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迷宮前の居酒屋には迷宮の階層主が通う 《迷い猫の居酒屋めし》  作者: 筋肉痛隊長
三章 鬼と聖女のオカルティック・サマー
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『漬け丼(3)』

 聖女の登場に気を取られていたが、もうすっかりお昼時だった。

 子どもたちは物陰からシモンたちの様子を窺う子、飽きて遊ぶ子とまちまちだ。

 シモンとミリスは子どもたちが空腹に耐えていたことに気付き、詫びた。

 カタリナがそれに気付いて食事を要求したのかは不明だ。


 しかしシモンたちは昼前に発つ予定だったので、屋敷の食材では足りない。

 そこでシモンは業務用のアイテムボックスから食材を出し、屋敷の料理人と相談した。


 その結果、庭の日陰に手早く並べられたのはビュッフェ形式の昼食だ。

 といっても貴賓を迎えている以上、セルフサービスではなく給仕が食器に盛り付けて供する。着替えて手を洗った子どもたちも交代でお手伝いだ。


 肉料理に軽食やデザートも並ぶ中、今日のメインは。



「ほお、マグロの『漬け丼』かね。暑い日はこういうのがいいな」


「ささ、まずは聖女様と領主様がどうぞ」



 グリエはアントレよりさらに内陸といえど、さすがにマルタンはマグロを食べたことがあった。

 商会長が仕切っているが、これは帰り道の昼食にしようと、シモンがエミールから教わって作っておいたものだ。


 酒とみりんを煮立てて酒精を飛ばし、冷ます。そこにしょうゆを加えてタレとし、マグロの刺身を漬けて冷やしながら15分置けば漬けマグロの完成。漬ける時間はマグロの厚みとしょうゆの比率で変わる。

