『吞兵衛たちの木曜日(2)』
引き続き三人称でお届けします。
※ 前話にて、グーラの《気配遮断》を《魅了》に変更しました。(2021/1/25 13:13)
テルマたちが量産のため、試作クマガルーたちを回収していた頃。
迷宮出入り口と地下一層への階段をつなぐ『迷宮ロビー』の物陰から、三角耳を付けた金髪の幼女がひょっこり顔を出した。両手で酒瓶を抱えてるが不良娘ではなく、迷宮主・グーラである。
ロビーは灯りが並ぶだけで飾りも素っ気もない石室だが、ここは理性のない魔物を堰き止めるセーフゾーンだ。日中は冒険者たちが行き交い人通りが絶えない。
日が暮れると出入りする者は少ないが、今日は怪我人が多かったのか少々騒がしかった。
「クマ怖いクマ怖いクマ怖いクマ怖いクマ怖いクマ怖いクマ怖い……」
「うねうねしてたわ……あんなところから、すっごく、うねうねしてた……」
「信じられるか? 一瞬前まであんなにかわいかったんだぜ……」
「花子ぉっ、はぁな゛ぁごぉぉぉっ……!!」
壁に向かって膝を抱えたり、涙と鼻水を流しているのは、完全武装したむさくるしい冒険者たちだ。阿鼻叫喚の図である。
――はて、熊などおったかのぅ? 誰ぞ精神攻撃でも使ったやもしれぬ。
テルマたちは優秀だった。
そんなことは知らないグーラは、いつも通り出口へ向かってロビーを闊歩する。
それだけで周囲の冒険者たちは皆、気分良く酔ったような顔をして、うわ言のようにグーラを称賛し始めた。
「グーラ様だ! 今日も愛らしいお姿だなぁ……」
「はぁぁ、三角耳、尊い……」
「グーラ様、飴をどうぞっ」
お菓子をもらいつつ、そのまま衛兵たちの間を通る。
衛兵たちは表情を緩ませる一方、姿勢を正した。
「これは迷宮主殿、お出掛けで?」
「うむ、お勤めご苦労である!」
グーラの権能《魅了》である。騒ぎにならない程度に強く掛けたが、しばらくすると元に戻り、この記憶は残らない。
これはグーラにとって息をするような、もしくは体臭のようなものなので、常に微かな《魅了》を振りまいてしまう。そのせいで以前エミールが影響を受けたが、メルセデスが対処していた。
外へ出ると、グーラはまだ人通りの多い広場の雑踏に耳を澄ました。
笑い声、怒鳴り声、生活音に静かな話し声。矮小な人の子の、集まったことにより生まれる営みの豊かさを感じる。今夜も外へ出てきた開放感に、グーラはふさふさのしっぽを震わせ、酒瓶を愛おしそうに抱きしめた。
気持ちのいい夜だ。すっかり足が覚えた『居酒屋 迷い猫』までの50メートルを、今日は少し遠回りして歩く。
暖かい春の夜風に花の香りが混ざっている。どこかで肉を焼く煙が上がる。湿った土の匂いがする。
――人が多いと匂いが増えてよいの。さて、昨日は休みであったし、今宵は何を食おうか。
グーラは店ののれんをくぐり引き戸を開けた。
***
「今日は木曜日だから、旬のものがいろいろあるぜ?」
料理人のエミールがおしぼりとお通しを出しながら言った。今日のお通しは『ウドの酢味噌和え』、春の野山を感じさせる味だ。
グーラがこの居酒屋を初めて訪れてひと月ほど。毎日のように通い詰めているのは、迷宮にはない季節感や人の子らしい創意工夫を好ましく思うからだった。
「それは楽しみだの。だがまずはこの『霊湯』、ぬしも飲んでみよ」
「おぅ、じゃあ少しだけ頂くぜ――なるほど、米の酒に近いんだな」
グーラが抱えて持ってきたのはお土産の『霊湯』、地脈から汲み上げた魔力の源だ。どのようにして生まれるかは不明だが、うっすらと光るその液体は甘い香気を放ち、密封しても時間が経つにつれ霧散していく。
飲めば酔いを得るものの、やはり霧散するのか翌朝の身体に酒気は残らない。
「うむ。われらが米の酒を好むのは、昔を懐かしんでおるだけではない。霊湯に似ておるゆえに身体が欲すわけだの」
