『一日旅館 迷い猫(3)』
「このバターが溶けきったら、トングでこの食材を乗せるのですわ。焼き加減はお客様のお好みでしてよ」
客室ではロマンが鉢肴をサーブしていた――いや、小型の魔導コンロに乗せた鋳物皿を前に、鉢肴の作り方を説明していた。
「客に自分で焼かせるだと? 団体客相手の安宿みたいな――」
「――でもこれ、もういい匂いがするわ。なんの魚かわからないけれど、もう焼き始めていいのね?」
エミール特製のガーリックバターが、宴の中盤にあって食欲をさらにかき立てる。
お品書きには『海鮮ステーキ』とだけ記され、何の切り身かロマンからも説明はない。
海のものではあるが見た目は畜肉の赤身のようでもあり、大型生物なのは間違いないのだが。
そしてバジル、パセリ、オレガノ、黒胡椒などををふんだんにまぶした切り身を、熱い鉄板に乗せれば当然。
「いい香りね……焼けるのが待ちきれないわ」
「結構食べたのに、このじゅーじゅー言う音で腹減ってきました……」
「生でも食べられるものなので、レアから焼き加減の変化も楽しんで頂きたいですわ」
待ちきれない二人はロマンの一言で、端の方にナイフを入れ、しょうゆダレをつけて一口。
「「おいしいっ!!」」
断面に赤みを残す肉厚な魚肉。パリッと焼けた外側の歯ごたえはしっかり、生焼け部分はしっとりとして面白い。
味は癖が無く、例えるならカジキに似ているが、噛むとにじみ出る脂の甘みと旨味は二人が食べたことのない味だった。
「これ、なんていう魚かしら? 食べてもわからないわ」
「水虎という海の魔物で……今日『一日女将』自ら水揚げしたものですわ」
「「女将が水揚げ? 魔物を?」」
そう、これは昼間船長に進呈した魔物肉。滅多に食べられない高級食材だが、客二人はそれをメルセデスが獲ったことが気になってそれどころではない。
『魔物肉はどう調理してもうまい』ため料理人の意図する味を出すのが難しく、エミールにして避けてきた食材だ。
しかし、味付けを済ませたものを客が焼くだけならどうだろう。
さらにガーリックバターとハーブの焼ける香りが、客の思い浮かべる味をコントロールしている。
魔物肉は食べる者が期待する味に近付く性質があるため、『水虎のステーキ』の味はエミールの想定したものになっているのだ。
魔物肉の性質を腕でねじ伏せず、利用したと言える。
厨房でロマンに試作してもらったのはその確認である。
コレットはうっとりした表情でもう一切れ口に運ぶ。
「あのお嬢ちゃん、何者かしらねぇ。それはそうと、そろそろ違うお酒が欲しいわ」
「――そのお料理にピッタリのお酒を持って来たよ! 今度は枡で飲んでね」
すかさずメルセデスが次の酒を持って来た。入れ違いにロマンが空いた食器を下げていく。
コレットは最早メルセデスたちの出すものに異論はない、とばかりに無言で枡を差し出した。
メルセデスは酒瓶の天地を一度返してから、なみなみと酒を注ぐ。今度の酒は白く濁った『おり酒』なのだ。
「豪快ねぇ。これはこれで風情があるわ」
枡の角に口を付ける。
水飴のような甘い香りだが、口に含むとそれほど甘くはない。米の味が強く、どっしりと骨太な酒だ。
香辛料の香りにも負けないので、淡麗な霊湯よりも『水虎のステーキ』に合う。
「こんなお酒、初めて飲んだわ。まるでお米を飲んでるみたい……清酒よね?」
「そう、なんとこの町の近くで作ってるんだって! 熱燗の方がもっと『お米』になるけど、夏は冷酒だねぇ」
海鮮料理に合うためかポアソンの清酒消費量は多いのだが、輸入品のため値が張る。
そこで新たな名物として作り始めたのがこの酒だ。
まだまだ試行錯誤中で生産量は少ないが、『水虎のステーキ』に合う酒を求めてメルセデスが船長秘蔵の酒を漁った成果である。
そして『迷い猫』への仕入れも画策しているメルセデスである。
涙目なのは、晩酌用の燻製と秘蔵の酒を取り上げられた船長であった……!