 キンキンに冷やした状態でアイテムボックスにしまった。


 白ご飯と酢飯を用意したので好きな方を茶碗に盛り、漬けダレをかけて海苔を散らす。

 その上にマグロを並べて漬けダレをもうひとまわしかける。マグロは赤身と中トロを用意した。

 あとはシソの千切りや刻みネギ、わさび、ゴマをお好みで。『漬け丼』の完成だ。


 実は薬味のことまで気が回らず、屋敷にあるものを出してもらったシモンである。


 白ご飯を選んだ聖女がまず一口。



「んまーいーっ!!」


「「「???」」」



 あれは誰だろう? と誰もが思った。カタリナだった。

 無表情で辛辣な言葉を並べていたのに、満面の笑みで漬け丼を絶賛する。別人のように上機嫌でがっついていた。

 事情を知るミリスが説明する。



「あのその……聖女様はおいしいものを召し上がると、ノスフェラトゥの血が弱くなるそうで……」



 ノスフェラトゥは知能が高い。

 そして神殿の総本山は権謀術数渦巻く伏魔殿。

 聖女は政治と宗教の道具だ。

 高い知能を持つカタリナが導き出したベストな振る舞いは、感情や考えを相手に悟らせないことだった。


 結果、無表情で皮肉屋な、何を言い出すかわからない『破門砲』の聖女が出来上がったのである。


 するとノスフェラトゥの血が弱まることが意味するのは。



「お食事中は、その……アーアア、『アホ』になるそうで……」


「「アホ……」」



 領主と商会長の口が開きっぱなしになる。

 シモンは思い出したように、アイテムボックスから小さなジャム瓶を取り出した。



「白飯ならこのカラシ付けてもうまいぜ」


「んまーいっ! なにこれー!? うっまー!」



 シモンが出したのは辛みを抑えた香りのいい練りからしだ。おでんなどに付けるものとは原料のからし種の種類が違うらしく、ポアソンで教わった食べ方だった。


 シモンが『アホ』になったカタリナに驚かないのは、『迷い猫』の客も度々そうなるからだ。

 エミールなら「うまそうに食ってくれる方がいいに決まってるじゃねぇか」と言う確信があった。



「聖女様、中トロもうまいんだぜ!」


「中トロなら酢飯でネギとわさびを乗せるとおいしいわ、聖女様」


「こっちも、んまーいーっ!!」


「聖女様、かわいいわぁ……」



 マテオとセリア、そして手遅れのカーラだ。

 子どもたちも『アホ』の方が好きだった。

 それを見た他の大人たちも。



「んん、酢飯の方が上品で僕は好きだな。しかし白飯にカラシも捨てがたい。こんな暑い日はキンと冷えた漬けマグロとツンとするカラシに、身体が喜ぶようだ」


「……簡単でうまい。すぐに食べ終わるが腹に溜まる。そうか、従業員の昼食をどんぶりにすれば……いや、いっそ労働者の多い地区にどんぶり屋を出店するか……」


「イネスちゃん、池にはあまり近付いちゃダメよ?」



 ミリスの視線の先では漬け丼の茶碗を抱えた小さなイネスが、池のほとりでしゃがみ込んでいた。

 すると茶碗の中身がひょいひょい減っていく。

 ミリスは目をこすった。



「……イネスちゃん、食べるの早くなったのね? でもお箸かスプーンを使ってね」


「ちがうよ、妖精さんにもご飯あげてたの」



 妖精ではなく、ウンディーネのつまみ食いだった。

 ずっと近くにいることに、イネスは気付いていたようだ。




   ***




 領主を送って帰るという商会長に去り際、「娘をよろしく頼む」と言われたシモンは硬直した。

 商会長の顔が怖かったからではない。

 ノスフェラトゥ・モードに戻ったカタリナには「ヘタレ」と言われた。


 結局シモンたちはその日出発できず、もう一泊お世話になった。



「やり方はともかく、応援してくれる人がたくさんいるのは良いことです」



 最後にミリスへそう耳打ちし、カタリナも姿を消した。



 そして六日目の朝。

 今度こそアントレへ向けて帰路に就いた。

 当然ミリスも一緒だ。御者台に並んで座る二人の距離は往路よりも幾分近い。

 シモンの手がミリスの肩を抱き寄せようと――そこへ割り込むようにソラルがにやけ面を出した。



「そういえばさ、街でオレたち捕まえようとしてきた奴らって、ミリス先生の仕込みだろ?」


「!」


「バカソラル、何寝ぼけてやがんだ」



 シモンがソラルを小突こうとすると、ミリスは眼鏡を外して布で拭きながら言った。



「や、やっぱりバレちゃった?」


「えっ!?」


「そりゃあいつら全然本気じゃなかったし、『ごめんな』って飴くれたし。運河に落ちたのは演技に見えなかったけどさ」


「あー……だからお前ら誰も怖がらなかったのか……いや待て、だからってミリスがそんなことする理由ねぇだろ」



 とミリスを見ると、ピッカピカになった眼鏡を磨き続けていた。こうすると落ち着くらしい。

 ミリスは意を決したように眼鏡をかけ直し、シモンたちに頭を下げた。



「だましてごめんなさい!」



 ミリスは白状した。

 商会長の商売敵の一つ、そこの娘はミリスの幼馴染だ。カタリナが言う、ならず者たちに仕事を与えた商会の一つだった。


 ミリスは見合いを命じられてすぐ、その幼馴染に相談して今日の計画を練ってきた。

 シモンたちが領都まで来たのは想定外だったが、元ならず者、現荷運びのお兄さんたちはアドリブで合わせてくれたのだ。



「悪い噂も先生が自分で流したんでしょう?」



 セリアが会話に加わり、眼鏡のポジションを直す。

 当初はミリスが一人誘拐され、縁談の撤回を要求する予定だった。狂言誘拐だ。

 しかし子どもたちが多すぎてうまく立ち回れず、運河に落ちる者が続出(・・・・・・・・・・)

