『砂漠料理』
砂漠の国・マドゥバ王国。ロアはその王都にいた。暑い。
かつて暮らした魔境は砂漠の真ん中で、当時のロアは人の討伐軍と本格的にぶつかる前に立ち去った。その討伐軍というはマドゥバの軍隊である。50年以上前のことだ。
転移してみると魔境は消え失せ、砂に埋もれかけた遺跡だけが残されていた。
もちろん人っ子一人いないので、そこから姿を隠して200キロ、空を移動してきたわけだが。
「砂漠を移動する人がやけにいるものでありますなぁ」
マドゥバは入り組んだ形の半島で、人口は沿岸部の緑地に集中している。内陸は水源付近を除き砂漠だ。
かつての人間はよほどのことがないと砂漠に入らず、王国の領土は沿岸部のみという認識だったのだが。
空から見ると王都と砂漠の奥を行き来する人の流れがあった。着陸場所を探すのに苦労したくらいだ。
なお、フランベから南東へ直線移動すると船が必要だが、その海は内海で実は陸続きである。
北東へ遠回りすれば陸路でも行くことはできるのだ。
「人里に来たのは初めてでありますな」
そう呟いたのは褐色の肌に涼し気な目元の美青年だ。薄手のゆったりした服と頭に巻いた布で陽射しを防ぎ、通気性も確保している。
この国にいそうな人の姿、これが今のロアである。もちろん魔術による偽装だ。
口調が似合っていない。
リッチの姿を隠してまで街に入りたかった理由は一つ。『迷い猫』で吟遊詩人が唄った『砂漠の英雄と讃えられた異世界の大魔導師の物語』の出典を探るためだ。
まずは図書館と本屋を巡りつつ街を歩く。アントレとはまた違った賑わいのある街だ。商人の呼び込みだろうか。
マドゥバは人と獣人とハーフリングの国で、獣人が最も多く人種が最も少ない。移民ではドワーフが多い。一方、強い陽射しのためかエルフはダークエルフと呼ばれる肌の黒い氏族しか見かけない。
獣人やハーフリングは魔術の適正が低い。そのため魔術師や魔道具技師が少ない国だが貧しくはなかった。
ハーフリングの器用さと獣人の腕力がそれを補っているのだ。
街には工房も多く、今も熱した壺から出る蒸気で風車を回したり、巨大な布の羽を背負って屋上から飛ぶなど、発明に向けた実験で騒がしい。
ロアには何の役に立つのかちょっとわからないが。
とはいえ、例えば蒸留酒とコーヒーの製法はこの地域で発明されたものである。
地下水のくみ上げに使われる見慣れないレバーは、魔道具ではないようだ。
「なるほど、工業でありますな。それが商業を刺激していると。このガラス製品も見事なうえ安いでありますな」
ロアは美しい青のタンブラーを手に取ると、お土産に買い求めた。
酒を飲むのによさそうだ。
この王都も含め都市は海沿いにあり、海洋貿易は当然強い。造船技術も高そうだ。
国民は豊かで頭を使って工夫することに慣れている、ということは――つまり文化も発展しやすい。
実際、音楽や物語詩の原型が作られたのもこの地域にあった国だと言われている。
それだけに求める情報に期待したのだが。
「『砂漠の英雄』や『異世界へ行った救世主』ならあるでありますが……」
普通は自国に生まれた英雄の活躍を聞きたいものだ。『(怪しげな)異世界から来た英雄が活躍し(自国の)美姫を娶る話』など作る理由がない。
ロアは念のため、魔境討伐を題材とした話もチェックしてみたが。