「こっちの方が甘い華やかな香りが強いよねぇ。吟醸香っていうんだよ? あと香りだけじゃなくてね、軽いのに芯の通った喉ごしも特徴で――」
いつの間にか店長のメルセデスがグーラの右に陣取り、ご相伴に預かっている。
料理はできず、接客は客と一緒に飲み食いすることと勘違いしているふしのあるダメ店長だった。
いつもふわふわのんびりしているのが、酒の話になると饒舌になる。グーラが最近気付いたことだ。
「確かに果実のような香りだな。米にはこんな匂い無いのに不思議だぜ……店長はお客のものを勝手に飲むんじゃねぇよ」
「よいよい。これは土産であるからして、好きに飲め」
「わりぃな。これは店からお礼だ、食ってくれ」
浅い竹籠に折った紙を敷き、その上に黄金色の揚げ物が盛られている。春野菜の天ぷらだ。不安定な形を作る衣と、そこから透けて見える具材の彩――美しい盛り付けにグーラは唸った。
小ぶりのをひとつ箸でつまみ、小皿の塩を付けて口に放り込む。
どこかで嗅いだ覚えのある春の匂いが鮮烈に広がり、苦みと甘みを感じた。歯ごたえもよい。
「そいつはフキノトウだ。苦いけどこの季節になると一回は食いたくなるんだよ」
「これはまた、酒に合うのぅ。やはり迷宮を広げた甲斐があったというものぞ」
「グーラはさ、どうしてこの店に入ろうと思ったんだ? 前に『お外出たい』とか言ってたけど、一人で居酒屋に入る恰好じゃねぇだろ、それ?」
エミールの言う通り、グーラの見た目は10歳程度だ。高そうな異国の服を着ており、冒険者の街で酒場に出入りするような恰好ではない。
グーラは床に届かない足をぷらぷらさせて答えた。
「……この地で迷宮を育てて12年が経っての。元はさびれた村であったから興味も無かったが、久しぶりに外を覗いてみたのだ。こんな風にして――」
グーラが小さな両手で円を作ると、そこに何かが映った。それはまだ営業中の灯りが漏れる冒険者ギルドの前であったり、冒険者で賑わうよその酒場であったり、閉門後の守りに就いた東門の衛兵があくびをする姿であった。
「うぉ、すげぇ。魔法すげぇ! 迷宮の外も覗き見し放題だな!」
「ぬし、言い方っ、言い方ぞっ! まぁ人の営みを眺めるのは楽しいがの……思った以上に街が栄えておったので『ここどこ?』ってなったのぅ。
ある日、この辺りの雑踏を眺めておったわれは、その中に知った顔を見つけたのだ」
「それって、もしかして――」
エミールはグーラの横で客の天ぷらを盗み食いする店長を見た。殴ろうと思ったら包丁しかなかった。
「うむ、メルセデスよ。詳しくは言えぬがこやつとは因縁浅からぬ仲での。決して詳しくは言えぬが。怖いからの……」
「……天ぷら食われてるぞ」
「う、うむ……こやつ、王都におったはずがこの街にいての。何をするつもりか警戒しておったら、ここに飯屋を開きおった。なんの嫌がらせかと思ったものよ。あ、カツオの刺身をもて」
「はいよ、今日のは初ガツオだぜ!」
メルセデスの盗み食いをスルーしたグーラは、出された刺身におろしたニンニクとショウガを乗せ、醤油を付けて口に入れた。薬味の強い刺激が柔らかい赤身のうまみに包まれ、顔を綻ばせる。
ふさふさのしっぽを大きく揺らして話を続けた。
「慣れぬ店で一人あたふたしておるのは面白かったがの。しばらくしてエミール、ぬしが来た」
「ああ、開店して3週間後、グーラが来る1週間前ってとこだな」
「それからよの、こやつがよき顔になったのは。ついにわれも店に入ってみたくなって、ここまで迷宮を広げたわけだの」
「やっぱり『迷宮を広げたら偶然』ってのは嘘だったか」
「悪かったのぅ。おかげでまたこやつとも縁ができて……こうしてカツオを盗み食いされるわけだが――ピクシーみたいなやつよの――やはり迷宮とつなげた甲斐はあったの」
三角耳をピクリとさせたグーラは、そう言って店の入り口に視線を移した。
直後ガラリと引き戸が開き、長い息を吐きながらグーラの部下、六層階層主テルマが入ってくる。