 仕方なく作戦を変更し噂を流してもらったのだった。



「皆のこと悪く言う噂にするしかなくて、本当にごめんなさい。しかも大ごとになっちゃって……」


「いいじゃない、お陰で聖女様に会えたんだし! でも先生、グリエではずっと一緒にいたのにどうやって連絡取り合ってたの?」


「お屋敷の使用人たちも、私の味方なのよ」



 首を突っ込んできたカーラに、そう答えてミリスは気付いた。

 幼馴染たち、使用人たち、子どもたち、それにシモン。最終的には父と領主。みんな味方になってくれた。


 ――カタリナ様も私の嘘に気付いていたのね。


 破門にならなくてよかったと心底思うが、あの人も味方してくれた一人だった。

 悪役を引き受けてくれた幼馴染とその仲間たちにお礼を言いたい。両親には謝りたい。


 ――でもそれは今じゃない。



「あのあがり症のミリス先生が、シモンのためにあんな大それたことするなんてねぇ」


「敵をだますにはまず味方からとは、よく言ったものね」


「知らぬはシモンばかりなり」


「よかったな、シモン。両想いだぜ」


「マテオまで来やがって狭めぇなぁ……って、だからなんでオレは呼び捨てなんだよこの野郎!」



 と言いつつ頭をボリボリかくシモンの顔は真っ赤で、今までで一番怖くなかった。



「まぁ、あれだ、ミリス……今度帰る時はオレも一緒に謝るからよ。とりあえず手紙でも書くか」


 ――今はこの人と幸せになろう。


「ありがとう。次は二人で帰りましょう、シモンさん」




   ***




 『迷い猫』のカウンター。

 領都旅行の土産話を語り終えたシモンはすっかりにやけ面だった。

 初めての彼女ができたのだから、当然だろう。


 ――今までで一番怖え顔してるぜ!


 と慄くエミールだが、正直シモンに彼女ができた話だったのか、ヤバそうな聖女の話だったのかよくわからなかった。

 とりあえず感想は。



「俺、なんのために『鮎めし』サービスしたんだろうな……?」


「うんうん、ミリスちゃんって意外と策士なんだよねぇ。治療院は非常勤になって、秋から始まる学校で先生やるんだって?」


「知ってたのかよ、メルセデス。『いなくなっちゃう』とか言うからてっきり、なぁ?」



 エミールと違い、メルセデスは結末まで知っていた。

 秋から孤児たちも学校で勉強するので孤児院の教師ボランティアは終了する。だから「いなくなっちゃう」のは嘘ではない。

 ちなみにグーラたちが気になったのは。



「漬け丼にカラシとはの。われも食いたい」


「シモンがマグロ釣ってきてくれたらな」


「シモン、わかってるな?」


「いや姐さん、オレが釣るわけじゃ……あ、聖女様からよ、店に伝言だ」



 そう言ってシモンは封筒をエミールに渡した。

 なんぞ? という顔で上質な封筒を開けると、中には金箔で縁取られたメッセージカードが一枚。


『わたし聖女。今グリエにいるよ』


 とだけ書かれていた。



「怖えよ、聖女様……」


「それ前にいたパーティーで単独行動してる時に使った符牒だよぉ。『もうすぐ合流する』って意味だね」


「あ、ロマンに聞いたような……」


「うん、カタリナちゃんは元パーティーメンバー。そっかぁ、こっちに来るんだねぇ。楽しみ♪」



 エミールはちょっと遠い目をしてから言った。



「まぁ来ちまうもんはしょうがねぇや。てかシモンがギリギリまでこっちにいるのは彼女ができたからだろ? 店に連れてくりゃよかったじゃねぇか」


「いや、ここはちょっとな……恥ずかしいじゃねぇか」


「ヘタレだねぇ」



 メルセデスはにんまりしながら、グーラたちにねだられてハマチを漬けるエミールを見た。

 エミールの背中がぶるっと震えた。


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