港町
さて、昨夜はうっかりメルセデスのグラスを呷ったところで酔いつぶれてしまった。あいつはいつもあんな強い酒をカパカパ飲んでるのか……。
定休日の今日は『鮮魚 シモン丸』が開くまで暇だし、のんびりするか。昼はなんか胃に優しいものを作ろう。
「――『シモン丸』お休みだって、エミール君!」
孤児院から帰ってきたメルセデスが店に入るなり叫んだ。あー、まだ大声は頭に響くな……。
「再来週から再開するって院長先生が言ってたよ。お休みのお店が多いからだよね?」
「だろうな。さて、どうしたものか」
休みならシモンはこっちにいるだろうから、大方昨日のうちに孤児院へ顔を出したのだろう。事前に教えてくれてもよさそうなものだが。
「シモンさんは孤児院の子たちを連れて領都に小旅行だって。今日の差し入れはご近所で分けるって言ってたけど、しばらくはいらないね」
そりゃすごいな。引率はシモン一人じゃないだろうけど。てか院長先生は行かないんだな。
「『私が口うるさくしてると子どもたちが楽しめないじゃないか』だって。皆一緒に行きたかったと思うけど」
「あー言いそうだな。そういやホオズキと肉屋も休みだっけ……ますますどうしたもんかな」
律儀な肉屋は事前に知らせをくれたのだが、この辺の店は結構急に休みになる。大雪で店を開けられない時もあるからアバウトなのだ。
年中無休なのはギルドと薬カガチ堂くらいだろう。
うちの店だって無理して仕入れても客はあまり来ないだろうが、少しでも来てくれるなら店を開けたい。
「うちも休みにしよっかぁ。エミール君、港町に行きたいって言ってたよね?」
悩む俺を見てメルセデスが決断した。顔を上げるといつも通りにんまりしている。
港町――ポアソンはアントレの西にある漁港の町だ。シモンの仕入れ先だから海産物が充実しているのは言うまでもない。
海流の影響で温暖な上に温泉もあり、観光客の多い町でもある。
行きたい。シモンの仕入れ先を自分の目で見てその場で味を見たい。地元の食べ方も勉強したい。漁師料理なんかビャクヤが好きそうだし、観光地だから客の心をつかむ調理法も心得てるだろう。
さっきからメルセデスがちらちら見せているカバンはきっとアイテムボックスだ。店には大型のものしかないから、こういう時のために作ったのだろう。
つまりは仕入れ旅行、ついでに海を見ながら温泉で骨休めできる。すごく行きたい。
だがポアソンまでは馬車で片道二日かかる。領都なら半日で着くが、ポアソンまでとなると暗くなる前に一泊野営するか宿場町に入る必要がある。馬を休める時間も必要だ。
そもそも二日酔いの俺が馬車の揺れに耐えられるのか……?
「移動のことなら大丈夫だよ? キノミヤちゃんにアレもらったから! それより早く準備、準備!」
「?」
流れるように戸締りと火の始末をするメルセデスに背中を押され、俺も旅支度を整えた。
といっても「野営の用意はいらない」というので着替え程度だ。キノミヤがどうとか言ってたし、これは迷宮案件だろうな……。
メルセデスに連れられ店の裏口を出る。小さな庭になっていて、店で使うハーブを植えていたのだが、そこに小さな木の苗が増えていた。
この苗、どっかで見覚えがあるな……。
「誕生日にキノミヤちゃんがくれた世界樹の苗だよぉ。迷宮とギルドには一声掛けてあるから、安心してね!」
あれ世界樹だったのかぁ。なんてものをもらってしまったんだ……てか店の裏庭に植えていいもんなのか?
