなのですぐ作れるからだ。

 トレイに乗った岩ノリの味噌汁とお新香、そしてどんぶりのご飯にはしょうゆ、酒、みりんで漬けた茶色くも透明感のあるイカが乗っている。


 売り物ならばと厨房が気を使ったのか、シソに山わさび、ネギ、ゴマできれいに盛り付けられていた。イクラの醬油漬けも添えられている。


 岩ノリの味噌汁を楽しんでから、早速一口。



「うまーいーっ!!」



 『漁師食堂』も無事「うまーい」を頂いた。

 耳と身とゲソ、それぞれの歯ごたえと旨味を堪能できる上、ご飯とのベストマッチが多幸感を呼ぶ。イクラと合わせても映える。さらにシソや山わさびとの相性も抜群だ。


 半分ほど食べたカタリナの元に、娘が皿を持ってきた。輪切りにしたレバーペーストのようなものが乗っている。



「あんた、聖女だったの!? これ厨房のお婆ちゃんから『聖女様にお供え物』だって……『イカゴロルイベ』よ」



 厨房から顔を出したお婆ちゃんがカタリナに向かって手を合わせていた。この店のシェフである。


 聖女の絵姿は広く出回っているので、カタリナの旅ではこういうこともよくある。むしろ気付かないのは不信心とも言えるだろう。

 娘の方は食前の無表情と今のアホっぽい笑顔に「入れ替わってない?」という気分だったが。



「これもうまーいっ、ちょーありがとう! 何これ、ノヴゴロドって何!?」


「ゴロしか合ってないよ……イカの内臓を漬けて冷凍したものよ。あんた……聖女様、何かわからないもの、よく食べられたね」



 アフォになったカタリナは細かいことを気にしないのだった。


 冷凍と言っても縁は解けていて、口に含むと解けて猛烈な旨味が広がる。ウニのようなコクと甘味で、臭みもない。さらに凍った中心部はゆっくり味わえるので幸せが持続する。


 これをイカとご飯と一緒に頂くと。

 濃厚なゴロに包まれたイカの歯ごたえと、キンと冷たい温度差がたまらない。イクラ以上のマリアージュだ。

 成分的にはイカの塩辛と同じようなものだが、それにはない溌溂とした味わいがある。


 あっという間にどんぶりは空になったが、『イカゴロルイベ』はまだ半分ほど残っていた。

 ここからはシソと山わさびで頂くとして。



「お酒! このこれにはお酒ちょーだいっ」


「このこれって……こんな時間から飲むの?」



 そもそも聖女様に酒を飲ませていいのだろうか、背教者として捕縛されないかと戸惑う娘をすり抜け、厨房の別のおばちゃんが冷酒を差し出した。手を合わせて拝んでいく。


 出されたのは店で一番高い酒、ではなくお婆ちゃんの良人(おっと)、ご隠居が大事に飲んでいる私物である。聖女にお供えされたと知れば本望だろう。

 ちなみにおばちゃんはその娘で亭主は漁師、さらにその娘は母と祖母に半ば呆れた視線を送っていた。


 吟醸香とキレのバランスが取れた純米吟醸がイカゴロの強い味を洗い流す。しかし新たなイカゴロの旨味は「もっと酒を寄越せ」と急き立てる。


 酒と肴をピッタリ消費してカタリナは箸を置いた。



「んまーかったーっ、汝らに幸あれーっ!」



 聖女の祝福は案外安……いや、お値打ちだった。


 しかし、娘が持ってきたお茶を満足げにすすったカタリナから表情がストンと抜け落ちる。赤い瞳は野火のように輝いていた。

 その目に捉えられ、娘がお盆を抱いて後退る。



「では汝に血を捧げる名誉を与えます」



 カタリナの開いた口から覗く牙が、伸びている。赤い舌が物欲しそうに動いた。

 恐怖にかられた娘は助けを求めて母と祖母を探すと。



「いやぁぁっ、離してよぉっ!?」



 二人に両脇を押さえられていた。

 聖女のこの無体は何なのか。

 実は酒乱で酒を飲むと流血を求めるのか。

 母と祖母は聖女に操られているのか。


 ――そういえば、聖女様は吸血鬼だって聞いたような……。


 しかし混乱する娘の視界から恐ろしき聖女の姿が消えた。

 悪夢が終わったのか? と安堵しかけた瞬間。



「カプッ」


「――!?」



 カタリナは正面から娘の首元に咬みついた。

 店内に絹を裂くような悲鳴が響く。




   ***




 ちゅーちゅーちゅー。



「はい、回復魔法。傷跡ひとつありませんよ。今日は水分多めに摂って下さい。ごちそうさまでした」


「肌の調子が娘みたいだわね!」


「腰も手首も痛くないだわね! これであと二十年は続けられるかね」


「……あ、ニキビ治ってる」



 当然ながら咬み傷はカタリナが治した。その際三人まとめて回復したので、あちこち良くなったのだ。

 おばあちゃんなど調理中に負った何十年も前の火傷跡まで治っている。


 当代の聖女がノスフェラトゥである以上、敬虔な信徒にとって血を捧げるのは大変な名誉だ。

 だがそれだけでなく、回復魔法の効果も大変ありがたがれていた。

 ちなみに娘は信徒ではないが、せっかくなのでカタリナに聞きたいことがあった。



「あの……聖女様。私の血って、その、おいしかった?」


「血ですか? 汝に限らず誰の血も、特においしくはないですよ。血の味です」


「!?」



 誤解されがちだが、ノスフェラトゥにとって血は食糧ではない。

 カタリナのようなハーフでも一日一度、食後に吸血衝動を覚えることがある。その際できるだけ速やかな吸血行為が推奨されていた。なぜなら。



「血は胃腸薬ですから。吸わないとおなかを壊すのです。薬においしいもまずいもないでしょう? まぁ中にはとても飲めない味の人もいますが」


「えー……」



 ノスフェラトゥが数を減らしたのも当然で、無人の場所に滞在するなら絶食を強いられるのだ。

 ちなみにグリエで漬け丼を頂いた後はミリスの血も頂いた。


 旅先では神殿の女性神官に頼むか、今日のように手近な娘を調達する。

 一人で野営する時はアイテムバッグに入れた採血瓶で誤魔化す。これは吸血衝動関係なく食前に(・・・)飲まないと効かず、三度の食事の度に必要だ。ますます薬っぽいのでカタリナは嫌いだった。




   ***




「ここはなかなか、期待できる町ですね」



 固辞する店に代金を押し付けたカタリナは、店を出て歩く。一杯機嫌で潮風が気持ちいい。



「メルセデスには合流が遅れることを伝えないと。アントレに行く冒険者が捕まればいいのですが」



 カタリナは突然店を開いてうまくやってるという、血のまずい(・・・・・)友人の顔を思い浮かべた。カタリナの経験上、唯一吸血に堪えなかった人物だ。



「ギルドの無い町ですから、酒場で捕まえましょうか」



 ならばまず目指すは神殿だ。宿と血の確保である。

 それが済んだら冒険者を探しがてら食べ歩きに出る。今日はもう吸血衝動もこない。

 せっかくここまで来たのだし、カタリナの魚気分はまだ終わっていなかった。


 道端に咲く朝顔を眺めながら、思考はこれから出会う海鮮料理に飛んで行った。


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