『オリーブオイル(1)』
翌朝。グーラは執務室で一人唸っていた。とんかつを食べ過ぎたわけではない。
会議後に上がってきた報告ととんかつ屋のシルキーから聞いた話を合わせ、対応策を考えている。
『エルフの吟遊詩人』の特定くらいは閑散期のうちに済ませたい。
一部の階層主を国内外へ出張させることも視野に入れる。動きやすいカガチとキノミヤの名前が脳裏によぎったところで、キノミヤから通信が入った。
『なんかメルセデスが迷宮を攻略してるの』
「どういうことかの!?」
『近くまで来たからお話聞いてみるの。カレーを持ってきたかもしれないの』
キノミヤは餌付けされ過ぎではないだろうか? それとも昨夜のグーラのように宅配を頼んだのか。
訝しく思いつつグーラがメルセデスの入場記録を確認すると、早い。
「一層を三分で抜けておる……」
最速レコードだ。一層の管理は階層主ではなくグーラが担当している。最短距離なら歩いて15分ほどしかないが、それでも早すぎだ。
流石はグーラを縛り上げるだけの実力者である。対立は避けたい。
通常冒険者の相手をしないキノミヤが出たのは、いい判断だった。
『エミール誘って港町に行くらしいの。世界樹の転移をつなぐの』
「なんと!?……いや、わかった。妖精が騒いでおる故、気を付けるよう伝えるがよい」
***
思わぬハプニングもあったが、店が閉まっている間は心配しなくて済むというもの。
グーラは『エルフの吟遊詩人』探しの指示を飛ばした。
「カガチは王都へ赴き王都の迷宮と情報交換、さらにロマンから聞いた手掛かりを追ってまいれ」
「王都は慣れたもんだからね」
王都には多くの迷宮があり、こちらと親交のある迷宮主もいた。以前から王都出張は人に紛れやすいカガチに任せることが多い。
アントレからは馬車で六泊七日の距離だ。
「キノミヤはエルフの国『ブリヌイ』で吟遊詩人を当たってまいれ。『アカシャの記憶』を覗いてくるがよい」
「ちやほやされてくるの」
世界樹としてエルフに信者の多いキノミヤはブリヌイに向かわせる。
『アカシャの記憶』とは好奇心旺盛で長命なエルフが世界中で集めた情報の集積体で、ほぼなんでもわかるとされている。
アントレの南東に位置し、馬車で一カ月の旅となる。
「ロアの出自に似た歌の出所も気になる。故郷へ赴き吟遊詩人の足跡を探すがよい」
「了解であります。砂漠の国『マドゥバ』へ向かいましょう」
マドゥバはロアが砂漠を支配していた頃に敵対した、人と獣人とハーフリングの国だ。
ブリヌイのさらに先にあり、船と陸路で二カ月かかる。
「『吟遊詩人』が妖精の手の者ならば、迷宮の力をかいくぐり『迷い猫』に侵入した手練れぞ。油断なく行ってまいれっ!」
グーラの指示とともに三人の姿は光に溶けた。転移である。二カ月かかる道のりであろうと、あまり関係ないのだった。
迷宮から出られないグーラたちは、三人が抜けた階層をフォローしながら情報を分析する。
とはいえ今は閑散期。今朝のようなハプニングはそうそう起こらない。
「急に暇になったのぅ」
グーラはあくびをして執務室に戻った。
***
「やっぱこっちは都会だぞぉ」
王都出張用の小さな一軒家に転移したカガチは、窓を開け放って街を見上げた。
石造りの大きな建物が並び、道はナイフで刻まれたように複雑で、そこをひっきりなしに人が行き交う。
この賑わいがアントレの外周部よりも広がっているのだから、王都は大都会だ。
王都の発展を支えているのはやはり迷宮である。
近郊と市街地に9つの迷宮と5つの迷宮跡地を抱える、一大迷宮集積地なのだ。
元来呑気な国民性で知られるフランベ王国であるが、迷宮が生み出すヒト・モノ・カネの流れは否応なく王国を発展させた。
「さぁて、とっとと行くかー」
カガチは隣の管理人宅へ顔を出し、金を払って掃除を頼むと通りへ出た。
橋を渡って10分ほど歩くと、柱の目立つ四角い建造物の前に着く。
武装した冒険者たちが絶え間なく出入りし、周囲にはそれを当て込んだ店が商売に精を出していた。
カガチは衛兵が立つ正面入り口を横目に裏へ周り、鉄柵の付いたドアから入る。
後ろ手にドアを閉めると、カガチの姿が消えた。