「いらっしゃい! カウンター?」
「そうね……あら、グーラ様と……」
テルマはメルセデスにギョッとした目を向け、反対側、グーラの左に腰を下ろした。店長が客のカツオをつまみに霊湯をすすっていれば、自然な反応だろう。
「お疲れさん。何スタート?」
「われが奢ってやるゆえ、テルマも飲むがよい。最近飲めるのであろう?」
「あら、ありがとう、グーラ様。それじゃあ……」
エミールがおしぼりを渡して最初の飲み物を尋ねると、最近ちょっと酒が飲めるようになったテルマは、おずおずと注文を伝えた。
***
時間は少し戻って、グーラが『居酒屋 迷い猫』ののれんをくぐった頃。
ここは迷宮地下六層の隠し部屋『事務室』。
「さすがに疲れたわね……」
接客用クマのぬいぐるみ型ゴーレム・試作クマガルーの回収と事務処理を終えたテルマは、伸びをして呟いた。
このところ仕事がひと段落するとむずむずしてたまらない。もう定時は過ぎているし、
「じゃあ先に上がるわね。お疲れ様」
颯爽と退勤するのが最近の彼女のスタイルだった。以前ならもうちょっと粘って量産の計画くらい立てていたかもしれない。
そんな上司の変化に、部下のウンディーネや座敷童たちは当然気付いている。そしてその背景は当然気になる。
長く人化したままの麗しい竜。それが仕事を切り上げてそそくさと帰る理由。しかもテルマは『自室に戻る』とは言わなかった。お出掛けだ。
と言っても迷宮内だが、最近地上にも範囲を広げたことは補佐たちも知っている。となれば冒険者以外の人間と接触することもあり得る話だ。
ならばテルマのお出掛けの理由はひとつ――
「「「男ねっ……!」」」
「……聞こえてるわよ?」
「「「!!」」」
まだいたようだ。
「昨日も遅かったんだから、あなたたちも早く帰りなさい? じゃあね」
***
テルマがそそくさと退勤した理由、それは――
迷宮を出たテルマは広場を突っ切り、最短で『居酒屋 迷い猫』へたどり着いた。グーラに連れてこられて以来、毎晩のように来ている。今までテルマたち3名以外の客は見たことがないのに、仕事が遅くなってもなぜか開いていた。
食事もさることながら、酒もうまい。長大な時間を生きてきて、これまでうまいと感じたことのなかった酒。それが最近、ちょっと飲めるようになったのだ。
今日も『食事』と自分に言い聞かせつつ、飲みに来てしまった。
戸を引いてのれんをくぐると、料理人のエミールが威勢よく声を掛ける。
「いらっしゃい! カウンター?」
「そうね……あら、グーラ様と……」
8人掛けのカウンターにはテルマの上司であるグーラと、ここの店長が並んでいた。いつも一番に飲みに来るのは、だいたいグーラである。
店長がつまんでいるのは客であるグーラの皿ではないか。しかも飲んでいるのは霊湯だ。昨日グーラに頼まれて地脈から汲み上げたのは、水脈操作に長けたテルマなのだ。
――貴重なものをこの働かない店長は……忌々しいわね。
テルマはモヤっとした気分のまま、店長の反対側、グーラの左に腰を下ろした。
「お疲れさん。何スタート?」
エミールにおしぼりをもらい、テルマは考えた。飲めるようになったとはいえ、それほど酒飲みではないテルマには、最初に何を飲むか尋ねているのだ。
お茶と答えればお茶が出てくる。食事中に酒が欲しくなったら、改めて注文すればよい、そういう気遣いだ。
客が3人しか来ないとはいえ、それぞれの好みに合わせて対応を変えているのがテルマにはわかる。
「われが奢ってやるゆえ、テルマも飲むがよい。最近飲めるのであろう?」
「あら、ありがとう、グーラ様。それじゃあ……わたしにもお猪口が欲しいわ」
「はいよっ」
ゆっくり考えるつもりだったテルマだが、せっかく上司が奢ってくれるというのだ。せっかくだから自分で汲み上げた霊湯を飲もうと考えた。
この店の料理と霊湯を合わせると、どんなにかうまいだろう。そう思いながら汲み上げていた。
