一日旅館 迷い猫(1)
豪勢な海鮮料理を堪能した俺たちはロマンを連れて宿に戻った。
ロマンはメルセデスの誕生パーティーの立役者だ。
せっかく再会したのだから俺たちがポアソンにいる間はこっちに泊まって礼をさせてほしい、というのは建前。
これなら三人組なので妙な誤解も受けないだろうというのが俺の本音だ。宿の部屋は4,5人泊まれるので計画通り……!
追加の宿賃は俺が払うつもりで女将さんに話を通すと、俺たちの客なら無料でいいとのこと。
女将さんに重ねて礼を言う。
「お布団は二つ敷いてあーけんね、必要だったら押し入れのを使って下さい……しっかし、お盛んですね」
「!?」
ありがたいと思ったのもつかの間、最後の一言は耳打ちされた。
もう廊下で寝ようかな……。
***
「今日あなた方に再会したのは神の計らいですわね」
「ほんとそれな」
「なになに、何の話?」
ロマンは部屋に二つ並んだ布団(女将さんが敷いておいてくれた)と俺をじっとりした目で見比べた。
その布団はメルセデスとロマンで使ってもらうとして、俺は押し入れから自分用に布団を引っ張り出す。
この部屋は畳敷きだが、窓際に板張りのスペースがあって障子で仕切られている。椅子とテーブルをどかしてそこで寝ようかな。
ロマンもそのスペース、広縁を見ているので同じことを考えているのだろう。
「ロマンちゃんのお布団? じゃあここね、わたしの隣! 今夜は寝かさないよっ」
「お姉さま、それは、その……」
メルセデスは二つの布団の隣をタンタンと叩いて場所を指定した。
俺、メルセデス、ロマンの順で並んで寝たいらしい。
ロマンが何とも言えない顔をしているが、いい歳してあーだこーだ言うのも恥ずかしくなってきた。
今日のところはメルセデスに従おう。広縁は着替えスペースに使えばいいんだし。
と、布団を整えていると、にわかに廊下が騒がしい。
気になって部屋を出た俺たちが騒ぎを追って二階に上がると、若い男と船長の言い争うような声が聞こえてきた。
ひとまず階段の手すりの陰から様子を見よう。
二階に上がって右は冒険者三人組の部屋だが、船長は左の部屋の戸口で膝をついている。
その脇には刺身や煮魚が乗ったお膳が二つ。ここは夕飯やってないんじゃなかったっけ?
「ダメだダメだっ、こんな料理じゃ先生の筆が乗らないじゃないか!」
「そーは言ってもお客さん、うちは本来夕食はやっちょらんし、旅館みたいな難しい料理はあばかんけん(手に負えません)」
「だったらその辺の旅館から料理人を連れてくるんだな。こんな家庭料理じゃ先生をここまで連れてきた意味がない」
「今日日観光シーズンだけん、いくら積んでも料理人はいちょらんよ。外にはうまい店がよーけあるけん、連れて行ったらどげかね?」
「作家が! 缶詰に! 来てるんだよっ!! 外出ちゃ意味ないんだよ! わっかんないかなぁ!?」
なんと作家が原稿書きに宿泊中らしい。てことはピリピリしてる若い男は担当編集か。くたびれてるけど身なりはいい。
作家の缶詰ってのは山奥の温泉宿でやるイメージだったけど、俺たちみたいに他の宿はいっぱいで取れなかったクチかな?
