『サバの塩焼き』
『サーモンフライ』にタルタルソースをたっぷり付けて口へ運ぶロマンの耳に、覚えのある声が届いた。
「え、ロマン? どこだよ?」
「あそこだよ、あのお一人様!」
「え、あのお一人様のどこがロマンなんだよ? 似ても似つかねぇじゃねぇか」
「よく見てよエミール君。あのお一人様はロマンちゃんで間違いないよ!」
――あれはお姉さま……と、料理人ですわ。どうしてこんなところに?
いや、考えてみればもう観光シーズンだ。アントレは逆に静まり返っているはずだから、旅行に来てもおかしくない。
――ぐぬぬ……お姉さまと二人で旅行なんて、わたくしも経験ございませんのに……!
各地を旅した冒険者時代は他のパーティーメンバーも一緒だったのだ。
それはそうと。
「……あの、お一人様連呼するのやめて頂きたいのですわ?」
***
ロマンがアントレを発ったのはつい半月ほど前のこと。
再会には少々早すぎる気もするが、せっかくなのでメルセデスたちとご一緒することにした。海風に当たりすぎたので店内の個室に移る。
……『お一人様』連呼されたお陰で周囲の視線が気になったのもある。
「――別に急いで王都に戻ることもないのですわ」
早朝『迷い猫』を出た後、乗る馬車を間違えてポアソンまで来てしまったことは黙っておく。本当は領都へ向かい一泊するつもりだった。
「せっかく北部まで来たのですから、観光していくのもまた一興。このような猥雑な町にも出会いと発見があるものですわ」
格好つけて言っているが、メルセデスの居場所を知って王都を飛び出してきた手前、手ぶらでは戻りづらくてグズグズしているだけだった。
それも黙っておく。
ポアソンに到着した日は革鎧のままビーチで膝を抱えてぼんやりしていたので、周囲からたいそう浮いていたのだが。
「ロマンお姉ちゃんにお客さん? わたしもお話聞きたい!」
料理の皿を持って来たのは10歳に満たない赤毛の少女だった。
この店の一人娘でお手伝い中の、将来の看板娘だ。
ロマンはここで衣食住を提供されながら船の護衛をしていた。侯爵令嬢であることは明かしていないため、食客のような身分だ。
しかし少女がロマンを見上げる視線には強い憧れが含まれている。
「ビーチで魔物に襲われたこの娘を助けた縁で、逗留することになったのですわ。こういう行き当たりばったりも旅の醍醐味ですわね」
「あの時のお姉ちゃん、すっごくかっこよかったんだから!」
波で打ち上げられたのか意図的なものか、海竜系の大型魔物がビーチを襲ったのだ。膝を抱えているロマンのすぐ脇で。
砂に足を取られ転んだ少女に迫る魔物の牙。しかしロマンが一蹴したので被害はなかった。装備を付けたままだったのが功を奏したのだ。
その時助けられたのがこの少女。そして熱烈に感謝した両親は是非我が家に逗留を、とロマンを迎えた。
「ただの食客では落ち着かないので、少し漁のお手伝いをしているだけですの」
「おいおい、ビーチってそんなに危ないのかよ?」
「そんなことないよ? 丘に見張りのお兄ちゃんがいるもん」
エミールの質問に少女が答える。丘というのはエミールたちが転移してきた社のある丘のことだ。
その日はたまたま監視できる範囲の外から魔物が迂回してきたのだろうと言われているが、そもそも浅瀬に入ってくる魔物など滅多にいなかった。
エミールが気まずそうな顔をしているのは、今朝その見張り場所を人払いしてしまったからだが、ロマンには知る由もない。
今日は何事も無くてよかった。
「さ、冒険のお話はお手伝いが終わってからですわ。店主が呼んでましてよ」
ロマンは少女に優しく言って聞かせた。次の料理があがったようだ。
ここに来て以来、船上でも店でも、店主の屋敷でも豪華な食事を無料で提供されている。どれも大変おいしい。
肉も好きだが魚も好きなロマンは今、「馬車を乗り間違えるのも悪くないですわ」と思うくらいには満たされていた。
しかしエミールは訝し気に首を傾げる。
「てか、ほんとにロマンなんだな?」
「今更疑問形ですの!?」
「いやぁ、話には聞いてたけどよ、わかんねぇって――まん丸くなりすぎだろ」
「!」
エネルギー変換効率が高い竜種と同じで『食べた分だけ太り、動いた分だけ痩せる』。それがロマンの魔法『ジークフリート』の性質だ。
一方、その魔法を以て『竜の如き堅い守りと膂力を持ち、竜に致死の一撃を与える天敵』であるロマンにとって、船を丸ごと守護するのは割と容易い。
つまり四六時中提供されるご馳走のエネルギーを、仕事で消費しきれていないのだ。完全にカロリーオーバーである! しかしロマンは食べることが大好きだ!
その結果、今のロマンはパンパンに膨らんだ水風船のごとくまん丸コロコロだった。
一時痩せすぎて外していた愛用の鎧が、今は逆に苦しい。
生活のゆるみが顕著に表れる厄介な体質なのだ。ロマンが侯爵家を出て冒険者になる(そしてカロリー消費する)ことを許された理由の一つでもある。
そのロマンのほっぺたがぴろーんと伸びた。メルセデスがつまんでにんまりしている。
「わたしはこっちのロマンちゃんの方がかわいらしいと思うけどなぁ。おいしそうに食べるし。ほっぺた伸びるし」
「やめてやれ、侯爵令嬢なんだろ。しかし、うまそうに食べるのはメルセデスも一緒だけどよ……ロマン、お前。魚の食べ方きれいだな」
ロマンが箸を付けているのはサバの塩焼きだ。
胴体の身は皮と骨、ひれを残してきれいになっている。さらにほほ肉、脳天、カマも食べられるところは器用にこそいで食べていた。
「食べられそうなところをつついているだけですわ。その……おいしいものですから」
「そりゃ料理人冥利につきるってもんだ。食材も無駄になんねぇし、実際頭の肉が一番うまいしな」
ロマンは指摘されたのが恥ずかしいのか顔を赤らめつつ――箸は止めなかった。
こうしている間にも先ほどの娘が次々に皿を運んでくる。サワラ、キンメダイ、のどぐろが追加され、焼き魚の盛り合わせが出来上がっていた。
食べ過ぎである。