「お疲れ様~テルマちゃん」
「ご苦労であった!」
「お、お疲れ様……」
グーラに酌をされてやや恐縮しつつ。飲み始めに一日の労をねぎらい合うのは、この店の流儀なのかとテルマは毎度首を傾げる。だが悪い気分ではなかった。
お通しの『ウドの酢味噌和え』は癖のある香りだが山の味がして、地脈とも縁を感じる。当然のごとく霊湯と合った。
少々子ども舌なテルマは、このような癖のある味が長らく苦手だった。それが酒の味を覚えて以来、ちょっとおいしい。
「ねぇ、エミール。今日のおすすめは何かしら?」
この店にもグランドメニューはある。だがエミールがほぼ日替わりで仕込む『おすすめ』は旬の食材が生かされ、迷宮にない季節を感じさせるし、いずれもうまい。
その味には料理人の工夫が見られ、毎度驚かされる。そのため3人とも注文はおすすめから選ぶか、おまかせにしてしまうことが多かった。
テルマは食材が余るのではないかと心配にもなったが、魔道具があるので問題ないそうだ。
「春野菜の天ぷら、あと魚のいいのが入ってるぜ。今日出せるのはカツオ、カンパチ、アジ、イカ、車海老、ツブ貝だな」
「……呪文詠唱みたいね?」
「刺身うまいのぅ。食い足りぬから盛り合わせをもて」
アントレから一番近い港町まで馬車で二日かかるのだが、この店は状態の良い魚介類を仕入れてくる。
「じゃあ、わたしは海鮮丼にしてほしいわっ!」
「はいよっ」
刺身はうまいと、先週の木曜日にビャクヤが言っていたのをテルマも知っている。竜にとってありふれた生の魚、何が珍しいのかと思ったが。
「〆て血抜き、おろして皮引きをして、さくに整えて適切な厚さに、滑らかな断面で切る……手間のかかった料理よね……」
金曜日にテルマが注文すると、刺身はすでに品切れしていて悔しい思いをした。しかも何種類もの刺身を酢飯に乗せた、『海鮮丼』なる料理もうまかったという。テルマは自慢するグーラをちょっと殴りたかった。
「港町からアイテムボックスで運んでくる魚屋があってさ、水曜日の夜はそこで競りがあるんだよ」
「あら、どうして夜なの? 市場なら朝から開くものじゃない」
「陽が当たると魚の鮮度が落ちるからな。だから水曜は定休日にしてんだ――刺し盛と海鮮丼お待ちっ。アジは小骨残ってるかもしれないから、気を付けてくれよ」
定休日が仕入れの都合で決まるとは勤勉な、と思いつつ、テルマは出された丼に目を奪われた。
「きれいねぇ……魚介が彩りよく盛り付けられて、宝物庫みたいだわ」
イカとツブ貝の下にはシソ、カツオとアジらしき桃色の身の上にはネギとショウガが添えられ、それぞれが料理なのだと気付く。
テルマはまず、カンパチの上にワサビをちょこんと乗せ、醤油を付けて口に放り込んだ。上品な脂と繊細な舌触り、溢れるうまみを楽しみ、酢飯を口に追加する。
甘酸っぱい酢飯をひんやりとしたカンパチの味が包み、幸福感を脳に伝えた。
「はぁ~。霊湯もやっぱり合うのね……酢飯の味とけんかしないし、魚の後味がきれいに流されるわ。でも――」
やはり霊湯はうまいし、テルマでも明日に響かない。だが米の酒と同等の酒精感があり、テルマには少々飲みにくい酒だ。それに、
「せっかくの外だし、どうせなら人のお酒を飲みたいわね」
「うーん、米の酒はもうないし、霊湯に比べるとなぁ。葡萄酒の白は生魚と醤油にはいまいちだし、あれも飲みなれないと……エール……だと重たいよなぁ」
「まかせてー」
悩むテルマとエミールを見て、メルセデスが厨房の隅に駆けて行った。
ガラスのジョッキを出したと思えば、氷で満たしてマドラーでかき混ぜる。一旦水を捨て、棚から酒瓶を取り出した。
褐色の液体が揺れるそれは――
「え、ちょっとウィスキーなんて!? 匂いだけでも飲めないわよ、わたし」
ウィスキーはこの国でもよく飲まれる、西の国原産の蒸留酒だ。火が付くくらい酒精が強い。
――何考えてるのよ、この女~っ!