「人語を解さぬ巨大な化け物退治の話ばかりでありますな……ここ50年の変化は迷宮探索の話が人気なことくらいであります」
結局、劇場まで行って上演スケジュールをあるだけ見せてもらったが空振りだった。
明日は例のエルフの情報収集に切り替えることにして、酒場に入る。もう夕暮れだ。
「面妖な店でありますな……」
ドアマンに、外履きを脱いでから店に上がるよう言われ、ロアは面食らいつつサンダルを預けた。
羽箒で服のホコリを(勝手に)払ってくれたので、チップを渡して板張りの床をぺたぺた歩く。
薄暗い店内はテーブルごとに薄い布で仕切られ、食事をする客と水タバコを楽しむ客が半々くらいに見えた。雰囲気のいい店だ。
案内されたテーブルの前であぐらをかく。座布団があるので痛くはないが、ロアには馴染みのないスタイルだった。
長らく暮らした土地なのに、隣人の習俗一つ知らずに立ち去ったのだと思い知る。
目鼻立ちのくっきりした女の子が注文を取りに来た。名札によるとアマラという名前らしい。猫のような耳と尻尾を持つ獣人だ。
無地ばかりの男性服と違って色鮮やかで、割とぴったりしたワンピースにエプロンを付けている。頭に被った布は透けるほど薄く、腰に掛かるほど長い。
この国のおしゃれなのだろうか。
ロアは注文の前に聞いておきたいことを思い出した。
「二階の宿は空いているでありますか?」
「デアリマス? ――あ、ああ、ええ。空いてるわ、何泊?」
アマラの耳がピクリと動いた。口調が似合わな過ぎて戸惑わせたようだが、ロアは今日の宿を確保した。ここは酒場兼宿屋なのだ。
しばらくするとアマラが酒と料理を持ってくる。
わからないので人気のものを見繕ってもらった。
メロンとチーズ、牛肉の串焼き、刻んだ野菜とそれにつけるスパイシーな豆のペースト。それに焼いた羊肉を薄いパンで巻いたもの。これは『シャワルマ』というらしい。街の屋台でもよく見かけた。
ロアもかねてから名前は知っていたが、これのことだったとは。
そもそも当時は食事ができなかった。食べられる日が来るとも思っていなかった。
手に持つと意外に重たい。具がぎっしりなのだ。
中身が飛び出さないよう、慎重にかぶりつく。
ニンニクの効いたタレと唐辛子のピクルス、それに小麦の香りが、食べやすく刻まれた羊肉に合う。
キャベツやたまねぎらしき野菜もシャキシャキしてうまい。
シンプル故に癖になりそうな味だ。腹に溜まるので毎食これでもよさそうな気がする。
酒は『ラク』という地元の蒸留酒を頼んだ。ブドウや干しブドウから作り、アニスなどのハーブで香りを付けた癖のあるものだが、この国の人間でラクを飲まないのは酒飲みではないそうだ。
ボトル売りなので、グラスに注ごうとミキサーを見る。冷たい水と氷の他、グラスが二つあるのでロアの手が止まった。どういうことだろう。
「お客さん、ほんとにこの国のもんじゃないのねぇ。シャワルマも随分おいしそうに食べるし。ラクはね、こうするのよ」
アマラがまだいた。チップを渡し忘れていたからかもしれない。
フランベにはチップの習慣がないのだ。
ロアからラクのボトルを奪ったアマラは、それをグラスに三割ほど注ぎ、等量の水を加えた。透明だった酒は白く濁る。
それを混ぜて氷を入れると、空のグラスにも氷を入れ始めた。自分も飲みたいのだろうか?