カガチが目を開けるとそこは別の部屋だった。ふかふかのカーペットに装飾の付いたデスクと応接セットがあり、窓はない。グーラの執務室とどこか似ている。
カガチの正面では夜会服に仮面を付けた男が机に向かって書き物をしていたが、カガチに気付くと立ち上がり両腕を広げた。
長身の、一見紳士だ。白いつるりとした仮面に覆われていない口元がニヤリとしている。
「やぁ、カガチ。僕の劇場へよぉこっそっ! グーラがまた何か言ってきたかな? んんっ? それも舞台のオーディションに参加しに来たのかい?」
この男は迷宮『怪人劇場』の迷宮主・シェイクスピア、ここは『怪人劇場』の執務室だ。
カガチは裏口から入ってすぐに転移でここへ通されたのだ。
なお、裏口の中は三方壁に囲まれており、迷宮内部へ入ることはできない。
「ちょっと聞きたいことがあって来ただけだぞ」
カガチは経緯を話し吟遊詩人、または妖精の情報を求める。
この迷宮は古い劇場をモチーフとしており、シェイクスピアが舞台と呼ぶだけのコンセプトがあった。
舞台装置が充実しており、魔物と冒険者はまるで配役があるかのように動きを誘導されるのだ。
時に分断され、仲間割れを起こし、ピンチを切り抜け友情を確かめ合う、ようなドラマが用意されている。
数々の戦いの中で抜きんでた者がいれば、シェイクスピアが『主役』に抜擢し、黒幕『ファントム』に扮したシェイクスピアとの決闘で幕を閉じる。
迷宮主が倒されてしまうこともあるわけだが、シェイクスピアは死なないので討伐ではなく『攻略』という扱いになる。
『怪人劇場』は攻略済みの迷宮なのだ。
迷宮自体小さく稼ぎは少ないものの、滅多に死人が出ないこととゲーム性の高さから、冒険者には人気がある。
グーラの迷宮と同じく人との共存共栄を方針としているので、カガチとしては話が通じやすい。
街中にある迷宮は概ね似たようなものだが、王宮の近くにある『廃兵院』などは戦士系アンデッドが多いため脳筋で、カガチでも遠慮したい迷宮だった。
なお、5つの迷宮跡地のうち4つは街の壁の内側にあり、その一つは現在の王宮である。
「『大宮殿』が人との対話に失敗して討伐された件は知っているだろう?」
話を聞いたシェイクスピアが立ったまま言うと、ティーカップを持ち上げた。
お茶を淹れたのは機械の両腕を持つメイドのような少女だ。この迷宮は怪人が多い。
「去年の始めのことだろ。討伐されたのはともかく、暴走するほど対話に失敗したのは意外だぞ。ここの連中は対話なんて慣れたもんだろうに」
応接用のソファーに座ったカガチは、気だるげに言って紅茶を口に含んだ。
暴走する迷宮が討伐されるのは仕方がない。しかし対話に失敗しただけで暴走に至るのは珍しい。
『大宮殿』は王都の外だが、王都内で生きている5つの迷宮はすでの対話済みだ。あの『廃兵院』ですら、対話できたのだ。
そんなベテランが知性ある迷宮主を前に、暴走させるようなヘマをするものだろうか?
「こっちとしては討伐やら警戒やらに動員された役者と観客が戻ってきたから、どうでもいいんだけどね。対話に失敗したのは妖精のいたずらのせいだって噂があったなぁ」
シェイクスピアは関心がないと言いつつ、最後は大事な秘密を打ち明けるように言った。
この男の芝居がかったところがカガチは少し苦手だ。
ちなみに『怪人劇場』は銀貨三枚払うと観客として安全に見学できる。役者へのおさわりは禁止だ。
しかし妖精。妖精だ。ようやく手掛かりらしきキーワードが出てきたことに、カガチは期待する。
その気持ちを悟られないように尋ねた。
「その話、詳しく聞ける奴を知ってるか?」
「難しい質問だねぇ。当の迷宮が滅んだ以上、残るは人の子だけだ。妖精は人の記憶を消してしまうから王宮の人間が覚えているだろうか」
妖精は関わった人の記憶を消す。食べているとも言われる。
時に人の害になる妖精だが、あまり人口に膾炙しないのはこのためだ。その結果、神ですら妖精のことをよく知らない。
もったいつけた割りに手掛かりはないのだろうか。
「我々かエルフのように影響を受けにくい者が関わっていれば別だがね……そういえば討伐した冒険者パーティーにエルフがいたじゃないか。もう解散したと聞いたが――」
「またエルフかぁ……」