姿勢を正したメルセデスは世界樹に向かって深々と頭を下げること二回。俺も慌てて真似をする。
よくわからないが、「二礼二拍手一礼をするように」と言われたのだ。
ポンポンと手を打ってもう一度お辞儀をすると、メルセデスが俺の腕を掴んだ。
直後感じた視界の揺らぎと落ちていくような感覚には覚えがある。
キノミヤに迷宮へ連れていかれた時と同じ、転移だ。
***
気が付くと大きな木の前で尻もちをついていた。立ち上がって砂を払う。木々に囲まれぽっかり開けたここは、迷宮にあるキノミヤの領域に似ていた。
違いは立派な祠があることくらいだ。
「んー、潮風が気持ちいいねぇ」
声のする方を見るとメルセデスが伸びをしていた。潮風?
「そう、ここはもうポアソンの町の中だよぉ。うちの裏庭とこの丘の社をキノミヤちゃんにつないでもらったの」
どうもキノミヤが本気を出すと、世界樹から別の土地の世界樹へ人を転移させられるらしい。つまり目の前の大木も世界樹だ。
キノミヤはそんなものをメルセデスに渡してよかったのだろうか。
「人払いしてもらったお陰で誰もいなかったね。行こうよ、エミール君。丘を降りたらすぐにビーチだよ!」
手を引かれて丘を降りると白い砂浜に青い海、そしてたくさんの人とパラソルが視界に飛び込んだ。
メルセデスはすでにそわそわしている。
「まずは宿を……ったく、しょうがねぇなぁ」
パラソル付きビーチチェアは時間貸しらしく、メルセデスは管理人のもとへ借りに走っていった。
よほど楽しみだったようだ。俺同様、メルセデスも週一日の休みだけで働いてきたのだから当然か。
荷物が少なくてよかった。
管理人がビールを持ってきてくれたので一杯受け取り、メルセデスと乾杯する。
ビーチチェアに寝そべると途端にリゾート気分だ。二日酔いはとうに吹き飛んでいた。
客の大半は海に入るのか水着姿だが、俺たちのような服装で寝そべるだけでも悪目立ちするようなことはない。
今朝はメルセデスの手際がやけに良くて酔っ払ってるのかと思ったけど、お陰でいい旅になりそうだ。
「そういやメルセデスはここに来たこと――うわっ!」
「そんな花子さん見つけたような声出さないでよぉ。そりゃ海に来たんだし、ね?」
ビーチから町中へのアクセスが気になって声を掛けると、いつの間にか水着に着替えて……いや、これは下に着てきたな? 用意周到すぎる!
メルセデスの好きなひまわりの柄が入った水着は、別にきわどくもないデザインだ。だがそれを着たメルセデスは目立ちすぎだった。
「エミール君、焼きイカ売ってる! 買ってくるね!」
「おう、日差し強いから帽子忘れんなよ?」
ざわざわざわ。
「えへへ、サングラス♪ エミール君のも買ってきちゃった!」
「おう、サンキュ」
ざわざわざわ。
「エミール君、スイカ買ってきたからスイカ割りしよう!」
「おう……もうバッキバキに割れてんじゃねぇか」
ざわざわざわ。
「ああっ! ざわざわざわざわ落ち着かねぇ!」
ざわざわしているのはメルセデスを遠巻きに見る海水浴客たちだ。
愛嬌のある顔に、珍しいピンクブロンドの髪。胸はでかいし一見ふわふわして隙だらけだし、旅先で浮かれてるからなおさら視線を集めてしまった。
今も数組の男たちが声を掛けようかそわそわしてるけど、狼藉を働いた瞬間せっかくの休暇が治療院の天井を眺めて終わる。
そして連れである俺に向いた視線の圧が辛い。あれは注文受けてから40分くらい待たせてる客の目と同じだ。
頭が痛い、二日酔いかな……。
そもそも水着まで用意してるってことは、この旅行、いつから計画してたんだ?
「――どうだね、あんさん方。釣り船、今なら貸し切りだわね」
独特の訛りのある声の主は小柄な初老の男、日に焼けた海の男といういで立ちだった。
今なら他の客を乗せずに船を出してくれるということだろう。釣りなんてやったことないけど、釣ったのをその場で捌いて食うのもいいなぁ。
料金を尋ねようと思ったところでメルセデスが声を上げた。
「その船、乗ったぁ!」