「強い酒だから、割ってもそのまま飲まずにチェイサーを口に含むのよ」
そう言ってこちらには水を満たした。
ロアは礼を言って言われたとおりに両方を口に含む。
薬草の風味に慣れが必要だが、口の中で濃度を変えるのは面白い。
スパイスの効いた料理にもよく合う。
「うちの店で一番人気あるのはメロンとチーズなんだけどね」
こればっかりはラクを飲むのに外せないから、と言いつつ、アマラはロアの向かいに座る。
目を丸めるロアの前でチーズを一つ勝手につまむと、どこからともなくグラスを二つ出し、自分の酒も作り始めた。
一人で飲む量ではないから、いいのだが。
ひょっとするとこの国の人は皆こんなに人懐こいのだろうか? かつてのロアは知ろうともしなかった民族性だ。
ロアはしばらく相手のなすに任せることにした。
「見た目はどうみても同族なんだけどねぇ。あんた一体どこから来たの?」
「えーと……生まれはこっちでありますが、最近まで外国にいたでありますよ! 幼子だったので、こっちにいた記憶は残っていないであります」
ロアの咄嗟の言い訳には意外と納得の様子で、今度は串焼きを奪い、ラクを舐めるアマラ。
どっかの店長みたいだ。
「故郷に帰って来れたなら、よかったわね。この国もだいぶ変わったけど、昔を知らないなら関係ないし」
「何か悪いことでもあったでありますか?」
「悪かないわよ。昔は入れなかった砂漠を、探索できるようになったんだから。迷宮も見つかって景気もいいしね」
ロアが空から見たのはその人員だったようだ。
尻尾を揺らすアマラの話だと、50年以上前、砂漠にできた魔境を討伐するため、砂漠踏破技術の研究が始まったそうだ。ロアの討伐の話だろう。
そして討伐軍、おそらくロアが去った後に魔境へたどり着いた本隊は、砂漠に水源と迷宮を発見したという。
今度は迷宮探索のため、ますます砂漠踏破技術が磨かれた。行動範囲が広がったことでさらなる水源と迷宮が見つかるという好循環に入り、今でも迷宮と砂漠の探索で一山狙う冒険者は多いそうだ。
「街は緑地だけど、砂漠帰りの連中が砂まみれだからね。街中まですっかり砂っぽくなったのだけは悪い変化だって、母さんたちは言ってる」
「靴を脱いで入るのはそのためでありますか」
思わぬところで小さな謎が解けた。ちなみにこの店はアマラの両親が経営しているそうだ。
ロアはついでに例の物語詩について聞いてみた。書物にならない程度に伝わる話もあるかもしれない。
「ああ、それなら子ども向けの童話だわ」
「童話でありますか?」
「そ、吟遊詩人が唄うようなもんじゃないでしょ? わたしも子どもの頃は読んだけど、あまり好きじゃなかったわ」
「どうしてでありましょう?」
「だってさ、街の人間は主人公をよそ者だからっていじめてたんでしょ? 盗賊と戦うことになってから矢面に立たせるのはおかしいわ」
アマラが言う童話は例の吟遊詩人が唄ったものと同じ内容だった。今でも本屋に置いているだろうとのこと。
アマラが生まれた時にはあったというので、ロアは吟遊詩人が広めたわけではなさそうだと考える。
そしてアマラの感想についても考えた。あれを聴いた時は自分の境遇よりずいぶんと輝いて聞こえたものだったが。
「そういう考え方もあるのでありますなぁ」
そもそもこの地はロアの故郷ではないのだが、なんとなく帰ってきた気分になり、またラクを口に含む。
と、アマラが思い出して言った。
「そういえば二カ月前にもその話のこと聞きに来たお客さんがいたよ。『砂漠の魔境討伐の話』とそれが同じものじゃないかって言うから、笑っちゃったけどね」
「……ほぅ、そんな話をどんな御仁が? 吟遊詩人でありますか?」
「フランベの冒険者だって言ってたかな。軽装だったけど楽器は持ってなかったよ。この辺りには珍しい白エルフだったわね。うちに少し泊まって、とっくに出て行ったわよ」
アマラは結局、母親にどやされるまで飲んで行った。
***
アントレの迷宮にて。
通信で報告を聞いたグーラは唸っていた。
「うむぅ、三カ月前にブリヌイ、ふた月前にマドゥバ、ふた月くらい前からひと月前に王都、ひと月前にはこの街にもいたとな」
ちょっと頭から煙がでそうだった。王都の情報さえなければ同一人物と考えるところだが。
しかし冒険者の中には馬車の4倍の速さで一日中移動する、すなわち馬車の8倍移動できる者もいる。
それに妖精とつながるものならば。
「妖精の輪で移動したと考えれば、同時に妖精の関与も確定であるのぅ。しかし王都を始めそんなに都合よく妖精の輪があるなど、われも知らぬぞ……」
妖精の輪とは妖精の住処の近くに設置された転移罠のようなもので、踏むと別の輪に転移する。
どこに転移するのか不明であり、それを事前に知る方法があるのかすら不明、実は設置される理由も不明だ。
吟遊詩人がこれを自在に使いこなせるのであれば、妖精は積極的に関与していると考えるべきだろう。だとすると。
「その者、接触するのは危険やもしれぬ……」