「作家の缶詰だってエミール君! おいしいのかな?」
「あー、機会があったら作ってやるよ……」
「あなた方……」
それはともかくだ。
この宿は本来夕食は出さないわけで、あの客の要求は無茶だ。
船長はのらりくらり、あんまり気にしていないようだけど疲れが見える。
この宿は女将さんと二人で切り盛りしているから、負担が大きいのだろう。夕方姿が見えなかったのも恐らくこの準備だ。
そこへお膳を下げに来た女将さんが俺たちを見つけ、小声で言った。
「おや、お客さん方。やかましかったかね? あのお客さんは昨日お越しになってからあの調子で……」
船長と女将さんも忙しい中、試行錯誤してはみたようだが。
なんでも缶詰中の作家というのが『作品の世界観に合った料理』をご所望で、それがないと筆が進まないそうな。
そしてその料理というのが高級な旅館で出すような会席料理だという。
ここは素泊まり上等の民宿なんだけど。
『太郎さん詐欺』の時とは違うが、これもクレーマーだよなぁ。
料理人として客の好みに合わせるのは当然なんだけど、その結果できあがった『店』が気に入らない客にはよそに行ってもらいたい。
客は店を選ぶ権利があるし、アントレもこの町も選択肢は多い方だからな。
その辺をあのわがままさんへ穏便に伝える方法はないもんだろうか。
と、メルセデスを伺う。ほとんど手つかずのお膳を見た後、ちょっと困ったような顔で言った。
「あんなにおいしそうな物を無駄にするなんて……エミール君、ロマンちゃん。少し懲らしめてあげようよ」
「どうするつもりですの?」
「そうだな……人様の厨房に手出しするのは本意じゃねぇが、女将さんちょっといいか?」
***
さて、俺にできることは料理、メルセデスにできることはフルボッコ、ロマンはなんだろう……侯爵家の威光か……例の名乗りで笑いをとることだろうか。
というわけで一階の厨房を借りた。ここは朝食会場とつながっていて、本来この宿は部屋食すらやってないのだ。
作るのは客の注文通り旅館で出すような料理、それでぎゃふんと言わせてやる。
会席とか本膳コースってやつだが、実は一つ一つの品目は居酒屋のメニューと大差ない。元々宴席で酒と共に楽しむ料理、肴だからだ。見たところ食材も足りている。
問題は二つだ。
「本来こういう料理は刺身ひとつとっても薄味で上品なものを出す。だけど今日は仕込みの時間も選べる食材もねぇから、味付けは居酒屋風でいくぞ。メルセデスとロマンは食器を選んで盛り付けにアドバイスくれ」
「わたくしもですの?」
「侯爵令嬢なんだから作法とか詳しいだろ? すぐにお品書き出すから味のある感じに頼む」
上品な味付けというのは、無駄を排し弱点をカバーする引き算を重ねた必要十分な調理で、要するにとても手間が掛かる。
煮物などは具材ごとに調味したのも盛り合わせるのだが、時間が無いので煮物自体出せないかもしれない。
だから調理法はパッとできる居酒屋方式で、盛り付けは頑張る。原点回帰して豪華な酒の肴でコースを組み立てるイメージ、てか居酒屋の宴会コースだな。
「給仕も二人に頼みたい。二階の部屋食だからメルセデス一人じゃ無理だ。盛り付け見ながらで負担掛けてすまねぇが、連携はとれるか?」
「誰にものを言ってますの? わたくし、お姉さまのパーティーメンバーでしてよ」
「『一日旅館 迷い猫』だね! ロマンちゃん、女将さんにキモノ借りに行こう!」
船長と女将さんは随分と疲れているようだったし、俺たちが勝手にやることだから巻き込まない。
そうすると、品数の多い料理を食べる順に給仕するには二人必要だ。
ところで女将さん、普通のシャツにエプロンだったけどキモノ持ってんの?
「……よし、こんなもんか」
さくっとお品書きを決めて調理台の前に貼り、調理を始める。
着替えたメルセデスたちも戻ってきた。
「どうどう、エミール君?」
髪の色に合わせたのか、メルセデスは紅梅色のキモノで白っぽい帯を締めている。巻いた髪にかんざしを挿して華やかだ。
これは一日女将だな。
旅館という宿のスタイルはキモノと同じ異国発祥で、従業員にキモノを着せるところが多い。
宿の女将さん、こんなキモノよく持ってたな。
「動きにくいですわね……」
ロマンは飴色のキモノに前掛けを付けている。こちらも金髪に合わせたように見えるけど、控え目な感じで一日仲居だな。
宿の女将さん、こんなサイズのキモノよく持ってたな。あれ、ロマンの方が体形近いのか?
「失礼なことを考えている気配がしますわ……そこ、七味は別皿より脇に添える方が映えましてよ」
「さんきゅ……メルセデス、一品目頼む」
「まかせてー!」
食前酒と先付、それにメルセデスが清書したお品書きをお膳に乗せ、送り出した。
出雲弁参考:北三瓶会様 http://www1.ttcn.ne.jp/~kitasanbe/a_top01.html