やはり自分に含むところがあるのだろうか、と警戒するテルマをよそに。
「ウィスキーはこのくら~い♪」
メルセデスはメジャーカップで『シングル』と呼ばれるよりも少ない量を測り入れた。
いや、目分量だ。メジャーカップを使っているのに、目分量だ!
「レモ~ン♪」
そこへ半分に切ったレモンを絞り入れる。絞り器も使わず、片手で握り潰した!
氷があるのでジョッキの1/5程度を満たしたように見えるジョッキを持って、メルセデスは奇妙な物の前に移動した。コックの付いた金属製の樽が台に乗っている。
注ぎ口にジョッキをあてがうと、コックを手前に倒した。
シュワー。
コックから出た液体がジョッキを完全に満たす。絶えずプツプツと泡の立つ、不思議な液体だが、テルマはそれを知っていた。
「それ、炭酸水ね?」
『温泉ラムネ』のために必要だとエミールに言われて、掘り当てたのはテルマだ。
しかしあれは樽に保存するには向かないはずだった。
「これはね、空気中の二酸化炭素から炭酸水を作って冷やす魔道具だよぉ。わたしが作りました!」
ジョッキの中身をマドラーでそっと混ぜ、最後にカットレモンを添える。
「はい、『迷い猫流レモンハイボール(薄め)』。レモンの種、入っちゃったけど大丈夫! 飲んでみて!」
「い、いただくわ……」
こんな量飲めるだろうかと思いつつ、冷えて汗をかいたジョッキを傾け、少し口に含む。
キリッと冷えている。レモンと燻した木の香り、酸味と炭酸の刺激が魚の脂を洗い流した。甘みも癖もなく、白葡萄酒のように酸っぱいのに醤油や米との相性も悪くない。心配した酒精もほとんど感じない。何杯でも飲めると勘違いしそうだ。
もう二口、三口。喉を鳴らしてからジョッキを置いた。
「驚いた、おいしいわね……これ」
「他にも甘酸っぱい梅酒とか、果汁にお酒と炭酸水を入れた『サワー』なら何種類もあるからね。飲みたくなったら言ってね?」
「そんなにあるの?」
「ここは居酒屋だからね。いろんな人の飲みたいものを揃えてるんだよぉ」
「あんたが飲みたいだけだろ。醤油との相性ならグレープフルーツサワーもおすすめだぜ」
エミールが酒瓶と潰れたレモンを片付ける。
一気に飲みすぎたせいか、少し赤くなった顔でテルマは言う。
「ありがとう、店長。あなた――仕事するのね」
本当は、『あなたには歓迎されてないと思ってた』と言いそうになったが――
箸とお猪口を持ったメルセデスはテルマの左に移動して、再び飲み始める。エミールは店長がこれ以上客にたからないよう追加の肴を出し、店長はそれをうれしそうにつまんでテルマにも勧めた。
――そんなことは、聞くまでもないことだった。
「俺はあまり飲まないからさ、酒のことは店長に聞くといいぜ。そして仕事させてやってくれ」
「わたしだって、やるときはやるんだよぉ」
「あはっ、もうちょっとお酒に慣れたら、部下も連れてきたいわ」
「そっか、そりゃカッコつけないとな?」
海鮮丼とハイボールのループに入って幸せそうなテルマを、メルセデスとグーラが笑顔で見守る。
「「酒飲みの世界へようこそ」」
「!?」
店長が初めて働いた回。
そして酒飲みと酒飲みに挟まれると新たな酒飲みが誕生する、常連あるある。
作者は居酒屋なら寿司より海鮮丼、ありあわせの刺身で作ってくれたのが特にうまいと思います。
※ 登場人物は成人しています。日本の皆さんはお酒は二十歳になってから。
節度を守って後悔のないお酒を楽しみましょう!