だが尊い犠牲のお陰かコレットも担当君も上機嫌で枡を煽り始めた。
次は強肴、酢の物と続く。強肴には「もう一品追加してもっと飲もう」という意図があり、ここが酒宴の本番なのだ。
そこへロマンが持って来たのは。
「『ヒラメのつみれ揚げ 居酒屋風』と『太刀魚の酢の物』ですわ。強肴と酢の物はご一緒に」
上品な会席料理ならここで炊き合わせでも出すところ。実際そうしたいエミールだったが、時間も設備も足りない。
結局いつもの居酒屋料理で勝負であるが、素材と盛り付けは贅沢だ。
紙を敷いた竹籠に盛られたのはヒラメのつみれ団子である。
その竹籠を乗せた黒い盆は青もみじや笹の葉、ホオズキで飾り付けられ、見た目にも雅。
さらに盆の上の竹籠は五つ、二人で取り分けるところが居酒屋風。
「随分と種類が多いのね?」
「食べきれますかね……?」
「こちらから『豆腐入り』、『シソ入り』、『イカとショウガ入り』、『鯛とレンコン入り』、『全部入り』の五種類ですわ」
肝・味噌・酒・片栗粉を混ぜたすり身をベースに、五種類の味を作り分けた。お好みで塩かポン酢を付ける。
酒を飲む時はいろんな味のものを少しずつ食べたい、という酒飲みの期待に沿ったもので、一種類当たりの量は少ない。
「ヒラメのつみれなんて初めてだわ。滑らかでしっかりした食感があるのね」
「自分、イワシのつみれのぼそぼそしたのが苦手で……これはうまいです」
「あれはあれでおいしいわよ? あら、イカは小さな角切りで食感がいいわね。味付けが変わってもヒラメの味はしっかり出ているわ」
「これも酒が進みますね」
新鮮なヒラメをわざわざすり身にすることは滅多にない。揚げ物にしたければ素揚げにするし、刺身にできる鮮度がなくとも煮付けでおいしく頂ける魚なのだから。
しかしすり身にすると滑らかで舌触りがよく、しっかりまとまるので揚げても丸く美しいというメリットがある。
さらに先程えんがわを取るために四尾ほど余分に捌いたので、余っていたのだ!
そして揚げ物の合間に『太刀魚の酢の物』をつまむ。これが口直しになるため、揚げ物にレモンは付いていない。
エミールが調理の最初に仕込んだのはこの太刀魚を酢・砂糖・塩・ショウガで漬け込むことだった。
それに塩もみキュウリとミョウガを合わせて青いガラスの小鉢に盛り付け、ワカメを添えて白ごまを振る。
「銀色の皮を残した太刀魚と器の深い青がきれいね。食べるのがもったいないわ。お酒があればいくらでも食べられそうだけど」
そう言って枡酒をお替わりするコレットは、酔いに頬を染めている。
ここまで落ち着いた食器に統一しておいて、酢の物をアクセントに選んだのはロマンだ。
空いた皿を下げて退室するロマンの足取りが、少しだけ得意気になっていた!
それをにんまり見送ったメルセデスがコレットたちに尋ねる。
「この後のお食事は『カニ飯』だけど、どうする? 炊き立てがおいしいから、できたら持ってきていいかなぁ」
ご飯ものである『お食事』は『カニ飯、船長の鉄砲汁、香の物』だ。
炊き立てのカニ飯がうまいのは当然として、鉄砲汁とはカニ・ネギ・豆腐を具にした味噌汁である。
『鉄砲』という弾丸を打ち出す旧式の魔道具があり、カニの脚を箸でつつく様子が爆発魔術の術符を棒で押し込むかつての兵士の姿に似ていることから、そう呼ばれる(諸説あり)。
エミールが船長から教わった、この辺りの郷土料理だ。カニの風味がしみたネギがうまいのだが――。
「――いいえ、そっちはいらないわ」
「えっ、先生……?」
手のひらを返すようなコレットの拒絶に、場が凍り付いた。
エミールの会席は即興とはいえ、ここまで好評だったはずだが、どこかでボタンを掛け違えたのか。
一升瓶を持ったメルセデスが首を傾げる。
「およ?」
***
厨房に戻ったメルセデスが客のオーダーを告げると、一気にお通夜ムードに……ならなかった!
「――でね、担当さんも『先生がついに本気を出した!』って大喜びだったよ!」
「信じがたいですわね、酔えば酔うほど筆が進む小説家なんて。てにおは大丈夫ですの?」
「いや思い出したわ。コレットっていや、『酒場の文豪』って二つ名で、酔ってるのが平常運転だぜ。俺も一冊読んだけど、あとがきが酒の話ばっか」
エミールが読んだのは冒険小説『十五パーティー漂流記』だ。
無人の異世界に漂着した15の冒険者パーティーが対立と協調を繰り返しながら生き抜く話で、世界から人がいなくなった謎を解く驚愕のラストは話題になった。
批評家によれば当時の世相への皮肉や希望も込められているらしいが、エミールとしては極限状態から徐々にグレードアップする食事シーンを気に入っている。
「『ホタテバター焼き』と『蒸し牡蠣』、『マグロのやまかけ』あがったぜ」
「コレットさんはエミール君のお料理と船長さんのお酒のお陰でスランプ脱出できたって! カニ飯は冷めたらおにぎりにして持っていこうよ」
「そうするか。ついでにラストオーダー取ってきてくれ」
「は~い♪ あ、これおいしそう!」
メルセデスはホタテバターに目を光らせながら配膳に向かった。
エミールたちの努力で酒飲みのスイッチが入ったコレットからのオーダーは、「ご飯ものはいらないので肴と酒の追加を」というものだった。
作家のスランプというのは筆が進まないというものだが、コレットにとっては酒が進まないとスランプになるそうだ。
追加は酒が進む料理ならなんでもいいという。そこでエミールが出したのは、この町の食材を使った居酒屋料理だ。
会席料理としては『お食事』、『水菓子』のキャンセルだが、料理の提供としては大成功と言える。
「しっかし『山中の温泉旅館を舞台にしたミステリー』書くのに、どうしてまた港町に来たかね?
あ、水菓子の『庭に生ってた桃のシャーベット』は……ロマン食う?」
「……頂きますわ」
『作品の世界観に合った料理』とは何だったのかというと……缶詰させられた、というか酒場のツケを貯め込みすぎて追い出されたコレットが、拗ねていただけだったようだ。
しかし酒場でショットグラス片手に書くよりは余程気分が乗ったことだろう。
後日出版されたミステリーは「作品内に迷い込んだような臨場感。特に食事シーン」と評されることになる。
***
翌朝。
エミールたちが起きた頃、ロマンはとっくに船の護衛の仕事に出た後だった。
少々寝坊して『アジの干物定食』を頂いたエミールたちが市場へ向かうと。
「どれも朝一で売り切れるような上物じゃねぇか。いいのかよ?」
船長が手を回していたらしく、お土産をたくさん頂いた。
ああ見えて船長はこの辺の漁師たちの元締めで、これはエミールたちへのお礼ということだ。
漁師は引退して釣り船と民宿をやりながら、のんびりしている。
「こんだけありゃ、店で一週間以上は海鮮三昧だな」
エミールはアイテムボックスにしまう魚を確認する。旅の大きな目的である仕入れが完了したのだ。
***
メルセデスとエミールは一旦宿に戻って真昼の露天風呂に浸かり、縁側に並んで涼む。
陽射しは強いが潮風の気持ちいい日で、休暇の過ごし方としては最高だ。
どこからか海鮮を焼く匂いが届き、空腹を覚えたエミールは今日の昼食に思いを馳せる。
まだまだ、この町には知らない料理があるはずだ。仕事を終えたロマンを拾って三人で行こう。
「旅行先でも結局お料理しちゃったねぇ」
「やっぱ俺、厨房に立ってねぇと落ち着かねぇな」
「エミール君らしいねぇ……でも今日一日だけはお料理禁止! で、明日の朝お店に帰ろっか」
「メルセデスはもっとゆっくりしたかったんじゃねぇのか?」
「いいのいいの。閑散期はお店でものんびりできるしね。それと――」
「――ロマンだろ。俺もいいと思うぜ、店長」
この後メルセデスに誘われたロマンは、もじもじしながらも『迷い猫』で働くことを承諾する。
すっかり標準体型に戻ったロマンが、夏の終わりにアントレに舞い戻るのだった。




